桃山文化について解説(入試問題演習付き)【日本史第42回】

安土桃山時代は、織田信長・豊臣秀吉によって全国統一が行われた時代です。

 

その頃の文化を桃山文化といいます。桃山文化の大きな特徴は、仏教色が薄れ、豪華かつ壮大な文化であるということです。また南蛮文化の影響を強く受けたのもこの文化の特色といえます。

 

今回は桃山文化の特徴・各分野の代表的な人物・作品をまとめました。この記事を読めば桃山文化を一通り学習できるので、ぜひ最後までご覧ください。

 

この記事からわかること・絵画では狩野派が中心となった。

・狩野派の画家としては狩野永徳・山楽が代表的。

・建築の特徴は城郭建築が挙げられる。

・千利休は簡素を精神とする侘茶を完成させた。

・活字印刷術は宣教師ヴァリニャーニによって伝えられた。

・出雲阿国によって歌舞伎が始まった。

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桃山文化の特徴

 

(洛中洛外図:wikiより)

 

安土桃山時代には、信長・秀吉によって全国統一が行われました。この時代に栄えた文化が桃山文化です。

 

桃山文化の大きな特徴は3つあります。一つ目は仏教色が薄れ、豪華かつ壮大な文化であるということです。二つ目は新興の大名や豪商によって培われた文化である点で、三つ目は南蛮文化の影響を強く受けていることが挙げられます。

 

次の項目以降は、こうした特色を持つ桃山文化を分野ごとに詳しく見ていきましょう。

絵画

 

(唐獅子図屏風:wikiより)

 

まずは絵画について見ていきましょう。

 

この分野で中心となったのは室町時代の後半に狩野正信・元信親子が確立した狩野派です。彼らは大和絵と水墨画を融合させ、新しい画風を作り上げました。

 

狩野派の中で代表的な画家としては狩野永徳とその弟子にあたる狩野山楽が挙げられます。

 

狩野永徳の作品としては「洛中洛外図屏風」や「唐獅子図屏風」を覚えておきましょう。狩野山楽は「松鷹図」(しょうようず)や「牡丹図」で有名な人物ですので、こちらも併せて覚えておいてください。

 

狩野派が描いたのは、金箔地に赤や青などで彩色を施した濃絵(だみえ)です。豪華さを特徴とする濃絵は主に城のふすまや障子、壁に障壁画として描かれました。狩野派は多くの障壁画を描き、発展していったのでした。

 

彼らのほかに「松林図屏風」で有名な長谷川等伯や、「山水図屏風」を描いた海北友松も安土桃山時代に活躍した人物です。

 

続いて建築分野について見ていきます。

建築

 

(大坂城:wikiより)

 

桃山文化の建築の特徴は城郭建築です。

 

城郭は天守閣部分をもつ本丸をはじめ、石垣で築かれています。まわりは郭(くるわ)という土や石でできた囲いや濠が張り巡らされていました。

 

城の内部には居館と呼ばれる居住スペースがあり、そこには書院造が取り入れられています。書院造について詳しく知りたい方は、「室町文化について解説~絵画・文学・庭園まで幅広く紹介~(入試問題付き)【日本史第37回】」も合わせてご覧ください。

 

城の壁などには障壁画が描かれ、欄間の部分には透し彫と呼ばれる彫刻がなされました。

 

この時代の代表的な城としては、安土城・大坂城・伏見城・姫路城などが挙げられます。姫路城はその美しさから、白鷺城とも呼ばれていますよ。

 

また千利休が簡素・閑寂を重んじる侘茶を完成させたのもこの時代で、秀吉らの保護を受けて流行しました。利休の茶室を妙喜庵茶室と呼ばれることもおさえておきましょう。

 

次の項目では、南蛮文化が日本に与えた影響について見ていきます。

 

郭(くるわ)が来るわってか、ハハハハ
たなか君
たなか君

 

S先生
S先生
…。

南蛮文化

(ヴァリニャーニ:wikiより)

安土桃山時代は南蛮貿易が盛んになった時代でもありました。

 

宣教師たちは天文学や医学、地理学などの実用的な学問に加え、油絵や銅版画の技法も伝えたのでした。そこで西洋画の影響を受けたことで、南蛮屏風が生まれました。

 

また活字印刷術が宣教師ヴァリニャーニによって伝えられたのもこの頃です

 

印刷機も輸入され、キリスト教の出版物を中心に印刷が行われました。これらの印刷物を天草版といいます。「平家物語」や「伊曽保物語」などが刊行されました。

芸能

 

(出雲阿国:wikiより)

最後に芸能について見ていきましょう。

 

この時代に登場したのが歌舞伎です。出雲阿国(いずものおくに)によって始まりました。彼女が始めた歌舞伎を阿国歌舞伎といいます。これはやがて女歌舞伎へと発展していきました。

 

また琉球からやってきた三味線を伴奏にして人形を操る人形浄瑠璃や堺の商人、高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が小歌に節づけをした隆達節も流行したことを覚えておきましょう。

入試問題にチャレンジ

問 下線部ⓔに関連して、桃山文化について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

①三味線を伴奏に人形を操る人形浄瑠璃が始まった。

②城郭内部の障壁画などに濃絵の手法が用いられた。

③小歌に節づけをした隆達節が庶民の人気を博した。

④簡素さよりも豪華さをたっとぶ侘茶が大成された。

2018年 センター試験 本試験 日本史B 第3問 問6より)

正解:④ ④は簡素さと豪華さが逆なので、誤りです。
正解:②
bは「おとろえた」が間違いです。室町時代には各地で特産物の生産が盛んにおこなわれるようになりました。例としては、三河の綿織物や美濃・但馬の紙などがあります。
詳しくは「室町時代の農業・商工業について解説(確認問題付き)【日本史第36回】」の記事をご覧ください。
cは「時宗や律宗からなる」が誤りです。林下は地方への布教に力を入れた禅宗諸派のことを指します。もしcが難しい場合は、今回学習したdの内容が正しいと判断して解き進めるとよいでしょう。
正解:③ 嘉吉の変は1441年、赤松満祐が6代将軍足利義教を暗殺した事件です。「室町幕府の衰退から滅亡までを解説(入試問題も解説)【日本史第33回】」の記事も参照してみてください。伊達氏は東北地方の大名で、伊達政宗は小田原攻めにも参加しています。

 


<解説>
正解は①。②は慶長の役ではなく、文禄の役です。③は清が間違いで、明が正解となります。④ですが朝鮮水軍を率いたのは李成桂ではなく、李舜臣です。なお文禄の役のことを壬辰倭乱、慶長の役のことを丁酉倭乱といいます。

まとめ

今回は桃山文化について見ていきました。

 

桃山文化の特徴と各分野の中心人物・作品をしっかりマスターしていきましょう。

 

前回の記事「秀吉の検地・刀狩り・朝鮮出兵から安土桃山時代の終わりまでを解説(入試問題付き)【日本史第41回】」ですのでよければ読んでください。

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コメント

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