【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ペルシア戦争後からヘレニズム時代・文化) 第三回

ヨーロッパの歴史【古代編】

こんにちは。今日も受験生に役立つシリーズをはじめます。今回はペルシア戦争後からヘレニズム時代やディアドコイ戦争までの流れをヘレニズム文化を踏まえてお話していきます。

 

前回のお話でペルシア戦争で勝ったギリシア、特にアテネでは民主主義が絶頂期を迎えました。アテネといえば、パルテノン神殿が有名ですよね。崩壊していたパルテノン神殿が再建されたのもペリクレス時代でした。

 

しかし、アテネの絶頂も長く続きません。スパルタとのペロポネソス戦争に敗れたからです。

 

混迷するギリシアを統一したのは、ギリシア北方にあったマケドニアでした。ギリシア人を率い、ペルシア帝国を飲み込んだのがアレクサンドロス大王です。今回は、アテネの衰退とヘレニズム時代を作り上げたアレクサンドロス大王を中心に紹介します。

 

ちなみに、前回は「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ギリシア~ペルシア戦争)」について語りました。まだ読んでいない人は是非読んでください。

アテネの没落

ペルシア戦争に勝利したアテネやギリシアのポリスは絶頂期を迎えました。特にアテネではペリクレスが指導する民主制の絶頂期を迎えます。

 

しかし、ペリクレス時代の末期、アテネはスパルタとの全面戦争であるペロポネソス戦争に敗れ没落しました。ギリシアの覇権はスパルタ、テーベへと移ります。ここでのポイントはペロポネソス戦争。しっかり理解しましょう。

ペリクレス時代について

(ペリクレス像)

ペリクレス時代のポイントは一つ。彼の時代がアテネの絶頂期だったということ。将軍職以外は全て抽選制で、市民なら誰にでも政府の要職に就く機会が与えられました。

 

ちなみに、ペリクレス自身は抽選の例外である将軍職について、アテネの政治を指導します。また、両親ともアテネ生まれのもののみがアテネ市民であるとする法律も定められました。

ペロポネソス戦争

ペリクレス時代の末期の紀元前431年、アテネとスパルタは全面戦争に突入。ペロポネソス戦争が始まりました。アテネの覇権を快く思っていなかったスパルタがペロポネソス同盟を結成し、戦いとなります。

 

アテネは籠城戦を選択しますが、これが凶とでます。アテネ市内で疫病が蔓延し指導者ペリクレスを失ってしまいました。戦争は長期化しますが、結局、アテネの敗北で幕を閉じます。

テーベの覇権

(エパミノンダス像:wikipediaより)

アテネの敗北後、スパルタが覇権を握りますが長く続きませんでした。有力ポリスの一つであったテーベがスパルタと戦争状態に突入します。テーベの将軍エパメイノンダス(エパミノンダス)は紀元前371年のレウクトラの戦いでスパルタ軍に勝利しました。しかし、テーベの覇権も長く続かず、ギリシアは混乱状態となりました。

ヘレニズム時代

混乱していたギリシアをまとめたのはギリシア北方にあったマケドニアでした。フィリッポス2世が土台を作り、アレクサンドロス大王が東方世界を一気に征服します。

 

ギリシアからインダス川流域までギリシア風の文化、ヘレニズム文化が広がりました。フィリッポス2世とアレクサンドロス大王の違いに注目です。

フィリッポス2世 

ギリシアの北にあったマケドニアはギリシアのポリスから「バルバロイ」(野蛮人)扱いをされます。理由はポリスを作らなかったからです。その評判をひっくり返したのがフィリッポス2世した。

 

フィリッポス2世は金山を手に入れ強い重装歩兵軍団を編成。ギリシアに乗り込みます。紀元前338年カイロネイアの戦いでフィリッポス2世はアテネ・テーベを撃破します。

 

カイロネイアの戦いの後、マケドニアは自らを盟主とするスパルタ以外の全ポリスを参加させるコリントス同盟を結成しました。しかし、紀元前336年にフィリッポス2世は暗殺されてしまいます。そこで、その息子アレクサンドロス大王が出てきます。

 

スパルタが入らなかったのは、スパルタがもしマケドニアが攻めてきても徹底抗戦するという意思表明をしたので入りませんでした。ただし、メガロポリスの戦いの後、スパルタは強制的にコリントス同盟に加入させられることになります。

アレクサンドロス大王

(イッソスの戦い)

アレクサンドロスは子供のころから素晴らしい家庭教師をつけられていました。彼の家庭教師は何とアリストテレス。ギリシア最高レベルの哲学者ですよね。

 

父のフィリッポス2世は、アレクサンドロスをじっくり育てようと思ったのでしょうが、実際はフィリッポス2世の急死により20歳でマケドニア王となりました。

 

歴史には、時々、戦争の天才が現れます。アレクサンドロスもその一人でしょう。紀元前335年、アレクサンドロスはペルシア帝国打倒の軍を進めます。彼の軍事行動を東方遠征といいますよ。アレクサンドロスは紀元前333年のイッソスの戦いでダレイオス3世を撃破。紀元前330年には大国アケメネス朝ペルシアを滅ぼします。アケメネス朝ペルシアについては「受験に役立つオリエント史(アジア史) 第4回【アッシリア、アケメネス朝ペルシア、マケドニア】」を読んでください。

 

アレクサンドロス大王のポイントは3つ。

  • 集団結婚の実施
  • 通語であるコイネーの使用
  • 各地にアレクサンドリアを建設

したことの3点です。

 

地図問題や正誤問題では、彼の領土の東端が聞かれます。ガンジス川ではなくインダス川なので要注意です。

ディアドコイ(後継者たち)について

東方から帰ったアレクサンドロスは33歳で急死します。彼の死後、部下たちが後継者(ディアドコイ)の座をめぐって互いに争いました。大王の帝国はアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアに三分割されます。

 

セレウコス朝シリアが弱まると、イラン方面にパルティア、中央アジアにバクトリアがそれぞれ成立します。ディアドコイは地図問題でよく出題されるので注意しましょう。

ヘレニズム文化の特徴

(ミロのヴィーナス:アンティオキアのアレクサンドロス作/リーヴル美術館蔵 Wikipediaより)

ヘレニズム文化は色、自然科学分野の人物名とキーワードの一致、二つの哲学流派の区別が良く出題されます。しっかりとこの時代の文化史を押さえていきましょう。

ヘレニズム文化の特色

ヘレニズム文化=ギリシア文化+オリエント文化。ポリスの枠を超えた世界市民主義(コスモポリタニズム)が特色です。中心地であるエジプトのアレクサンドリアにはムセイオン(王立研究所)がつくられました。

 ヘレニズム文化での自然科学

ヘレニズム文化での自然科学分野では人物名とキーワードの結びつきが大切。エウクレイデス幾何学、アルキメデス浮力、てこの原理。アリスタルコスの地球の自転と公転(太陽中心説)、エラトステネス地球球体説

エウクレイデスとアルキメデス、アリスタルコスとエラトステネスを間違える人が多いので要注意

 ヘレニズム時代の哲学

二つの哲学流派、ストア派エピクロス派の違いに着目しましょう。

 

ストア派は禁欲主義。心の平安を求めました。エピクロス派は快楽主義。肉体に苦痛がないことや精神的快楽を求めます。

 

ストア派はローマ時代の哲学者であるセネカと皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌス(著書に「自省録」があるのも注意)の二人を覚えておきましょう。

次回のお話はこちら

HIMOKURI
1970.01.01
HIMOKURI
https://wearewhatwerepeatedlydo.com/european-history04

前回までの記事はこちら

 

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