【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(フランク王国分裂と神聖ローマ帝国)【中世編第四回】

ヨーロッパの歴史【中世編】
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こんにちは。受験に役立つヨーロッパの歴史シリーズもようやく11回目となりました。長かったです…。とはいえ全く終わる気配が見えませんね…。しかし、一歩一歩の努力がきっと終わりにいく…はず。

 

今回は、前回お話ししたフランク王国が分裂します。その中で、現在のドイツの神聖ローマ帝国という国が力を持ち始めます。今回は、その話を中心に行っていきましょう。

今回の記事のポイント・フランク王国はヴェルダン、メルセン条約により分割された。

・東フランク王国のオットー1世が神聖ローマ帝国初代皇帝となった

 

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フランク王国の分裂

前回、フランク王国ではカール大帝が最盛期を誇っていました。ローマ教皇と手を結んだりしてすごく力を持つようになりましたね。前回の話はこちら

 

しかし、カール大帝の死後、フランク王国は分裂を繰り返して弱体化します。やはり、カリスマがいなくなれば国家が弱体化するというのは世の常というか…。

 

具体的には東フランク、西フランク、中部フランクです。そして、中部フランクは統一した王国が出来ず分裂。西フランクは王権が弱く、のちにカロリング朝が断絶します。では、まずはその流れを見ていきましょう。

ヴェルダン条約

カール大帝の子であるルイが死ぬと、ルイの子、つまりカール大帝の孫たちは分割相続を主張し、843年ヴェルダン条約でフランク王国を3つに分割します。

 

フランク王国はフランスを中心とする西フランク、ドイツを中心とする東フランク、イタリアやロレーヌ地方を中心とする中部フランクの3つに分けられました。

メルセン条約

そして、3つに別れたフランク王国ですが、中部フランク王のロタール1世が死去すると、西フランク王国と東フランク王国が中部フランクを分割します。870年メルセン条約ですね。

 

メルセン条約の年号語呂合わせフランクの領土が完全に離れ870年)てしまったメルセン条約

 

結果、中部フランクはイタリアのみが残され、他は西フランクと東フランクの領土となりました。これにより、ドイツ、フランス、イタリアの現在の原型ができることとなりました。

 

ヴェルダン条約、メルセン条約は順番と地図が頻出します。ヴェルダンで東西中部、メルセンで独・仏・伊の原型ができたと覚えます。しっかりと注意しましょう。ちなみにカロリング家は全てのところで断絶します。

 

フランク王国分裂後の世界

 

(ユーグ=カペー:wikiより)

フランク王国滅亡後、カロリング家が断絶したあとドイツを中心に成立した東フランクは神聖ローマ帝国と名乗るようになりました。これにより神聖ローマは、教皇と並ぶ権威として中世ヨーロッパで大きな影響力を持ちました。

 

ちなみに、西フランク王国は、カロリング家が断絶した後、パリ近郊を支配していた諸侯のパリ伯のユーグ=カペーを王にすえカペー朝ができます。教皇のバビロン捕囚を引き起こしたフィリップ4世などが有名ですね。

 

また、イタリアでは、ジェノヴァヴェネツィアなどの都市国家の自立が目立ち、各地で自治権を持った都市が発展していき、分権化した状態が続きます。

 

それでは、ローマ教会ともつながりの強かった神聖ローマに焦点を当てて見ていきましょう。

 

オットー1世による神聖ローマ帝国の成立

(オットー1世:wikiより)

東フランクの王オットー1世は、レヒフェルトで東方から来たマジャール人と戦い勝利します。オットー1世はキリスト教世界を守ったとしてローマ皇帝の位を教皇から授かります。この「皇帝」というのはイタリア王と東フランク王を兼任するという意味でした。

 

そして、最初は単に「帝国」と呼ばれていましたが、12世紀ころから「神聖帝国」「神聖ローマ帝国」と呼ばれるようになりました。

 

ちなみに、神聖ローマ帝国で有名な皇帝としてホーエンシュタウフェン朝第3代ローマ皇帝たるフリードリヒ2世がいます。薬剤師の法を作ったり、第六回十字軍にでたりと意外と有名なので覚えておきましょう。

イタリア政策

(ロンバルディア同盟と神聖ローマのパルマの戦い:wikiより)

神聖ローマ帝国の皇帝たちは、ローマの名に対するこだわりから、イタリアに干渉するために戦争を繰り返しました。これをイタリア政策と言います。そして、これを嫌った北イタリア諸都市がロンバルディア同盟を結成します。都市同盟についてはこちらの記事を見てください。

 

その一方、肝心のドイツ統一はおざなりにされました。ドイツでは貴族たちの領地が自立し、神聖ローマ帝国内に領邦国家とよばれる小さな国がたくさん出来ます。それにより権力闘争が激化していきます。

 

イタリアも神聖ローマ帝国の干渉のせいもあって、統一国家が出来ません。ドイツやイタリアが統一されるのは19世紀になってからでした。

選帝侯による皇帝選挙

(七選帝侯:wikiより)

神聖ローマ帝国ですが、皇帝の力が強く全てを統治していた訳ではなく国内の諸侯との権力争いやイタリア政策により、1256年から「皇帝」を世襲できる王権が不安定であった時代がありました。これを「大空位時代」と言います。別に皇帝が存在しなかった訳ではないので注意してください。

 

そして1356年、神聖ローマ皇帝カール4世は、皇帝位に関して金印勅書を出しました。金印勅書の内容は、神聖ローマ帝国内にいる大貴族や大司教7名に皇帝を選ぶ権利を与えると言うものです。つまり、選挙で皇帝を選ぶという方式です。

 

大空位時代と金印勅書の年号語呂合わせいつごろ1256)からか皇帝が空位(大空位時代)でも、100年後の1356)に金印勅書で解決。

 

皇帝選挙権を持つ7人の大貴族・大司教を選帝侯とよびます。神聖ローマ帝国では、皇帝の権威が弱まり、選帝侯をはじめとする大貴族・大司教が力を持ちます。7人いたことから7選帝侯と呼ばれます。

 

今回はここまでです。次回は、ヴァイキングについて語ることとしましょう。お疲れ様でした。

次回の記事「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ヴァイキングの活躍)【中世編第五回】

 

前回の記事はこちら

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