室町幕府の衰退から滅亡までを解説(入試問題も解説)【日本史第33回】

中世

室町幕府は6代将軍義教に時代から衰退へ向かっていきます。義教の時代には、永享の乱・嘉吉の乱と、立て続けに幕府の弱体化を象徴する出来事が起きました。

 

8代将軍義政の時代になると、応仁の乱が起こり、戦国時代へと突入していきました。

 

そして15代将軍義昭の時代だった1573年、織田信長により、義昭は京都から追放され、室町幕府は滅亡したのでした。今回は室町幕府の衰退から滅亡までを解説していきます。

 

この記事からわかること・足利義教は義量の早死を受けて、6代将軍に就任した
・義教は1438年の永享の乱で、鎌倉公方の足利持氏を倒した
・赤松満祐は1441年に起きた嘉吉の乱で義教を殺害した
・8代将軍足利義政の時代だった1467年から、11年にもわたって応仁の乱が起きた
・15代将軍足利義昭は織田信長に反発して勢力を集めたが倒されてしまい、京都から追放された
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6代将軍義教の就任

(紙本著色足利義教像:wikiより)

室町幕府の衰退は6代将軍の義教から始まります。義教の時代の前後で起きたことについて見ていきましょう。

義教就任までの道のり

足利義持の後を受けて、息子の足利義量が5代将軍に就任しましたが、病気で若くして亡くなったため、義持が再び政治を行いました。義持の死後、6代将軍に就任したのが義教です。

 

しかし義教には2つの問題がありました。一つ目は義教が出家していたという点です。そのため髷が結えるまで、将軍空位の状態になってしまいました。二つ目は実力があったから将軍になったわけではなく、単なるくじ引きの結果、将軍になったという点です。

 

そんな義教が将軍に就任する前後の時代には、幕府の権威を揺るがす出来事が多発しました。次の項目で見ていくことにしましょう。

幕府の弱体化

義教が将軍に就任する前から、幕府の権威が弱体化していることを示す出来事が起こり始めます。

 

まず1428年、近江国の馬借たちが徳政令を求めて一揆を起こしました。これを正長の徳政一揆といいます。翌1429年、播磨国の農民たちが侍の国外退去を求めて播磨の土一揆を起こしました。いずれも鎮圧されましたが、その後も事件は続きます。

 

1438年、義教の将軍就任に反発した鎌倉公方の足利持氏が、永享の乱で幕府と争いました。しかし義教に討伐され、持氏は自害に追い込まれたのでした。

 

自らの権威の弱体化を恐れた義教は、反逆する者を次々に弾圧する恐怖政治を行います。それに不満を抱いた赤松満祐が1441年、義教を暗殺しました。これを嘉吉の乱といいます。

 

その後将軍の代替わりによる徳政令を求めて、人々が起こした一揆を嘉吉の徳政一揆といいます。この一揆により、ついに幕府は徳政令を出したのでした。

戦国時代の始まり

(真如堂縁起絵巻:wikiより)

ここからは、応仁の乱について見ていきます。

 

応仁の乱をきっかけに戦国時代が始まりますので、とても重要な項目です。

応仁の乱

応仁の乱は8代将軍足利義政の時代だった1467年から11年にもわたって起きた戦乱です。

 

きっかけは、義政の息子義尚と弟の義視の対立でした。そこに幕府の実権を握ろうとして争っていた細川勝元と山名持豊がこの対立に入り込みました。さらに畠山氏や斯波氏の跡継ぎ争いが絡み合って起きたものでした。

 

応仁の乱により、幕府の全国支配は終わりを告げ、戦国時代へ突入していきました。

国一揆

この頃になると借金の帳消しを求める徳政一揆以外に、自治支配を求める一揆が起こりました。

 

例としては、国一揆や一向一揆が挙げられます。国一揆とは、国人という地元の土着の武士が起こした一揆のことです。1485年の山城の国一揆では、畠山氏を追放して8年間にわたり国人たちによって自治支配を行いました。

 

また1488年の加賀の一向一揆では、一向宗の人々が加賀国の守護富樫正親を倒して約100年間本願寺による自治支配を行ったのでした。

室町幕府を滅ぼしたのは?

(足利義昭坐像:wikiより)

ここでは室町幕府がどのようにして滅亡へと向かっていったのか、について取り上げます。

 

15代将軍に就任した足利義昭は織田信長によって担ぎ出された将軍でした。織田信長は着実に勢力を広げ、1568年に足利義昭を立てて入京しました。そのため将軍でありながら、政治の実権は信長に握られていたのです。

 

そこで義昭は浅井氏・朝倉氏・延暦寺といった信長に反発する勢力を集めて、信長に反抗します。しかし信長に次々と倒されていき、1573年に義昭は京都から追放され、室町幕府は信長によって滅ぼされてしまったのでした。

室町時代の語呂合わせ

ここでは、室町時代の重要事項の語呂合わせをご紹介します。

室町幕府成立:いー耳や(1338)ね。足利尊氏。
応仁の乱:人の世むな(1467)しい応仁の乱。
室町幕府滅亡:以後、なみ(1573)だを流す、足利義昭。

室町幕府の歴代将軍

初代:尊氏(たかうじ)
2代:義詮(よしあきら)
3代:義満(よしみつ)
4代:義持(よしもち)
5代:義量(よしかず)
6代:義教(よしのり)
7代:義勝(よしかつ)
8代:義政(よしまさ)
9代:義尚(よしひさ)
10代:義稙(よしたね)
11代:義澄(よしずみ)
12代:義晴(よしはる)
13代:義輝(よしてる)
14代:義栄(よしひで)
15代:義昭(よしあき)

室町時代の将軍を15代すべて覚えるのは大変ですよね。まずは初代尊氏・3代義満・6代義教・8代義政・15代義昭という歴史上重要な5人の人物から覚えていきましょう。余裕があれば他の将軍も覚えていくといいかもしれません。

入試問題にチャレンジ

下線部⒜についての説明として、誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選びなさい。
①1568(永禄11)年、織田信長は、畿内を追われていた足利義昭を立てて入京した。
②室町幕府は、海賊取締令を出し、倭寇などの海賊行為を禁止した。
③足利義昭は、将軍権力の回復をめざして、織田信長と対立した。
④1573(天正元)年、織田信長は、室町幕府を滅亡させた。

(2020年 国士舘大学 日本史 第3問 問1より)

正解:② 海賊取締令は1588年に豊臣秀吉が発布したもので、室町幕府が出したものではありません。

 

まとめ

室町幕府は義教の時代から弱体化が進み、各地で一揆や争いが多発しました。また一揆は当初借金の帳消しを求める徳政一揆が中心でしたが、戦国時代になると国一揆や一向一揆のような自治支配を求める一揆も起こり始めます。

 

そして織田信長が勢力を拡大し、反発した勢力は次々と倒されていき、義昭の追放により室町幕府は終焉を迎えたのでした。

 

前回の記事「室町幕府3代将軍足利義満~幕府権力の安定化までの道のりについて解説~」ですのでよければ読んでください。

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コメント

  1. […] 前回の記事「室町幕府の衰退から滅亡までを解説(入試問題も解説)」ですのでよければ読んでください。 […]

  2. […] 続いて1573年に義昭を京都から追放して室町幕府を滅亡へと追い込みます。「室町幕府の衰退から滅亡までを解説(入試問題も解説)【日本史第33回】」の記事でも室町幕府滅亡について解説しているので、ご覧ください。 […]

  3. […] 解答・解説正解:③ 嘉吉の変は1441年、赤松満祐が6代将軍足利義教を暗殺した事件です。「室町幕府の衰退から滅亡までを解説(入試問題も解説)【日本史第33回】」の記事も参照してみてください。伊達氏は東北地方の大名で、伊達政宗は小田原攻めにも参加しています。 […]

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