東南アジアの歴史のまとめ(前編)暗記すべき王朝一覧表つき【世界史B】

地域史

こんにちは。今回は東南アジアの歴史についてまとめ。東南アジアは中国とインドに挟まれた地域で、両地域の影響を色濃く受けました。

 

特に、元やイスラム教など他文化の影響を存分ぶうけつつ発展していきました。今回は、チャンパ王国からマジャパヒト王国までを一気に話をしていきます。そして、ヨーロッパ人たちが進出する17世紀よりも前の時代についてまとめます。

 

東南アジアの歴史について図や表もふんだんにあるのでしっかりと読んで理解していってください。特に、北ベトナム、中男ベトナム、タイ、ビルマ、マレー、ジャワ、スマトラ、マレーの29王朝の順番は出題されるので、覚えておきましょう。

 

意外と入試に出るのでしっかりと理解してまとめていきましょう。

今回の記事のポイント・ベトナム北部は長く中国王朝に支配された

・扶南の港町、オケオからローマ金貨が出土。扶南を含む国々を港市国家とよぶ

・パガン朝は上座部仏教、シュリーヴィジャヤ王国とシャイレンドラ王国は大乗仏教

・アンコール朝はカンボジアの王朝でカンボジアとベトナム南部、タイを支配

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東南アジア諸国家の成立

(チャンパ兵のレリーフ:wiki

東南アジアはインドと中国に挟まれた場所に位置し、インドシナ半島部分と多くの島々から成り立ちます。東南アジアでは稲作や焼畑農業がおこなわれ、地域ごとに国々が成立しました。

 

インドシナ半島のうち、ベトナム北部は中国王朝の支配下に置かれます。ベトナム中部にはチャム人の国であるチャンパ王国栄えました。ベトナム南部からカンボジアにかけては扶南という国ができました。扶南のオケオ遺跡からはローマ金貨が出土します。

 

チャンパなどは港市国家とも呼ばれます。

 

S先生
S先生

港市国家とは、河口などにできた港町を中心とした国家のことをいいます。内陸部は河口の港町に集められ、インドや中国などの商人に転売されました。

 

港市国家を訪れた外国人は自分たちの国の文化を伝えました。例えば、インド商人たちは仏教やヒンドゥー教を東南アジアにもたらします。中国商人は儒学や法制度などを持ち込みました。

 

7世紀後半、インドに渡った中国僧である義浄は海路、東南アジアからインドにわたりナーランダ僧院で学びました。

 

義浄はインドからの帰路にシュリーヴィジャヤ王国に立ち寄り、この地で大乗仏教が盛んに信仰されていることを記しています。詳しくは「ヴァルダナ朝と南インドの諸王朝【世界史B】受験に役立つインドの歴史(第3回)」を御覧ください。

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東南アジア社会の発展

(アンコールワット:wikiより)

11世紀に入ると、東南アジア各地で民族を単位とする国家がつくられ、独自の文字や宗教などが確立します。

ベトナム北部では李朝大越国が中国の影響下から独立します。ベトナム中部は引き続きチャンパが支配しました。ベトナム南部はカンボジアのアンコール朝の支配下です。

 

カンボジアでは6世紀にクメール人が真臘を建国。8世紀に一時分裂しますが、802年ごろジャヤヴァルマン2世が真臘を統一します。アンコール=トムなどが建設されました。

 

12世紀に入るとスールヤヴァルマン2世が領土を拡大します。アンコール=ワットを建設するなど繁栄を誇ります。

 

インドシナ半島西部のミャンマーでは、ビルマ人のパガン朝が成立させます。パガン朝では上座部仏教が信仰されました。

 

マレー半島やスマトラ島では7世紀以来、パレンバンを都とするシュリーヴィジャヤ王国が勢力を保っていました。8世紀、隣のジャワ島ではシャイレンドラ王国が成立。大乗仏教信仰にもとづき、ボロブドゥールを建設します。

元の侵攻とイスラーム化の始まり

13世紀、元の皇帝フビライは東南アジアにも兵を送り領土拡大をはかりました。元軍の攻撃を受けビルマのパガン朝は滅亡します。詳しくは「【世界史B】モンゴル帝国と元(受験に役立つ中国史)」を読んでください。

 

しかし、李朝にかわってベトナム北部を支配した陳朝大越国やチャンパ王国は元の侵攻を退けました。ジャワ島のシンガサリ王国の攻撃も失敗に終わります。陳朝大越国ではチュノム(字喃)がつくられました。

 

パガン朝の滅亡後、分裂が続いたビルマでは16世紀にトゥングー朝、18世紀にコンバウン朝が成立します。両王朝ともタイに侵攻します。特にコンバウン朝はアユタヤ朝を滅ぼしました。

 

タイでは13世紀に成立したスコータイ朝以来、上座部仏教が国教とされます。14世紀中ごろ、スコータイ朝にかわってアユタヤ朝がタイを支配。カンボジアにも侵攻するなど勢力を拡大します。

 

しかし、18世紀にアユタヤ朝はコンバウン朝に滅ぼされました。コンバウン朝を駆逐し、タイにできた新王朝がラタナコーシン朝(チャクリ朝)でした。

 

ベトナムでは陳朝のあと、一時的に明が支配しますが15世紀前半に黎朝が明から独立しました。中部ベトナムのチャンパを滅ぼしました。

 

13世紀末、マジャパヒト王国が成立しインドネシアからマレー半島にかけて支配します。マジャパヒト王国はヒンドゥー教の王国です。よく、ひっかけ問題でイスラーム教国として出題されるので注意しましょう。

 

14世紀、イスラーム化したインドから伝わったイスラーム教はインドネシアやマレー半島などを中心に広がります。特に、マレー半島にできたマラッカ王国は中継貿易で繁栄しました。

 

東南アジアの王朝全てを一気に暗記

受験において東南アジアの王朝について並び替えや違う地域の仲間はずれを選ばせる問題が頻出されます。そこで、東南アジアの王朝を一気に暗記する必要があります。

 

今回は東南アジアの王朝29個を記載しましたので一気に地域ごとに暗記していきましょう。

(東南アジアの地域名)

それでは、東南アジアの王朝をまとめます。覚えるべき事項を王朝の名前の隣に書いておきました。しっかりと暗記しましょう。

北ベトナム中南ベトナムカンボジアタイビルマスマトラジャワマレー
ドンソン文化林邑扶南:オケオ遺跡でローマ金貨ドヴァラバティピューシュリービジャヤ:大乗仏教、義浄シャイレーンドラ:ボロブドゥール、大乗仏教マラッカ(→ボルトガル植民地)
安南環王真臘(→仏領インドシナ):アンコール=トム、アンコール=ワットスコータイ:上座部仏教パガン:上座部仏教アチェ(→オランダ植民地)古マタラム
李朝占城アユタヤトゥングー:アユタヤ朝滅ぼすクディリ
陳朝:字喃ラタナコーシン(独立維持)コンバウン(→英領インド帝国)シンガザリ
黎朝マジャパヒト:ヒンドゥー教
西山(タイソン)マタラム(東)・バンテン(西→オランダ領)
阮朝(→仏領インドシナ)

まとめ

中国とインドの中間に位置する東南アジアは、両地域から大きな影響を受けました。その中で、10世紀ころを中心に、各地で民族ごとの国が成立します。

 

近年、主要地域だけではなく東南アジアも含む周辺史の出題割合が増加傾向にありますので、主要地域の学習を終えた受験生は9割越えを目指し、周辺史もしっかり押さえましょう。

 

次回は、植民地時代「東南アジアの歴史(植民地時代から現代まで)」を記載します。しっかりと理解していきましょう。

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