室町時代の外交を解説(入試問題も解説)【日本史第35回】

中世

倭寇の活動が活発になったことを受け、中国・朝鮮ともに日本に対して倭寇の禁止を求めます。

 

その後日本は中国・朝鮮両国と国交を開き、貿易を始めていきました。その中で中国では貿易の実権を巡って大内氏と細川氏が寧波の乱で争います。一方朝鮮では倭寇の活動が激化したことにより、応永の外寇が起きたのでした。

 

今回は室町時代の外交についてご紹介します。

 

この記事からわかること・倭寇は、時期によって前期倭寇と後期倭寇に区別される。

・1404年に日本と明は、日明貿易をスタートさせた。

・1523年、大内氏と細川氏が貿易の実権を巡って寧波の乱で争った。

・日本と朝鮮は、宗氏の統制のもとで日朝貿易を行った。

・1419年、応永の外寇で日朝貿易は一時中断される。

・1510年の三浦の乱をきっかけに日朝貿易は衰退していく。

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倭寇の出現

(倭寇:wikiより)

まずは中国や朝鮮との外交について見ていくうえで重要な倭寇について解説します。

 

中国・朝鮮ともに14世紀後半以降、権力の交代が起きました。情勢が大きく変わろうとしていた両国にとって、頭を悩ませていたのは海賊集団の存在でした。

 

この海賊集団のことを倭寇といい、特に室町時代初期に活動した倭寇のことを前期倭寇と呼びます。その中心だったのは、対馬・壱岐・肥前松浦地方の住民でした。彼らは朝鮮半島や中国大陸の沿岸で海賊行為を行い、中国・朝鮮はその対応に苦慮しました。

中国との外交

(日明貿易船旗:wikiより)

続いて室町時代の外交について見ていきましょう。まずは日本と中国との外交からです。

勘合貿易

1368年に朱元璋(しゅげんしょう)が元を滅ぼしてを建国しました。このあたりについては「【世界史B】洪武帝と永楽帝の明について受験で覚えておきたい4つのポイント」を御覧ください。

【世界史B】洪武帝と永楽帝の明について受験で覚えておきたい4つのポイント【受験に役立つ中国史第11回】
こんにちは。洪武帝とは、明を建国した朱元璋の皇帝の名前で、彼は明の政治政策の基礎を作りました。 また、靖難の役の後、洪武帝の息子が永楽帝となり、鄭和に南海遠征をおこなうなど積極的な体外政策を行いました。 土木の変...

 

明は近隣諸国に対して通商を求めます。また日本に対しては倭寇を禁止するよう要請しました。それに応じたのが足利義満でした。1401年、義満は自身の側近で僧侶の祖阿と、博多商人の肥富を明に派遣して国交を開きました。

 

その3年後の1404年に、日明貿易をスタートさせます。日明貿易では、明へと向かう船に明から勘合と呼ばれる札が交付され、持参することが義務付けられていました。そのため日明貿易は勘合貿易とも呼ばれます。

 

義満が始めた勘合貿易でしたが、4代将軍義持の時代だった1411年に中断されてしまいました。その原因は一体何なのでしょうか?それは日明貿易が貢ぎ物を持って相手の国へ向かう朝貢形式を採っていて、それに義持が不満を持ったからです。

 

しかし日明貿易には運搬費・滞在費を明が負担していたので、余計なお金をほとんどかけることなく中国の品物をゲットできるというメリットもありました。日本の利益が大きかったことから、日明貿易は6代将軍義教の時代に再開されたのです。

寧波の乱

室町幕府の衰退とともに、勘合貿易の実権も有力な守護大名へと移っていきました。特に博多商人と手を組んだ大内氏と、堺商人と手を組んだ細川氏が実権を握り、彼らは激しく対立していきます。

 

1523年、中国の寧波(ニンポー)で大内氏と細川氏が実権を巡って争うという事件が起きました。これを寧波の乱といいます。この争いに勝利した大内氏は、勘合貿易を独占したのでした。

勘合貿易の終焉と後期倭寇の出現

大内氏は勘合貿易を独占したものの、約30年後に毛利氏によって滅ぼされると、勘合貿易は断絶しました。

 

すると再び倭寇の活動が活発になっていくのです。室町時代初期の倭寇を前期倭寇というのに対して、16世紀半ばから活動が激化した倭寇のことを後期倭寇といいます。後期倭寇は倭寇という名前でありながら、中国の人々が中心であったという点に注意しましょう。

朝鮮との外交

(太祖大王御真(李成桂):wikiより)

続いて日本と朝鮮との外交について見ていきます。

 

朝鮮では1392年に高麗が倒され、新たに朝鮮という国が建国されます。朝鮮を建国したのは李成桂(りせいけい)です。朝鮮も明と同様、日本に通交と倭寇の禁止を求め、義満が応じたことで、国交が開かれました。

 

また日朝貿易も対馬の宗氏が統制して行われるようになります。朝鮮は貿易のために富山浦(ふざんほ)・乃而浦ないじほ)・塩浦えんぽ)の3つの港(三浦、さんぽ)を開き、3港と首都の漢城に倭館を置きました。

 

しかしある事件により、日朝貿易は中断に追い込まれます。

応永の外寇はなぜ起きたのか?

(朝鮮水軍:wikiより)

ここからは、応永の外寇がなぜ起こったのか、またその後どうなったのかについて見ていきます。

真相

応永の外寇は1419年に起きた事件です。

ではなぜ起きてしまったのでしょうか?

 

当時対馬では、宗氏の有力者だった宗貞茂が亡くなり、彼の死後、朝鮮半島での倭寇の活動が活発になりました。これに怒った朝鮮が、対馬を倭寇の本拠地とみなして襲撃したことで、事件が発生したというわけです。

 

その後

応永の外寇の後、一時中断をはさみ、日朝貿易は再開されましたが、再び争いが起きます。1510年、三浦に住んでいた日本人が、日本人への統制を強化する朝鮮政府に対して反乱を起こしました。これが三浦の乱です。

 

これをきっかけに、日朝貿易は衰退していきました。

入試問題にチャレンジ

下線部ⓓに関して述べた次の文X・Yと、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

X 遣明船は、足利将軍が発行した勘合の持参が義務付けられた。

Y 朝鮮王朝が貿易を制限しようとしたため、日本人が富山浦(釜山)などで暴動を起こした。

① X 正 Y 正 ② X 正 Y 誤

③ X 誤 Y 正 ④ X 誤 Y 誤

2020年 センター試験 追試験 日本史B 第3問 問5より)

正解:③ 勘合は明が発行したものなので、Xは誤り。Yは正なので、③が正解です。
正解:③ 勘合は明が発行したものなので、Xは誤り。Yは正なので、③が正解です。

まとめ

今回は日本と中国・朝鮮との外交について見ていきました。

 

勘合貿易・日朝貿易それぞれどのように始まり、どのように終焉へと向かっていったのか理解して覚えていきましょう。

 

また一つ一つの出来事と原因や背景を関連付けて覚えていくと記憶に残りやすいですよ。

 

前回の記事「戦国大名について解説(入試問題演習つき)」ですのでよければ読んでください。

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次回の記事「室町時代の農業・商工業について解説(確認問題付き)」

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コメント

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