エンコミエンダ制からシモン・ボリバルまで&メキシコ独立も解説【世界史B】(ラテンアメリカ史②)

地域史

こんにちは。今回は南北アメリカの文明の続きについて述べていきます。大航海時代にスペインなどのヨーロッパ諸国に中南米はエンコミエンダ制やアジェンダ制により征服されます。

 

その後、アメリカ独立戦争などの影響によりトゥサン=ルヴェルチュールやシモン=ボリバルなどの先導のもと植民地からの独立へと進んでいきます。

 

また、中南米の中でも特に独立での争いが大きかったメキシコについてもアメリカ=メキシコ戦争からマデロの革命までを解説をしていきます。

今回の記事のポイント・征服者に支配を委任するのがエンコミエンダ制、アシェンダ制は大農園を指す。

・ハイチのトゥサン=ルヴェルチュール、大コロンビアのシモン=ボリバルが独立を先導した。

・アメリカ=メキシコ戦争で、メキシコはテキサスとカリフォルニアを失い、ナポレオン3世によるメキシコ出兵は失敗した。

・メキシコはマデロの革命でディアスの独裁政権は崩壊し、1917年の憲法制定で政治的に安定

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スペインによる植民地支配とクリオーリョの台頭

(コーヒー農園の奴隷:wikiより)

大航海時代に征服者たちによって征服された中南米諸国はスペインやポルトガルの重商主義政策により搾取されます。

特にスペインは現地の支配を征服者たちに委任。征服者による過酷な支配で多くのインディオが死に至りました。征服者に支配を委任することをエンコミエンダ制といいます。

 

17世紀に入り、インディオ人口が激減すると、入植した白人が大土地を所有し農園を形成するアシェンダ制に転換しました。クリオーリョとよばれた白人たちは黒人奴隷を輸入し、農園の労働力として使役します。

 

クリオーリョたちは、アメリカ独立革命やフランス革命などの影響を受け、スペイン本国からの独立をはかりました。

植民地諸国の独立

(トゥサン=ルヴェルチュール:wikiより)

1791年、フランス領ハイチで黒人奴隷が反乱を起こします。反乱軍はトゥサン=ルヴェルチュールの指導の下、フランス軍と戦いました。1803年、ルヴェルチュールは捕らえられ処刑されますが、反乱軍はフランス軍に勝利し、1804年に独立を果たします。

 

ヨーロッパではナポレオンが敗北し、保守的なウィーン体制が始まりました。ラテンアメリカではイギリスの支援のもと、独立運動が進展します。1822年にアメリカが発したモンロー教書も、中南米へのヨーロッパの干渉を抑制する力がありました。

 

1811年から1819年にかけて、ベネズエラ出身のシモン=ボリバルはスペイン軍を相手に独立闘争を展開します。1819年に大コロンビア共和国の独立を宣言しました。

 

シモン=ボリバルと同じころ、チリ独立を成し遂げていたサン=マルティンがシモン=ボリバルと会談します。両者は考え方が合わず、協力できませんでした。

 

シモン=ボリバルは単独でスペインと戦いを継続。1824年のペルーを、1825年にボリビアを解放し、それぞれ独立させることに成功しました。

 

1826年、シモン=ボリバルはパナマ会議を開催します。ヨーロッパ諸国からの干渉を防ぐための集団安全保障を提案しましたが、話し合いはまとまりませんでした。

 

シモン=ボリバルが作り上げた大コロンビアは、領土が大きすぎたため、シモン=ボリバルの死後に分裂してしまいます。

独立後のメキシコ

(米墨戦争:wikiより)

中南米諸国の中で、最も激動したのはメキシコでした。その理由は、メキシコがアメリカ合衆国と国境を接していたからです。

 

1811年、メキシコでは神父イダルゴがスペインの植民地支配を打倒するため蜂起します。イダルゴ自身はスペインに捕らえられ殺害されますが、メキシコの独立運動はその後も継続し、1821年に独立を達成します。

 

メキシコ独立以降、国境を接するアメリカからメキシコ領テキサスへの移民が相次ぎました。1836年、アメリカ系移民たちはテキサス共和国として独立します。1845年にアメリカ合衆国に加わりました。

 

当然、メキシコはテキサスの独立やアメリカ併合に反発します。1846年にアメリカ=メキシコ戦争なりました。結果は、アメリカの勝利。メキシコはテキサスからカリフォルニアにかけての地域をアメリカに割譲しました。

 

1858年、自由主義者のフアレスが政権を掌握し、教会財産の没収や土地改革を推進しました。これに対し、保守派は反発。フアレス政権に反旗を翻しました。

 

反フアレス派を支援したのがフランスのナポレオン3世です。ナポレオン3世はイギリス・スペインと共同でメキシコに出兵。オーストリア皇帝の弟であるマクシミリアンをメキシコ皇帝の座につけました。ナポレオン3世については「19世紀のフランス(7月革命とナポレオン3世そしてパリ・コミューンの第三共和制)【世界史B】(近現代編3)」が詳しいので見てください。

 

しかし、マクシミリアンは民衆の支持を得られず、モンロー主義を掲げるアメリカもフランスの干渉に抵抗したため、メキシコ出兵は失敗に終わります。

 

1877年から1911年にかけて、ディアスが独裁政権を樹立。イギリスやアメリカの資本を導入しました。

 

1910年、ディアス打倒を掲げたマデロがメキシコ革命でディアス政権を倒し、民主化政策を推し進めます。マデロの新政権は従来の独裁政権のやり方で行こうとする右派と、社会主義勢力である左派がぶつかり、身動きが取れなくなりました。

 

この状態を見て、隣国アメリカはウェルタ将軍を動かしてクーデタをおこさせます。しかし、ウェルタが独裁傾向を示したのでアメリカはウェルタへの支援を打ち切りました。

 

1917年、マデロの後継者を名乗ったカランサを中心とする政権が成立します。民主的な内容のメキシコ憲法を制定。ようやく、メキシコの政治は安定化しました。

まとめ

中南米諸国は植民地生まれの白人であるクリオーリョたちの主導で本国から独立しました。その中心人物が大コロンビアを作ったシモン=ボリバルです。シモン=ボリバルの死後、大コロンビアは解体しました。

 

アメリカと国境を接するメキシコは、アメリカ=メキシコ戦争の敗北後、フランスの干渉などのより政治が混乱。19世紀後半にはディアスの独裁政権が成立します。

 

20世紀に入り、マデロがディアス政権を打倒し、ラテンアメリカ初の、民主主義革命を起こしました。しかし、アメリカの干渉などで政治が不安定化。1917年のメキシコ憲法制定でようやっと政治的安定を得られました。

 

前回の中南米アメリカについては「オルメカ文明とマヤ文明からコンキスタドールによるインカ帝国滅亡まで(ラテンアメリカ史①)【世界史B】」に詳しく書いてあります。

 

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