みなさん、こんにちは。世界史の受験で宗教関連が出題されるのはご存知だと思います。
しかし、各時代に「キリスト教」関連の問題が出題されるのに対し、キリスト教の歴史をひとまとめに解説している記事はあまりありません。
そこで、今回は、受験に頻出されるローマ時代から宗教改革までのキリスト教の歴史についてまとめてみたいと思います。
具体的には、原始キリスト教に始まり、ローマ帝国で国教化され分派し、ローマ・カトリック内で宗教改革したという流れをまとめて記事にしてみました。今回の記事の簡単な流れです。
各時代の細かい内容については世界史Bの記事に譲るとして、おおまかな内容について解説をしていきます。
原始キリスト教について
(コンスタンティヌス帝:wikiより)
まず、そもそもキリスト教を創設したのはイエス・キリストという人ですね。湖の上を歩いたり、水をぶどう酒にしたり、傷を治したり、死んだ後に復活すると信じられた方です。受験で、この方の名前を記述させることはほとんどないですね。
それよりもペテロとパウロは覚えておきましょう。
ペテロは、漁をしてる時に、声をかけられたイエス最初の弟子で、初代ローマ教皇とされます。
一方、パウロは元々キリスト教を迫害していましたが、ある日奇跡により方針を180度転換してキリストの伝道に努めます。多くの書簡を書き、最終的には皇帝ネロに殺害されます。
さて、そんなキリスト教ですが最初は迫害されています。例えば、64年に皇帝ネロの時代、ローマに大火が起こったときの犯人をキリスト教徒に仕立て上げ、キリスト教徒を惨殺したことがあげられます。
しかし、300年の時を経て次第に勢力を増していき、最終的には一大勢力を築き上げます。そして、ローマ教皇コンスタンティヌス帝はキリスト教を帝国の統治に利用するために313年にミラノ勅令を発布します。この会議でキリスト教迫害の廃止、教団の法人としての認知がなされキリスト教が公認されます。
ただ、キリスト教の中にも複数の派があり、それを統一する必要がありました。そこで、325年のニケーア公会議で三位一体説を主張するアタナシウス派をキリスト教の正統派としました。
詳しい話は、「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(キリスト教の成立と発展)第七回」を読んでみてみましょう。
そして、受験で覚えておきたい原始キリスト教の異端派として以下のものがあります
ネストリウス派:ササン朝ペルシア、唐に波及。中国では景教と呼ばれました。
カルケドン派:シリア、エジプト、エチオピアに波及
この後、キリスト教はギリシア正教とカトリックで分派しますがこれはアタナシウス派の中の争いと理解しましょう。つまり、現在、キリスト教はほぼアタナシウス派ということになります。
ローマ=カトリックとギリシア正教会
(カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂:wikiより)
このアタナシウス派キリスト教は、ローマを中心にするローマ・カトリックとビザンツ帝国をバックにコンスタンティノープルを中心とするギリシア正教会に分かれます。
395年、テオドシウス帝が亡くなったことでローマが東西に分割され、それに伴いキリスト教も西はカトリック、東はギリシア正教に分かれるすることになります。
726年 ビザンツ帝国の皇帝レオン3世(レオ3世)は教会において聖像を崇拝することを禁止し、聖像を破壊する聖像禁止令を命じました。
これにより、ビザンツ帝国とローマとの関係性にヒビが入ります。理由は、アリウス派を信奉していたゲルマン民族に対しアタナシウス派であるローマ=カトリックは教化のために聖像を必要としていたからです。詳しくは「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ローマ教会の歴史:成長編)【中世編第六回】」をお読みください。
1054年にはローマ=カトリックと正教会とのトップが相互に破門し合うという大シスマ(東西教会の分離)が生じカトリックと正教会の関係は決定的に分かれます。現在は、関係は修復されていますが、この時期からカトリックはローマを中心に、ギリシア正教会はコンスタンティノープルを中心に独自路線を歩んで行きます。
以下、2つの路線について述べていきます。
ローマ=カトリックの流れについて
ローマ=カトリックはフランク王国、神聖ローマ帝国と時々の政治権力と手を結び力を絶大化していきます。いわゆる教会の世俗化がすすみます。そして、聖職叙任権闘争やカノッサの屈辱などにより教会の力が絶頂に向かいます。
詳しくは、「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ローマ教会の歴史:成長編)【中世編第六回】」
しかし、度重なる十字軍の遠征及び失敗で教会の力は失墜し衰退をたどっていきます。具体的には、アナーニ事件や教皇のバビロン捕囚などで教皇の力は弱まり、1409年に教皇が2人に分裂するというキリスト教会大分裂(大シスマ)が起こります。
このあたりの詳しい話は「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ローマ教会の歴史:絶頂衰退編)【中世編第七回】」に記載してあります。
そして、教皇が力を持つ動きに対しキリスト教は聖書に戻るべきという聖書主義が14世紀〜15世紀初頭に生まれます。代表的な人物としてはウィクリフやフスがいます。ちなみに彼らは宗教改革の先駆者としてフスは火炙りになるなど弾圧を受け、ウィクリフは死後に墓を荒らされてたりしています。
そして、その100年後の16世紀に聖書重視の考え方がより定着し、宗教改革としてプロテスタントが生じます。具体的にはルター派とカルヴァン派が出てきます。
両者の簡単な違いとしては、ルターは救われるためには信仰だけで、善行も必要ないと唱えました。一方、カルヴァンは人が救われるか否かは生まれる前から神が預め計画によって決定されており、人間側の意志も努力も無関係と唱えました(予定説)。
また、支持母体として、カルヴァン派は、牧師と信徒の完全平等を主張したことによりより庶民に受け入れられます。また、ルター派カルヴァンほど過激ではなく領主層の支持を得ることができました。
詳しくは「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(宗教改革)【近代編その3】」を御覧ください。
一方、カトリックは教会制度としてローマ教皇をトップとするヒエラルキーが階層として存在しました。
ちなみに、イギリス国教会も聖書を中心とした教義ということでプロテスタントと見られますが、創始者ヘンリ8世はカトリックでしたが、離婚をしたいということでカトリックに対抗するために聖書中心を利用したもののヒエラルキーは否定せず教皇の代わりにイギリス国王がトップに立つという教義をうちたてました。
こうした流れを受けて、カトリック側は、1545年トリエント公会議を開きます。そして、プロテスタントに対抗するために海外への布教活動へと活路を見出します。その中で利用したのがイエズス会です。
また、大航海時代真っ最中のスペイン、ポルトガルとタイアップして世界中に布教活動を行います。
ギリシア正教会について
一方、コンスタンティノープルを中心とするギリシア正教はビザンツ帝国とともに反映していきます。ビザンツ帝国については「ビザンツ帝国(東ローマ)の誕生から滅亡まで(地図解説あり)【世界史B】」を御覧ください。
そのご、ギリシア正教はセルビア、ルーマニア、ブルガリア、ロシアに広がっていきました。日本では函館にあります。
正教会は十字架が聖十字であるのが特徴です。
まとめ
いかがだったでしょうか。キリスト教の歴史は出題が多いにもかかわらず意外とぶつ切りに覚える人が多いので流れをまとめてみました。
各時代しっかりと理解して勉強をすすめていってください。
より体系的に理解したい人は「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた」を参考にしてみてください
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