織田信長の統一過程について解説~本能寺の変まで~(入試問題付き)【日本史第39回】

中世

 

織田信長は、東海一帯に勢力を広げると足利義昭を立てて1568年に入京します。それ以降敵対勢力を次々と倒し、統一に向けての第一歩を踏み出したのです。

 

しかし1582年の本能寺の変で明智光秀の襲撃に遭い、自害を余儀なくされました。統一の夢は豊臣秀吉に受け継がれることになったのでした。

 

今回は織田信長の統一への過程について見ていきます。織田信長がしたことから本能寺の変まで説明しているので、最後までご覧ください。

 

 

この記事からわかること・信長は、1560年桶狭間の戦いで今川義元を破った。

・1568年に信長は入京を果たし、足利義昭を15代将軍に据えた。

・信長は自らにとって脅威だった一向宗の総本山、石山本願寺を屈服させた。

・1582年の本能寺の変で信長は自害に追い込まれた。

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織田信長の登場

 

(尾州桶狭間合戦:wikiより)

 

戦国大名の中でも最初に全国統一の野望をいただいた人物が織田信長でした。織田氏はもともと尾張の弱小の戦国大名に過ぎなかったのですが、そんな信長がどのようにして統一を進めていったのか見ていきましょう。

 

信長は1560年東海一帯で強い勢力を誇っていた今川義元を桶狭間の戦いで破ります。これにより、信長は東海地方での影響力を強固なものにしたのです。

 

また1567年には、美濃の斎藤氏を稲葉山の戦いで破り、岐阜城に拠点を移します。そして翌1568年に京から追われていた足利義昭を立てて入京を果たし、義昭を将軍に据えました。

 

ここから関ヶ原の戦いまでを安土桃山時代といいます。こうして信長は全国統一に向けて一歩踏み出したのでした。

 

次の項目では、信長が反抗勢力を次々と倒していく過程を見ていきます。

敵対勢力の出現

 

(長篠合戦:wikiより)

 

信長が力をつけていく一方、それを快く思わない人物もいました。その人物とは15代将軍義昭です。

 

義昭は将軍に就任したものの、政治の実権は信長に握られていました。そのことに不満を抱いた義昭は反抗勢力を集めて信長に対抗しようと考えたわけです。

 

しかし信長は彼らを次々と倒していきます。まずは1570年姉川の戦いで近江の浅井氏と越前の朝倉氏を破ると、翌1571年には比叡山延暦寺の焼き打ちを行いました。

 

続いて1573年に義昭を京都から追放して室町幕府を滅亡へと追い込みます。室町幕府の衰退から滅亡までを解説(入試問題も解説)【日本史第33回】」の記事でも室町幕府滅亡について解説しているので、ご覧ください。

 

これで終わりではありません。信長にとっての最大の敵だった、一向宗とも戦います。1574年に伊勢長島の一向一揆、翌年には越前の一向一揆を平定しました。

 

さらに強力な戦国大名といわれていた武田氏とも1575年に長篠合戦で戦い、鉄砲を大量に用いた戦法で武田勝頼率いる軍勢に勝利をおさめます。

 

そして1580年に一向宗の総本山である石山本願寺を屈服させ、宗教勢力を完全に抑え込むことに成功しました。1582年には天目山の戦いで再び武田勝頼に勝利し、武田氏を滅亡へと追い込んだのでした。

 

次の項目では信長がどのような政策を行ったのかについて解説します。

信長の施策~本能寺の変

 

(本能寺の変:wikiより)

 

 

長篠合戦で勝利した信長は1576年、安土城を築きます。

 

 

信長は新しい支配体制を作るべく、様々な政策を行ったのでした。

 

特に経済面では自治的都市として繁栄した堺を直轄領として、畿内の経済力を掌握しました。

 

1577年楽市令で、商工業者に自由な営業活動を認めたということもおさえておきましょう。

 

また関所を廃止して商品流通を盛んにしたことに加え、指出検地を実施したことも覚えておいてください。

 

指出検地は家臣などに田畑の面積や収入額を報告させるやり方で行われていました。領国内の収穫量を把握するという目的があります。

 

こうして統一に向けて着実に歩を進めてきた信長でしたが、独裁的な政治手法だったことから不満の持つ者もいました。1582年本能寺の変で明智光秀に襲われ、信長は自害することになったのでした。

語呂合わせ

ここでは、織田信長に関連する出来事にまつわる語呂合わせを5つ紹介します。

 

この時代は重要な年号が多いため、しっかり時系列を理解するためにも語呂合わせで織田信長の時代をしっかりマスターしてくださいね。

 

桶狭間の戦い:信長がいい頃(1560)見て桶狭間
信長入京:信長が京にのぼるにいい頃や(1568)
室町幕府滅亡:京追われ将軍義昭以後なみだ(1573)
長篠合戦:鉄砲隊、以後なご(1575)やかに戦する
本能寺の変:いちごパンツ(1582)の本能寺の変

 

S先生
S先生
最後の語呂合わせだけ訳わからないけど小学生に大人気の語呂合わせね。

入試問題にチャレンジ

下線部(g)についての説明として、誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選びなさい。

 

①信長は、指出検地を広く実施した。

②信長は、主要街道筋に関所を設けて、関銭の徴収を広く実施した。

③信長は、安土城下町に楽市令を出して、商工業者に自由な営業活動を認めた。

④信長は、自治都市として繁栄した堺を武力で屈服させ、直轄領とした。

 

令和2年度 国士舘大学 前期試験 日本史B 第3問 問3より)

正解:②
bは「おとろえた」が間違いです。室町時代には各地で特産物の生産が盛んにおこなわれるようになりました。例としては、三河の綿織物や美濃・但馬の紙などがあります。
詳しくは「室町時代の農業・商工業について解説(確認問題付き)【日本史第36回】」の記事をご覧ください。
cは「時宗や律宗からなる」が誤りです。林下は地方への布教に力を入れた禅宗諸派のことを指します。もしcが難しい場合は、今回学習したdの内容が正しいと判断して解き進めるとよいでしょう。

 

正解:② 信長は関所を撤廃して商品の流通を盛んにしたので、②が誤りです。

 

 

まとめ

今回は織田信長の統一への道筋を中心に見ていきました。

 

信長は急速に力をつけて様々な施策で新しい支配体制を作ることを目指したものの、志半ばで道を絶たれてしまったのでした。

 

しかし統一という夢は彼の家臣である豊臣秀吉によって実現を果たすことになります。次回以降は秀吉の時代を中心に見ていくことにしましょう。

 

前回の記事「南蛮貿易・鉄砲伝来について解説(入試問題演習付き)【日本史第38回】」ですのでよければ読んでください。

南蛮貿易・鉄砲伝来について解説(入試問題演習付き)【日本史第38回】
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次回の記事「秀吉の全国統一について解説~太閤検地・刀狩~(入試問題も解説)【日本史第40回】

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