ヨーロッパの中世国家の流れのまとめ(ゲルマン人とノルマン人国家をまとめて解説)【世界史B】

ヨーロッパの歴史【中世編】

みなさん、こんにちは。

 

みなさんは、ヨーロッパの中世について勉強していてわかりますか?ゲルマン人とノルマン人についてそれぞれの国家について解説をしていきます。

 

私は、全くわからなかった。整理できないままなんとなくで覚えていきました。
たなか君
たなか君

 

ヨーロッパでは4〜8世紀が中世が始まると一般的に言われています。

 

今回は、ヨーロッパ中世の歴史についてまとめて行きたいと思います。

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ゲルマン民族の国家について

(クローヴィス:wikiより)

まず、376年ゲルマン民族の大移動がありました。詳しくは「【世界史B】ゲルマン民族の大移動(受験生に役立つヨーロッパの歴史)【中世編第一回】」をお読みください。

【世界史B】ゲルマン民族の大移動(受験生に役立つヨーロッパの歴史)【中世編第一回】
こんにちは。今回はいよいよゲルマン人(民族)の大移動を話をします。ゲルマン人がヨーロッパへ大移動してきたことからいよいよヨーロッパは中世に入っていきます。 ゲルマン人は、ドイツのGermanの語源ともなっていますが、今のヨーロ...

 

ゲルマン民族の動きは以下の形です。図表を使ってしっかりと覚えましょう。

民族建国先(支配地域)ヨーロッパのでの動き
西ゴートイベリア半島イスラムのウマイヤ朝が滅ぼす(711年)
東ゴートイタリア半島ビザンツ帝国により制圧(554年)→後にランゴバルドが征服
ヴァンダル北アフリカビザンツ帝国ユスティニアヌスが滅ぼす(534年)
フランクガリア北部地域フランス・神聖ローマ帝国・イタリアに分裂する(843年)
サクソンブリテンイギリスの母体となる

 

フランク王国について

ゲルマン民族の一派であるフランク人である、クローヴィスがフランク王国メロヴィング朝を建国しました。

 

ここで大事なのが、キリスト教でアリウス派からアタナシウス派に改宗したことですね。これにより、カトリックとフランク王国が結びつきます。

 

メロヴィングの宮宰の地位にあったカロリング家カール=マルテルは、イスラーム軍を732年トゥール=ポワティエ間で迎え撃ち、イスラーム国家のウマイヤ朝の軍司令官を討ち取りました。

 

その後、カール・マルテルの息子ピピンがフランク王国を乗っ取り、ラヴェンナ地域を教皇に寄進したのでしたね。

 

そして、ピピンの息子のカール大帝800年教皇レオ3世から「ローマ帝国皇帝」として戴冠されるのでしたね。

 

カロリング王朝の支配領域は以下の形です。

そして、この流れについては「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(フランク王国の成立)」に詳しく書いてあります。

【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(フランク王国の成立)【中世編第三回】
こんにちは。今回も受験生に役立つシリーズをはじめます。シリーズ第10回はフランク王国を中心とする西ヨーロッパの歴史について話します。クローヴィスからピピン、カール大帝までの歴史を振り返ります。似た名前も多いので、注意して確認しましょう。 ...

 

しかし、フランク王国は、①領土が広大すぎるので王一人で全土を維持するのが困難、②フランク人の慣習で相続は分割相続という考えから、フランク王国は分裂します。

 

S先生
S先生
フランク王国の分裂の理由は記述で出題されるので自分の言葉で書けるようにしておきましょう

 

843年ヴェルダン条約でフランク王国は東、西、中部に分割され、870年メルセン条約で中部は東西フランク王国に吸収されます

(世界の歴史マップより)

フランク王国分裂後のヨーロッパ

これにより、ドイツ、フランス、イタリアの現在の原型ができることとなりました。

 

西フランクはユーグ=カペーが国王となり、カペー朝としてフランスが成立します。

 

東フランクは、選挙王政と選挙の形で国王を決める形になりザクセン公ハインリヒ1世が出て、その息子オットー1世がマジャール人をレヒフェルトの戦い(955年)で撃退したことにより962年に神聖ローマ帝国の皇帝となります。ドイツですね。

 

中フランクであるイタリアは、イスラム教国やノルマン人、マジャール人などの侵攻により諸侯が各々分裂した状態になります。結果、神聖ローマ帝国から領土を狙われることになります。(イタリア政策といいます)

 

この流れについては「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(フランク王国分裂と神聖ローマ帝国)」を参考にしてください。

【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(フランク王国分裂と神聖ローマ帝国)【中世編第四回】
こんにちは。受験に役立つヨーロッパの歴史シリーズもようやく11回目となりました。長かったです…。とはいえ全く終わる気配が見えませんね…。しかし、一歩一歩の努力がきっと終わりにいく…はず。 今回は、前回お話ししたフランク王国が分...

ノルマン民族の国家について

(クヌート:wikiより)

次にノルマン人の国家についてです。ノルマン人は、スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人のことで、入り江の民を意味する「ヴァイキング」を指します。

 

ノルマン人の国家としては主に、ロシア、イギリスの誕生があります。ノルマン人の建てた国について以下の表でまとめてあります。

詳しい内容については「受験生に役立つヨーロッパの歴史(ヴァイキングの活躍)」を御覧ください。

【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ヴァイキングの活躍)【中世編第五回】
こんにちは。今回も受験生に役立つシリーズをはじめます。今回はヴァイキングとよばれたノルマン人たちの動きについてです。ノルマン人たちはたぐいまれな航海術を駆使してヨーロッパ各地を征服しました。 大移動した民族は地図問題でよく聞か...

ロシアについて

ロシアの前身であえるノヴゴロド公国、キエフ公国がノルマン人によって建国されます。キエフ公国最盛期の王はウラディミル1世です。

 

彼の時代に、ギリシア正教を国教とし、ビザンツ皇帝の娘と結婚して皇帝専制体制をつくりました。そして、キリル文字がつくられ、現在のロシア文字の原形となりました。

 

ちなみに、キエフ公国はモンゴルのキプチャク=ハン国の支配に入り、その後モスクワ大公国が独立しイヴァン3世がツァーリ(皇帝)という称号用いて発展していきました。

イングランドについて

イングランドは9世紀にアングロサクソン系のアルフレッド大王がノルマン人を撃退します。しかし、ノルマン人の一派のデーン人が1016年にデーン朝をクヌートの下、イングランドのみならず北海沿岸で大帝国を建国します。

 

911年ロロがノルマンディー公国を建国します。西フランクのシャルル3世に領土の一部をノルマン人の国を認めさせます。

 

そして、1042年デーン朝がアングロ=サクソン人に滅ぼされたのをきっかけにノルマンディー公国のウィリアムがイングランドを侵攻し、ヘイスティングスの戦いでアングロ=サクソン人を破り、1066年ノルマン朝を開きました。これをノルマン=コンクエストと言います。

 

以下、中世の都市についてのおおまかな地図です。イメージを持ちながら覚えていきましょう。

 

まとめ

以上、中世の国について簡単におさえました。

 

青木裕司 世界史B講義の実況中継(2) (実況中継シリーズ) 」を参考にしています。ぜひ、一読してみてください。

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