シリア問題をわかりやすく簡単に解説(入試問題つき)【国際政治】

みなさんこんにちは。

シリア問題って理解していますか?

よくわからない割に入試問題に出てきたりして困っています。
たなか君
たなか君

こういう受験生が意外と多いと思います。

 

今回は、シリア問題についてわかりやすく簡単に解説します。また、解説を踏まえて入試問題もありますのでぜひ、チャレンジしてみてください。

 

最後に、より現代史が詳しく勉強した人におすすめの参考書も記載しておいたので是非参考にしてみてください。

 

それでは、シリア問題について解説していきます。

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シリア問題とは?

シリア問題とは、シリアで起きたアラブの春から続く、2011年から続くシリア政府軍とシリアの反体制派及びそれらの同盟組織などによる内戦のことを指します。

 

きっかけは2010年のチュニジアの「ジャスミン革命」の端を発する「アラブの春」の民主化運動の影響を受けて、シリアの長期政権であるアサド政権に内戦を起こしたことがきっかけです。

 

イスラム教シーア派を主とするアサド政権政府軍に対し、スンニ派を中心とした反政府軍による抗議運動はシリア全土に広がり、内戦になりました。

 

そこに、イスラム国などが介入し、内戦が続いている状態です。難民も相当多く出て、未だ解決が見えていません。

 

それでは、そもそもシリアの地理的歴史的流れを見てみましょう。

シリアの場所は?歴史的な流れを解説

シリアは、現在「シリア・アラブ共和国」といい、中東のレバントに位置する共和制国家です。

 

交通の要所ということもあり、古代ではヒッタイト、アケメネス朝、マケドニア(セレウコス朝)などの支配を受けた地域でした。

 

7世紀のイスラム王朝であるウマイヤ朝(661-750年)がダマスカスに都を置くことでイスラム文化の中心地として栄えましたが、続くアッバース朝が都をバクダッドに移すことで重要性は薄まっていきました。

 

このあたり詳しくは世界史の記事「ムハンマドのイスラム教成立から正統カリフ時代、ウマイヤ朝とアッバース朝まで【受験に役立つオリエント史第六回(世界史B)】」をご確認ください。

ムハンマドのイスラム教成立から正統カリフ時代、ウマイヤ朝とアッバース朝まで【受験に役立つオリエント史第六回(世界史B)】
こんにちは。今回も【世界史B】受験に役立つオリエント史シリーズをはじめます。今回はムハンマドが開いたイスラーム教の成立の過程とムハンマドの子孫が納めた正統カリフ時代、及びその後のウマイヤ朝とアッバース朝まで話をします。 6世紀後半、アラビア...

 

ちなみに、16世紀以降はオスマン帝国の領土となるも、20世紀初頭にイギリス、フランスの植民地になり、1946年に独立するという経緯を辿っています。

シリア内戦が起こった背景とは?

それでは、シリア問題の背景について歴史的にみていきましょう。

 

きっかけは結論から言うと「アラブの春」という民主化運動の動きです。

アラブの春とは

2010年12月にチュニジアで暴動が起こりました。

 

ジャスミンがチュニジアを代表する花であることからジャスミン革命と名付けられました。

(ジャスミンの花)

S先生
S先生
ちなみに、革命後、チュニジアの物価は高騰しており、また若者の失業率は43パーセントに跳ね上がり、経済が大混乱になりました。

この、ジャスミン革命は、アラブ世界において前例にない大規模反政府デモが波及していき、チェコで起こった「プラハの春」をもじって「アラブの春」と呼ばれるようになりました。

 

このアラブの春による民主化運動がひろまった理由としては

  • TwitterなどSNSによる情報発信
  • イスラム世界の放送局アルジャジーラによる放送

 

がありました。

S先生
S先生
ちなみにアルジャジーラはイギリスの放送局なので裏で欧米世界の影響があったといわれています。

ヨルダンでは、サミール・リファーイー内閣が2011年2月1日に総辞職し、エジプトでは30年以上にわたるホスニー・ムバーラク大統領の長期政権が崩壊しました(2011年エジプト革命)。

 

さらに、カダフィ大佐による独裁体制が敷かれているリビアでは、42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊しました(2011年リビア内戦)。

 

S先生
S先生
アラブ人国家は基本的にイスラム教国家なのでイスラム世界に広がったといってもいいですね。

そして、シリアでも長期政権のアサド政権に対し、反政府運動が起こりました。これがシリア内戦の発端です。

(アサド大統領)

シリア問題の流れ

シリアの民主化運動の流れですが、イスラム教のシーア派であるアサド政権に対し、政権から虐げられていたスンニ派が中心となって抗議運動がシリア全土に広がりました(2011年)。

 

ちなみにシーア派はムハンマドの子孫アリーの血筋を重視し、スンナ派は慣例重視の派閥でした。詳しくは「ムハンマドのイスラム教成立から正統カリフ時代、ウマイヤ朝とアッバース朝まで」をご覧ください。

ムハンマドのイスラム教成立から正統カリフ時代、ウマイヤ朝とアッバース朝まで【受験に役立つオリエント史第六回(世界史B)】
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そして、アサド政権側の軍隊が抗議運動に対し武力弾圧を加えたことから自由シリア軍やヌスラ戦線という反政府組織との武力で対抗し内戦が勃発しました。

 

シリア内戦について、2014年、オバマ政権下のアメリカが介入してきました。反政府軍に協力の立ち位置でした。

 

これにより反米のロシアやイランがアサド政権側につきます。また、レバノンのシーア派過激組織である「ヒズボラ(意味:神の党)」も参戦しました。

 

S先生
S先生
実質的なロシアV.S.アメリカの代理戦争ですよね

 

そして、第三勢力としてイラクを拠点としていたスンニ派のイスラム過激派組織イスラム国(ISIS)がシリアの紛争に介入してきます。

そこで、アメリカがイスラム国掃討作戦にクルド人に協力を要請しシリア紛争に介入してもらいます。

 

S先生
S先生
クルド人とは、国家を持たない世界最大の難民といわれ3000万人〜4000万人いるといわれています。

ただ、そこにクルド人と仲の悪いトルコがシリア内戦に口を出してきます。もっともトルコは親米国ではあるので表面上は協力関係にありました。

 

ただ、クルド人の問題をめぐってはトルコとアメリカの間に多少亀裂が入ります。アメリカがトランプ時代にシリアから撤退を決め、ロシアの力が強くなっています。

 

結論、現状ではロシアの協力を得たアサド政権側が有利な状況です。

 

ごちゃごちゃしすぎてわかりずらい!!!
たなか君
たなか君

 

それでは、このシリア問題について、実際の入試問題を解いてみましょう。

シリア問題についての入試問題

(1) シリア内戦発生時のシリア大統領の名前を記せ。

(2) シリア内戦につながったといわれ、チュニジアから発生し、他のアラブ諸国に広がった民主化運動を何というか。

(3) トルコやイラクなどに居住し、しばしば分離独立運動を行っている民族で、シリア内戦ではイスラム国掃討作戦にも参加したことのあるこの民族を何というか。

ー成城大学 社会イノベーション学部(2021年)第4問

 

アサド大統領
ジャスミン革命
クルド族

おすすめの参考書

より、詳しく勉強したい人はおすすめの参考書を紹介します。

 

アラブの春を含め中東問題について「続 まんが パレスチナ問題 「アラブの春」と「イスラム国」 (講談社現代新書) 」がおすすめです。

 

かなり平易に描かれていて、パレスチナ問題まで言及されていて現代史を勉強する上でかなり役に立つ一冊です。

 

さらに、現代史全般について「世界と日本の今がわかる さかのぼり現代史 (だからわかるシリーズ) 」がおすすめです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

シリア問題について簡単に解説しました。入試問題ではこれ以上のことは基本的に問われないと考えてもらっていいでしょう。

 

しっかりと理解をしていきましょう。

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