こんにちは。今回は朝鮮半島の歴史について、朝鮮国の建国から戦後の韓国までの歴史を一気に行います。
朝鮮国が建国された後、江華島事件と日朝修好条規から、甲午農民戦争があり、1910年、韓国は日本に併合され、朝鮮は日本の植民地になります。戦後、朝鮮半島は朝鮮戦争により北緯38度線を境に南北で分離独立します。1950年に始まった朝鮮戦争でも南北分断は解消されませんでした。
意外と入試にも出るので覚えておきましょう
今回覚えておきたいポイント・朝鮮王朝の建国者は李成桂。首都は漢城。支配者層は両班
・世宗の時、訓民正音(ハングル文字)を公布
・壬申・丁酉の倭乱で李舜臣が活躍
・朝鮮は日朝修好条規で開国
・壬午軍乱、甲申事変は清の優位。日清戦争の勝利で日本は清を朝鮮から排除
・日露戦争後、韓国併合条約を結び朝鮮半島を植民地化
・北緯38度線を挟んで韓国と北朝鮮が独立。1950年に朝鮮戦争を戦う
・朴正煕はクーデタで政権を掌握。軍の力を背景とした独裁政治を実行
・朴正煕は日韓基本条約を結び日本から経済援助をひきだし、韓国経済の成長を達成
朝鮮国の建国
(崇礼門:wikiより)
1392年、倭寇討伐で名を上げた李成桂が朝鮮国を建国。都を現在のソウルにあたる漢城に置きました。朝鮮国では朱子学を官学化し、朱子学に基づいた政治を目指します。朝鮮国の支配者層は高麗に引き続き、両班(ヤンバン)でした。
1446年、4代国王の世宗のとき、朝鮮語に対応した訓民正音(ハングル)が公布されるなど、民族文化を尊重する動きがありました。しかし、両班たちはあくまでも漢字を正式な文字として使用し続けます。
16世紀にはいると、両班の中で激しい権力闘争が始まり国政が停滞しました。そのタイミングで豊臣秀吉が朝鮮出兵を行います。朝鮮では壬申・丁酉の倭乱などといいますね。戦いは李舜臣の活躍や秀吉の死などにより日本軍の撤退で幕を閉じます。
1637年、中国東北地方を支配していた清は朝鮮を圧迫。清の属国としました。以後、清が朝鮮の宗主国となります。
2.朝鮮の開国と日清戦争(江華島事件から甲午農民戦争まで)
(江華島事件:wikiより)
19世紀にはいると、外戚が政治を独占する勢道政治が行われ官僚たちの風紀が乱れました。民心は朝廷から離反し、1811年には貧農らを中心とした洪景来の乱がおきます。
19世紀中盤から後半にかけて、欧米列強は朝鮮に圧力をかけ始めます。このとき、政権を握っていた国王の父である大院君は強硬な鎖国・攘夷政策をとりキリスト教徒の殺害などをおこないました。1873年、国王の妃である閔妃がクーデタで政権を奪取します。
1875年、江華島の砲台が日本軍艦を砲撃する江華島事件が勃発しました。これを機に、1876年、日本は朝鮮に圧力をかけ日朝修好条規を締結します。この条約は日本に有利な不平等条約です。
日朝修好条規の語呂合わせいや(18)なろ(76)日朝修好条規
1882年、閔妃一族に政権を奪われた大院君は壬午軍乱を起こし、閔妃を排除します。大院君が一時的に政権を取りました。しかし、宗主国の清と日本はともに出兵。清が反乱軍を鎮圧し大院君を清に連行しました。閔妃は清を頼みとするようになります。
1884年、閔妃や清の駐留軍に反発した金玉均らの独立党は閔妃ら事大党の政権に対しクーデタをおこします。清の駐留軍は金玉均や彼を支援する日本軍を排除。金玉均は日本に亡命し、クーデタは失敗に終わります。
1894年、朝鮮で起きた甲午農民戦争を発端として日清両国が朝鮮半島に出兵。両軍が衝突し日清戦争が始まりました。戦いは日本有利に展開します。下関条約で清は朝鮮の宗主権を放棄。朝鮮は独立国とされました。
1897年、朝鮮は大韓帝国と国号を改め自立の道を模索します。
3.朝鮮の植民地化
(朝鮮総督府: wikiより)
1904年から1905年にかけて日露戦争が起きました。この時、日本は大韓帝国と第二次日韓協約を締結。韓国の外交権を奪い保護国化。韓国に統監府を設置し、伊藤博文が初代統監となります。
1907年、韓国皇帝の高宗がハーグに密使を送ります。外交権がないはずの韓国皇帝が勝手に外交活動を行ったとされ、高宗は退位に追い込まれます。日本は第三次日韓協約を締結します。韓国から内政権を奪い、軍隊を解散させました。
日本の行動に反発した元軍人たちは各地で義兵闘争を展開します。また、統監の伊藤博文の暗殺事件も発生しました。
1910年、韓国併合条約が締結されます。朝鮮半島には朝鮮総督府が置かれ日本の植民地となりました。これに反発した人々が三・一独立運動を展開しますが日本に鎮圧されます。以後、1945年まで朝鮮半島は日本の植民地でした。
4.朝鮮戦争と日韓基本条約
1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏すると北緯38度線を境に北をソ連が、南をアメリカが占領します。その後、米ソの冷戦が激しくなるにつれ朝鮮半島を一つの国として独立させることが困難となりました。
1948年8月、朝鮮半島南部に李承晩を大統領とする大韓民国(韓国)が成立。翌9月には朝鮮半島北部に金日成を首席とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立します。
1950年6月、北朝鮮軍が突如として38度線を突破し韓国に侵攻。朝鮮戦争が始まりました。一度は南端の釜山に追い詰められた韓国軍はアメリカ軍を主体とする国連軍の支援で北朝鮮軍を追い払い、中国国境に追い詰めます。
ところが、1950年10月に入り、中国から「義勇軍」が参戦。韓国軍と国連軍を北緯38度線まで押し戻しました。戦いは38度線で膠着し、1953年に停戦協定が結ばれます。
1961年、韓国で朴正煕がクーデタをおこし軍事政権を樹立。軍の力を背景とした独裁政治を行いました。朴正煕は1965年に日本と日韓基本条約を締結し経済支援を引き出します。その結果、韓国は「漢江の奇跡」とよばれる高度経済成長を達成しました。
朴正煕の政治手法は開発独裁とよばれるもので、政権と関係の深い企業が財閥として成長します。1979年、朴正煕は夫人とともに暗殺され朴政権は終焉を迎えました。
まとめ
李成桂が朝鮮国を建国して以来、500年にわたって朝鮮王朝の時代が続きました。朝鮮国の政治は両班が独占し、朱子学にのっとった政治をおこないます。
19世紀に入ると鎖国・攘夷政策をとりますが、日本の圧力により開国を余儀なくされます。その後、日清戦争・日露戦争を経て朝鮮は日本の植民地とされました。
戦後、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分かれて独立。1950年に朝鮮戦争が起きますが、南北統一はできませんでした。1960年代から70年代にかけて政権を握った朴正煕は軍の力を背景とした政治を実行。日韓基本条約の締結をてこに韓国経済を急成長させます。
前回の記事「中国の朝鮮半島支配~高麗の歴史まで【朝鮮史その1】」をまだ読んでいない人はぜひとも参考にしてください。
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