鎌倉時代の社会経済【日本史B 第26回】

中世

鎌倉時代は武士たちの時代です。各地方に所領を持つ武士たちは拠点となる館を中心に所領開発を行います。

 

そうした武士たちにとって一番の財産は土地でした。そのため、鎌倉時代には武士たちによる所領をめぐる裁判が頻発します。

 

また、鎌倉時代は農業や商業・金融が発達した時代でもありました。二毛作をはじめとする農業の発展により生産力が向上します。

 

同時に手工業も発達したので平安時代よりも商品が増えました。すると、商品を扱う定期市が各地で開かれ経済活動が活発化しました。

 

今回は鎌倉時代の社会経済についてまとめます。

今回のポイント・武士たちは各地の館を中心として各地の所領を治めていた
・武士たちは騎射三物で武芸を鍛えていた
・鎌倉時代の裁判は問注所から引付に回され、評定衆の会議で判決が下された
・鎌倉時代は分割相続が行われたが、いざとなったら惣領のもとで団結した
・鎌倉時代に二毛作が広まったのは畿内と西日本
・鎌倉時代の定期市は月に三度の三斎市
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武士の生活と社会

(流鏑馬:wikiより)

鎌倉時代の武士たちは一族で開拓した所領を中心とした生活を送っていました。彼らが生活した「館」は母屋の周囲に敵を防ぐ板塀で囲まれ、矢倉などが設けられます。また、館の周囲にを巡らし守りを強化している場合もありました。

 

館では馬が飼育され、平時は農耕に、戦時には軍馬にと活用されました。所領が敵に攻められたときは館で敵を迎え撃つことも珍しくありあせんでした。

 

武士たちは自分たちの所領を自分の力で守るのが普通でした。そのため、日ごろから武芸を磨く訓練を怠りません。その代表は騎射三物です。

 

騎射三物とは、馬上から遠距離の的を射る笠懸、馬上から走る犬を狙い撃つ犬追物、馬を走らせながら三つの的を順番に鏑矢で射る流鏑馬(やぶさめ)の総称です。

鎌倉時代の裁判

鎌倉時代は裁判が頻発した時代でもあります。裁判の原因は土地の所有権に関するものが多数を占めます。裁判を訴えた原告は訴状を問注所に提出します。問注所は訴状を引付に回しました。

 

引付は原告と被告の双方と書面でやり取りし、情報を整理します。そして、両者を呼び出して口頭弁論が行われました。

 

こうしたやり取りを経て、引付は判決の原案を作成し、執権・連署・評定衆が出席する評定で判決が下されました。

分割相続と惣領制

鎌倉時代、御家人の所領は分割相続があたりまえでした。

 

父から子に相続するとき、財産である所領や地頭職は子供たちによって分割されます。このとき、女子にも相続権がありました。そのため、代を経るごとに御家人たちの所領は細分化されてしまいます。

 

その一方、幕府に対する奉公などについては一族のトップである惣領が一族全体の責任を負いました。

 

この仕組みを惣領制といいます。惣領は戦時には一門を統率し、平時には先祖に対する祭祀や年貢の割り当て、恩賞の配分などをおこないました。

武士の土地支配(地頭請所と下地中分)

(下地中分図:wikiより)

鎌倉時代になると荘園領主と幕府が任命する地頭の間でたびたび紛争が起きました。その理由は風水害を理由とした年貢の未納や土地の横領などです。

 

この紛争解決の方法は2つありました。

 

まず、一つ目は地頭請所の契約です。地頭は荘園領主に対し年貢の納入を確約します。そのかわり、荘園領主は地頭による荘園管理権を認めました。

 

二つ目は下地中分です。下地とは土地のことです。下地を中分する、すなわち、荘園領主と地頭で土地を分けるという意味です。荘園領主は土地を失うことになりますが、それ以上の地頭の荘園侵略を防ぐことができました。

鎌倉時代の農業

(荏胡麻から抽出した油:wikiより)

鎌倉時代中期になると畿内から西日本一帯で二毛作が行われるようになりました。二毛作とは、春から秋に米を作り、その裏作として秋から春に麦を作る農法です。

 

二毛作は灌漑や排水技術の発達によって可能となった農法でした。

(鎌倉時代の二毛作)

また、牛馬耕のはじまりや鉄製農具の普及により農業生産力がアップしたのも鎌倉時代の特徴です。ほかにも、明かり用の油となる荏胡麻(えごま)の栽培が盛んになったのもこの時代の特徴でした。

鎌倉時代の商業・金融

(宋銭:wikiより)

平安時代は鎌倉時代よりも手工業が発達した時代でした。

 

そのため、商品が豊富になり商業活動が盛んになります。このとき、売買で使用されたのが宋銭でした。

 

交通の要地や寺社の門前には定期市が開かれ、盛んに売買が行われました。月に三度開かれる定期市(三斎市)もあらわれました。

 

すると、これまで現物で納められた年貢を銭で納めさせる年貢の銭納が行われるようになります。農民たちは荘官・地頭に年貢を納めます。

 

荘官や地頭はその銭を使って市で必要な品物を購入しました。また、荘官や地頭は荘園領主におさめる年貢も銭でおさめます(代銭納)。荘園領主もまた納められた銭で必要なものを購入しました。

 

銭の需要が高まると借上(かしあげ)とよばれる高利貸しが出現しました。この当時の絵画にも借上が銭を貸し付けている様子が描かれています。

鎌倉時代についての問題演習

中世の農耕が描かれた次の図(牛馬耕と田楽の様子を描いた絵)に関して述べた下の文a~dについて、正しいものの組み合わせを下の①~④のうちから一つ選べ。(2018年 センター試験 日本史B 第三問の問4)

a  牛に耕具を引かせた農作業の様子が描かれている
b 牛と竜骨車を用いた灌漑の様子が描かれている
c 苗を植える作業のそばで、踊念仏が行われている
d 苗を植える作業のそばで、田楽が行われている

① a・c   ② a・d  ③ b・c  ④ b・d

 

 

牛に耕具を引かせて田畑を耕させる牛馬耕は鎌倉時代に始まりました。竜骨車は江戸時代前期に使用された水をくみ上げる道具。また、田植えの時に踊るのは田楽。念仏踊りは時宗の開祖一遍が発案したもので、田植えではなく念仏を唱えるときに踊るのが一般的。したがって、牛馬耕と田楽の説明文の組み合わせである②が正解

 

まとめ

鎌倉時代は武士たちの地方支配が進んだ時代でした。彼らは御恩として幕府に認められた所領や地頭職を代々相続します。鎌倉時代の相続は分割相続が当たり前で女性にも相続権がありました。

 

また、鎌倉時代の武士たちは所領を守るため騎射三物をはじめとする武芸を怠りませんでした。それだけ、所領に対する執着が強く、所領をめぐる裁判が各地で頻発します。

 

経済面では二毛作や牛馬耕・鉄製農具の導入により農業生産力がアップしました。手工業も盛んになり、宋銭を使ったものの売り買いを行う定期市が各地で開かれます。

 

銭の需要の高まりとともに年貢の銭納や高利貸しである借上が出現したのも鎌倉時代の特徴です。

 

前回の記事は「承久の乱と北条氏の執権政治を解説(入試問題も解説)【日本史第25回】」でした。まだ勉強していない方はぜひ読んでください。

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