ヨーロッパ人たちのインド進出(ポルトガルからイギリス東インド会社まで)【世界史B】受験に役立つインドの歴史 (第六回)

近代・近現代

今回は、ヨーロッパ人たちのインド進出についてです。大航海時代に世界に進出していくヨーロッパ人たち。ヨーロッパ人の進出がインドに与えた影響について述べていきたいと思います。

 

S先生
S先生

「誰が」「いつ」「どこから」「どこに」到着したか、かなり細かく聞かれる範囲です。地図とともに確認しましょう。

具体的には、ムガル帝国が北インドを中心として版図を広げる一方、ヨーロッパ人たちは統一王朝がなかった南インドに拠点を築きます。

 

ヨーロッパのインド進出については、最初にポルトガルが、のちにイギリスやフランスがインドに進出しました。流れについて押さえてください。

今回の記事のポイント・ポルトガルはインド西岸のゴアを植民地経営の拠点とした

・イギリス、オランダ、フランスは東インド会社を設立した

・イギリスはマドラス、ボンベイ、カルカッタ。フランスはシャンデルナゴル、ポンディシェリを拠点とした。地図上の位置も要注意

・プラッシーの戦いに勝利したイギリスはインド支配を進めた

ポルトガルのインド洋進出

(セ―大聖堂:wikiより)引用:

1498年ポルトガルヴァスコ=ダ=ガマの船隊がインドに到達します。ポルトガルが本格的にインド洋交易に参入してきました。ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ最南端の「喜望峰(きぼうほう)」を経て、インドのカリカットに到着しました。

 

以前、受験に役立つヨーロッパの歴史シリーズで大航海時代について記載しました。是非、ヨーロッパ史「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(大航海時代)【近代編その2】」をお読みください。

 

1509年、ポルトガルの初代インド総督となったアルメイダディウ沖海戦でマムルーク朝の艦隊に勝利し、インド洋の制海権を得ました。2代目総督となったアルブケルケはゴアを制圧します。イスラーム教徒を一掃し、ゴアをポルトガルの本拠地としました。

 

ゴアは「黄金のゴア」と呼ばれるほどの繁栄を享受しましたが、ポルトガルの衰退とともにゴアも衰退します。

ヨーロッパ諸国がつくった東インド会社

(東インド会社紋章:wikiより)

16世紀に入ると、イギリス、オランダ、フランスなどが積極的に海外進出をおこないます。そのため、これらの国々は「東インド会社」を相次いで設立しました。

1600年、エリザベス女王時代のイギリス東インド会社を設立します。インドにおける会社の大拠点はベンガルのカルカッタ、東海岸のマドラス、西海岸のボンベイである。

 

1602年にはオランダ東インド会社が、1604年にはフランス東インド会社がつくられました。日本では江戸時代の幕開けの時ですね。イギリスの東インド会社設立の前後について「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(イギリス絶対王政と二つの革命)【近代編その4】」を読んでみてください。

 

いずれの国の東インド会社も政府から東アジアでの貿易独占権を認められた特別な会社です。東インド会社は必要に応じて本国の軍事力を用い、貿易での利益を上げました。

イギリスとフランスのインド進出

(ムンバイの駅:wikiより)

ムガル帝国のシャー=ジャハーンやアウラングゼーブが統治していた時代、イギリスは南インドに着々と拠点を築いていきました。1640年、イギリスはマドラスを獲得します。さらに1661年にはボンベイを手に入れました。

 

1690年、イギリスはベンガル地方にカルカッタを建設し、インド経営の本拠地としました。カルカッタとカリカットは間違えやすいので要注意ですね。

 

フランス東インド会社は一時衰退しますが、1664年に復活します。ベンガル地方のシャンデルナゴルやインド南部のポンディシェリを獲得しイギリスに対抗しました。

イギリスによるフランス排除

(プラッシーの戦い:wikiより)

インド各地に拠点を設けたイギリスとフランスは徐々に対立を深めます。その背景には世界各地で植民地をめぐってイギリスとフランスが争っていたことがありました。この争いを第二次百年戦争ともいいます。

 

ちなみにイギリスとフランスの百年戦争については「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史その15(百年戦争とバラ戦争)」に詳しく書いてあります。

イギリスとフランスは南インドにあった国々の争いに積極的に介入し、自国の勢力圏拡大に努めました。

 

1744年、ヨーロッパでのオーストリア継承戦争に呼応して第一次カーナティック戦争が勃発します。カーナティックとは、南インドの東海岸一帯を指す地名ですね。

 

この時、フランスのデュプレクスが活躍し、一時、マドラスを占領しました。オーストリア継承戦争の終結に伴い、フランスはイギリスにマドラスを返還します。

 

1750年、第二次カーナティック戦争が始まりました。カーナティックの支配をめぐる争いにイギリス・フランスがまたもや介入します。フランスのデュプレクスに対し、イギリスではクライヴが軍を率いて対抗しました。フランス本国はデュプレクスの勇み足と判断し、デュプレクスを解任してしまいます。

 

1757年、ヨーロッパで七年戦争が行われていたころ、インドではイギリスとフランスの現地軍が戦闘を開始しました。イギリス軍を率いるクライヴはフランスの支援を受けたベンガル太守の軍と戦い勝利します。この戦いをプラッシーの戦いといいました。

 

プラッシーの戦いに勝利したイギリスはフランス勢力をインドから排除。イギリスによるインド支配が進むきっかけとなりました。

まとめ

ヨーロッパ人のインド進出はポルトガルによってはじめられました。ポルトガルはゴアを拠点に東南アジアやインド洋を支配しました。ポルトガルが衰退するとイギリス・オランダ・フランスが東インド会社をつくって積極的にインドに進出します。

 

オランダが弱体化する中、残ったイギリスとフランスはインドでの覇権をめぐって対立。プラッシーの戦いに勝利したイギリスがフランス勢力を追いだしてインド支配を進めました。

 

前回の記事は「【世界史B】受験に役立つインドの歴史(ムガル帝国)第五回」です。

次回の記事は「【世界史B】受験に役立つインド史(イギリスのインド支配)」です。

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