ディアドコイからパルティア、ササン朝ペルシア【受験に役立つオリエント史(アジア史) 第5回】

アジア史【古代・中世】

こんにちは。【世界史B】受験に役立つオリエント史を始めます。今回は、ディアドコイからパルティア、ササン朝までの流れを解説します。

 

前回は、マケドニアのアレクサンドロス大王が領土を拡大した話でした。具体的には「受験に役立つオリエント史(アジア史) 第4回【アッシリア、アケメネス朝ペルシア、マケドニア】」をみてください。

 

ディアドコイ(後継者たち)はアレクサンドロス大王の征服で一度は統一されたオリエント世界は、大王の死とともに分裂しました。

 

西アジアではディアドコイ諸国の一つであるセレウコス朝シリアからパルティアやバクトリアが独立しました。3世紀にパルティアを滅ぼしたササン朝ペルシアはシルクロード上の大国として繁栄します。

 

ササン朝ペルシアの王のシャープール1世とホスロー1世は必ず覚えておきましょう。

今回の記事のポイント・セレウコス朝シリアからバクトリアとパルティアが独立した

・パルティアはローマ帝国とたびたび戦った

・ササン朝で覚える王は2人。3世紀のシャープール1世と6世紀のホスロー1世です

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セレウコス朝シリアの弱体化

(ドゥラ・エウロポス:wikiより)

紀元前333年、マケドニア王アレクサンドロスは東方遠征を開始。ギリシアの宿敵、アケメネス朝ペルシアを滅ぼしました。詳しくは、「受験生に役立つヨーロッパの歴史その3(ペルシア戦争後からヘレニズム時代・文化:世界史B)」をお読みください。

 

紀元前323年、アレクサンドロス大王が33歳の若さで急死すると後継者の座をめぐって有力武将たちが争いました。この戦争をディアドコイ戦争(後継者戦争)といいます。

 

戦争の結果、アレクサンドロスの帝国はアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの3国に分裂しました。下の図をしっかりと覚えましょう。

紀元前3世紀の中ごろ、セレウコス朝シリアの西部領土がバクトリア王国、パルティア王国として独立。セレウコス朝シリアは弱体化していきました。

バクトリア王国とパルティア王国

(パルティアンショット:wikiより)

アレクサンドロス大王は東方遠征で征服したソグディアナにギリシア人を入植させます。セレウコス朝シリアの一部となっていたソグディアナのギリシア人たちは紀元前255年に独立します。現在のアフガニスタン周辺を支配するバクトリア王国を建国しました。

 

紀元前247年、イラン地域でパルティアが独立します。建国者はアルサケス。中国語で「安息」と呼ばれるようになる国の誕生でした。パルティアの首都はイラン北部にあるヘカトンピュロスにおかれます。

 

パルティアは、紀元前2世紀のミトラダテス1世の時に強大化し領土を拡大します。首都をメシポタミアにあったクテシフォンに移します。パルティアは中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの中継貿易によって繁栄しました。97年、後漢の使者甘英が到着し中国にも知られるようになります。

 

パルティアは西の大国であるローマとたびたび戦います。騎馬民族であるパルティア人の軽騎兵は逃げながら敵に弓を射るパルティアン=ショットを駆使してローマ軍を苦しめます。しかし、ローマ帝国との戦いで疲弊したためササン朝によって滅ぼされました。

ササン朝ペルシア

(ホスロー1世:wikiより)

パルティアがローマ帝国との抗争で疲弊する中、パールス地方で勢力を拡大したササン朝ペルシアがパルティアから独立しますササン朝の王アルデシール1世はパルティア軍を打ち破り、首都クテシフォンを占領します。パルティアを滅ぼしました

ササン朝はアケメネス朝ペルシアの後継者としてふるまい、ゾロアスター教国教として保護しました。ササン朝もパルティアと同じくシルクロードの中継貿易で繁栄します。

 

260年、アルメニアをめぐってササン朝ペルシアとローマ帝国が対立します。ササン朝ペルシアの王であるシャープール1世はローマ帝国に勝利し皇帝ウァレリアヌスを捕虜とします。また、東方のクシャーナ朝を圧迫し領土を拡大しました。ヴァレリアヌス帝はローマの軍人皇帝時代の皇帝です。

 

4世紀後半、中央アジアにエフタルとよばれる遊牧民国家が成立します。イランにたびたび侵入しササン朝と戦いました。484年エフタルがササン朝軍を撃破し国王を戦死させます。そのため、ササン朝は一時的に衰退しました。詳しくは「受験生に役立つヨーロッパの歴史その5(帝政ローマ:カエサル以降)」を読んでください。

 

6世紀中ごろに即位したホスロー1世は東方の遊牧民族である突厥と手をくみエフタルを挟撃します。559年エフタルを滅ぼすことに成功します。西方ではビザンツ帝国のユスティニアヌスと戦うなど領土を拡大します。ササン朝の全盛期を築き上げます。

 

ササン朝とビザンツ帝国の戦いは長期化し、両国を疲弊させます。7世紀、アラビア半島に起こったイスラーム教は急速に勢力を拡大します。ジハード(聖戦)を展開し周辺諸国を征服し始めました。

 

642年、ササン朝の領土に侵入したイスラーム軍とササン朝がニハーヴァンドで激突します。戦いの結果はイスラーム軍の勝利となります。ササン朝は体勢を立て直すことができず651年に滅亡しました。

 

暗記すべき年号651(ムゴイ)ニハーヴァンドの戦い

 

【一目でわかるササン朝ペルシアの流れ】

  • アルデシール1世:パルティアから独立してパルティアを滅ぼす
  • シャープール1世:ローマと対立。ヴァレリアヌス皇帝を捕虜。
  • 異民族エフタルの勢力が強くなりササン朝が押される。
  • ホスロー1世:エフタルを滅ぼす。ビザンツのユスティニアヌス帝と戦う。
  • 642年:ニハーヴァンドの戦いで大敗→滅亡

まとめ

旧アケメネス朝ペルシアの領土を引き継いだセレウコス朝シリアは紀元前3世紀には縮小し、バクトリア王国とパルティア王国が独立しました。

 

特にパルティアはローマ帝国とたびたび抗争しローマ軍を苦しめました。パルティアを滅ぼしたササン朝はシルクロードの中継貿易で繁栄しますが、イスラーム勢力の台頭により圧迫されます。642年のニハーヴァンドの戦いで敗れたササン朝はイスラーム帝国に飲み込まれてしまいました。

 

次回はいよいよイスラム教について入ってきます。「イスラーム帝国の成立」についてです。お楽しみ

 

なお、世界史をもっと詳しく勉強したい人は「これならわかる!ナビゲーター世界史B 2 アジア史古代~18世紀の徹底理解」がおすすめです。詳しく図入りで書いてあるのでかなりわかりやすいです。

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