アフリカの歴史のまとめ(クシュ王国からマリ王国、モノモタパ王国まで)【世界史B】

こんにちは。今回は世界史Bのアフリカの歴史について述べていきます。従来、世界史の試験でアフリカについてはヨーロッパによる植民地化にスポットが当たりがちでした。

 

しかし、近年は植民地化される以前のアフリカ史についても注目が高まっています。今回は、大航海時代以前のクシュ王国からモノモタパ王国までアフリカの歴史についてまとめます。

 

この記事のポイント・スーダンに成立したクシュ王国はエジプトを支配。アッシリアに敗れメロエに後退

・エチオピアに成立したアクスム王国はクシュ王国を滅ぼした

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クシュ王国とアクスム王国(イスラーム勢力進出前のアフリカ史)

(クシュ王国のピラミッド:wikiより)

現在判明しているアフリカでもっとも古い国はスーダンに成立したクシュ王国です。最古の黒人王国だといわれています。紀元前747年頃には、クシュ王国がエジプトを征服して繁栄しました。

 

紀元前6世紀、クシュ王国はアッシリアの侵攻を受けてエジプトを放棄します。ナイル川上流に後退します。その後、クシュ王国はメロエを都としたため、メロエ王国とも呼ばれます。

 

紀元前後、アラビア半島からエチオピア高原に進出した人々がアクスム王国を建国しました。アクスム王国はキリスト教の国です。350年頃、アクスム王国はクシュ王国を滅ぼしました。

マリ王国やソンガイ王国(イスラーム勢力の王朝)

(マンサムーサ王:wikiより)

7世紀前半、ムハンマドが開いたイスラーム教は、アラビア半島から周辺地域に拡大します。ウマイヤ朝は北アフリカを制圧し、イスラーム帝国の一部としました。

同じころ、サハラ砂漠の南に位置するニジェール川流域ではガーナ王国が栄えました。サハラでとれる岩塩とギニア湾の金や象牙を交換する貿易によって繁栄します。11世紀、ガーナ王国はモロッコにあったムラービト朝の攻撃により衰退しました。

 

13世紀になると、イスラーム教を受け入れた黒人王国であるマリ王国が成立します。ソンガイ王国の都であるトンブクトゥは西アフリカの中心として栄えました。

 

14世紀、マリ王国のマンサ=ムーサ王は北アフリカのマムルーク朝と交流します。マンサ=ムーサ王がメッカに巡礼に赴く際、エジプトのカイロで大量の金を使ったため、カイロの金相場が大暴落する事件がおきました。イブン=バットゥータの訪問でも知られます。

 

15世紀、マリ王国を滅ぼして成立したのがソンガイ王国でした。ソンガイ王国はトンブクトゥにイスラーム教の大学を建設します。ソンガイ王国もガーナ王国、マリ王国と同じく金と岩塩の交易で繁栄しました。

アフリカ東海岸とザンベジ川流域

(大ジンバブエ遺跡:wikiより)

1868年、アメリカの狩猟家が偶然、城壁を持つ大遺跡を発見したことから、ザンベジ川流域に大都市があったことがわかりました。この遺跡を大ジンバブエ遺跡といいます。

 

また、11世紀から15世紀にかけて、モノモタパ王国が栄えていたことも知られています。大ジンバブエ遺跡とモノモタパ王国の関連は現在も議論が分かれていますね。モノモタパ王国で産出された金などの物産は港町ソファラから輸出されました。

 

また、東アフリカ一帯ではアラビア半島や北アフリカから南下してきたムスリム商人たちが商業活動を営みます。ムスリム商人たちのアラビア語と現地のバントゥー語が融合したスワヒリ語が成立し、この地域で用いられるようになります。

 

スワヒリ語文化圏となったアフリカ東海岸にはマリンディ、モンバサ、ザンジバル、キルワといった交易都市が繁栄しました。ムスリム商人はこれらの港町で金や象牙、奴隷を手に入れて他の地域に転売し利益を上げます。

まとめ

かつて、ヨーロッパ人たちから文明が存在せず得体が知れないという意味で暗黒大陸と呼ばれていたアフリカにも、数々の王国が成立していました。

 

特に、ニジェール川流域のガーナ王国、マリ王国、ソンガイ王国は従来から入試によく出る国々です。加えて、東アフリカの諸都市の場所も地図でしっかり確認しておきましょう。

 

今回の王国について簡単にまとめましたので勉強の参考にしてください。

国名年号
クシュ王国→メロエ王国BC747〜スーダン付近
アクスム王国BC350エチオピア高原
ガーナ王国←ムラービト朝による攻撃AD7世紀ニジェール川流域
マリ王国AD13世紀
モノモタパ王国AD11~15
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