【世界史B】宋代の社会・経済・文化【受験に役立つ中国史】

中国の歴史

こんにちは。今回は受験に役立つ中国史として宋代の社会・経済・文化について記載ししていきます。宋の時代は中国の歴史の中でも経済が非常に発達した時代です。

 

特に、江南の発展が著しく進展したのも宋の時代でした。また、宋代の社会・経済・文化の中心となったのは士大夫とよばれるエリート層です。今回は宋代の社会・経済・文化についてまとめます。

 

今回の記事のポイント・宋の都、開封は自由に活動できる経済都市として発展

・農村では新興地主の形勢戸が佃戸を使って大規模経営

・宋代に江南の開発が急ピッチで進み、「蘇湖熟すれば天下足る」といわれた

・儒教的素養を持った士大夫は地域社会のリーダーとしても活躍

・宋の文化では儒学が出題頻度ナンバー1、資治通鑑や宋磁、全真教なども要注意

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宋代の都市と農村

(清明上河図:wikiより)

宋の時代は都市が大きく発展した時代でした。大都市の代表として取り上げられる唐の都、長安は国際色豊かな都市でしたが、夜間の営業禁止や都の中の決められた場所でしか市が開かれないなど規制の多い都市でした。

それに対し、宋の都である開封は、深夜営業も市の場所の自由に決めることができました。また、商人の同業組合である「行」や職人の同業組合である「作」の力が強く、商工業は彼らに独占されます。

 

経済活動の活発化に伴い、銅銭の流通量も激増しました。宋代には燃料として石炭から作るコークスが使用されたため、高火力で鉄や銅を製錬することが可能となります。鉱工業生産力の増大により、鉄製品や銅銭の大量需要に対応することができました。

 

農村では唐代に行われた均田制は完全に姿を消し、形勢戸とよばれる新興地主が多くの土地を所有します。形勢戸の下で働く農民たちは佃戸(でんこ)とよばれました。

 

農業技術も大きく進歩します。水をくむための竜骨車や鉄製農具が普及したからです。また、干害に強く短期で熟成する占城稲の導入や江南での二毛作・二期作が普及しました。

江南の開発

(長江下流域:wikiより)

長江の下流域を江南といいます。特に、宋の時代以降は「蘇湖」、あるいは「江浙」とよばれました。

 

江南地域の開発は春秋戦国時代から始まります。戦国の七雄のうち「楚」が江南に拠点を置いた王朝でした。魏晋南北朝時代には南朝の本拠地が江南の建業(建康)に置かれます。

 

隋の時代、煬帝は北京と杭州をつなぐ大運河を建設しました。これにより、江南の穀物が華北に運ばれるようになりました。また、唐代には中国南部沿岸でイスラーム教徒などとの海外貿易が発展します。

以前、受験に役立つ中国の歴史シリーズで魏晋南北朝時代と隋唐帝国について記載しました。是非、中国史第4回「魏晋南北朝」や第5回「隋唐帝国と唐代の文化」をお読みください。

 

宋の時代になると江南の開発はますます進みました。その結果、江南地域は「蘇湖熟すれば天下足る」とまで言われるほどの穀物生産拠点となります。また、南部沿岸地帯では1年に2回米を収穫する二期作も行われるようになります。

 

宋代の文化については東京大学東洋文化研究所報告「宋代江南経済史の研究」に詳しく記載されています。詳細なデータとともに史料の価値の高い形の報告で、研究者になりたい人は一度読んでみるといいかもしれませんね。

宋代の文化と士大夫

(桃鳩図:wikiより)

宋の時代は士大夫とよばれる有力者が活躍した時代でした。士大夫の多くは大地主である形勢戸の出身です。経済力を持つ形勢戸は一族の子弟を科挙に合格させ官僚としました。科挙の試験に合格するためには儒教的素養がなければなりません。

 

その結果、儒教的素養を持つ官僚や元官僚たちで構成される「士大夫が生み出されました。士大夫は地域のリーダーでもあり、貧民の救済や公的文書の作成なども行います。

 

士大夫たちの教養の中心は儒学でした。特に、宋の時代に流行したのが大義名分を重んじる朱子学です。そのため、朱子学は宋学ともよばれました。北宋の周敦頤、南宋の朱熹が有名です。朱熹は四書を重視しました。

 

また、儒教的価値観から書かれた歴史書として司馬光の「資治通鑑」があります。「資治通鑑」は編年体で書かれた通史です。編年体とは出来事を古い順番で記述する書き方のことです。ちなみに、人物や出来事などの列伝を項目別にまとめた歴史書は紀伝体といい、司馬遷の「史記」が紀伝体の代表とされますよ。

 

朱子学のほかにも陸九淵陽明学の源流となる心即理を説き、人間の心は理性と欲望が入り混じったものであると説きます。明の時代に同じ考えを説いたのが王陽明ですね。

 

美術の分野では院体画と文人画が流行します。院体画の名手は北宋の皇帝で靖康の変で北方に連れ去られた徽宗です。くわしくは、前回の記事「宋と北方民族」を参照してください。ちなみにこの見出しの「桃鳥図」も徽宗の作品です。文人画の代表は牧谿(もっけい)。牧谿の「観音猿鶴図」は墨一色で描かれた絵で、日本の水墨画にも影響を与えました。

 

工芸品の分野では磁器の技術向上があげられます。宋磁とよばれる青磁や白磁は高温で焼成することで作り上げられた高級品。景徳鎮などで生産され、海外にも輸出されました。

 

文学の分野では唐詩と宋詩の違いに着目しましょう。唐詩は五言絶句七言律詩といった定型を重視します。格調を重んじ、原則、歌いません。宋詩では定型が崩れ、曲にあわせて歌うことが増えます。そのためか、繊細で叙情的な詩が増えました。

 

宋代の文化については、宋代史研究会という学会で研究された成果報告の書籍があります。一度よんでみてみるといいかもしれません。

 

宗教面に目を転じると、士大夫層の間で流行した禅宗や庶民の間で流行した浄土宗、華北に成立した金王朝で流行した全真教などが特徴的ですね。特に、全真教王重陽が道教をベースに儒教や仏教の内容を組み込んだことに注目です。

 

宋の文化の締めくくりとして、宋代の三大発明を紹介します。最初は木版活字印刷。金属活字ではないので要注意です。次に羅針盤。これがヨーロッパで改良され、大航海時代に活躍しました。最後は火薬。宋代には火薬を使った兵器が開発されていました。

まとめ

宋の時代はまれにみる経済発展の時代でした。形勢戸とよばれる大地主が官僚を輩出し、儒教的素養を持った官僚や元官僚が文化の担い手となりました。また、江南の開発が一気に進んだのも宋代の特徴です。豊かな経済力を背景に、宋代には華やかな文化が生まれました。絵画や文学、科学の発展などは大学入試の頻出事項なのでしっかりと整理しましょう。

前回の宋代の記事「【世界史B】宋と北方民族【受験に役立つ中国史】第7回」も合わせて読むと理解も進みます。

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