江戸初期の鎖国と外交について解説(入試問題付き)【日本史第46回】

今回解説するのは江戸時代初期の外交です。

この時期の外交で最も重要なキーワードとして鎖国が挙げられます。幕府は、キリスト教が盛んなスペインやポルトガルからの来航及び日本人が東南アジア方面への出入国することを禁止し、貿易の規制を行いました。

この記事を通して鎖国に至るまでの流れをマスターしていきましょう。

また朱印船貿易・慶長遣欧使節・通信使についても紹介するので、ぜひ最後までご覧ください。

この記事からわかること・鎖国が始まる前の他国との関係

・鎖国の過程

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鎖国が始まるまでの過程

 

(ヤン=ヨーステン:wikiより)

日本は、安土時代以降、南蛮人が渡来しヨーロッパ文化が入ってきていました。また、天正遣欧少年使節でローマ教皇に謁見するなど交流もありました。

この時期の話については「南蛮貿易・鉄砲伝来について解説(入試問題演習付き)【日本史第38回】」に詳しくあるのでそちらを御覧ください。

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それでは、江戸時代の鎖国が始まるまでの過程について見ていきましょう。

紅毛人の来航

(ウィリアム=アダムズ:wikiより)

江戸時代の外交はオランダ人やイギリス人の来航から始まります。

スペイン人やポルトガル人を南蛮人と呼ぶのに対して、オランダ人やイギリス人は紅毛人と呼ばれました。彼らが来航したのはオランダ船のリーフデ号が豊後に漂着した、1600年のことです。そこにはヤン=ヨーステンウィリアム=アダムズが乗船していました。

ここで徳川家康が2人を江戸へ招き入れ、外交・貿易の顧問としたことをきっかけに、日本とオランダ、イギリスとの交流が始まったのです。オランダは1609年に、イギリスは1613年にそれぞれ長崎の平戸に商館を開きました。

次の項目ではポルトガル・スペインとの関係について説明します。

ポルトガル・スペインとの関係

(支倉常長:wikiより)

当時、ポルトガルとの貿易は盛んに行われていたものの、そこには大きな問題がありました。それはポルトガルの商人は中国産の生糸を日本に高値で売りつけ、大きな利益を得ているということです。

これに対処するため、幕府は1604年に糸割符制度を設けました。糸割符仲間と呼ばれる特定の商人が、輸入される生糸を一括で購入するというものです。糸割符仲間は主に京都・堺・長崎の商人で構成され、のちには江戸や大坂の商人も加わり、ポルトガル商人が高値を付けないようにしました。

また1596年のサン=フェリペ号事件とそれに伴う宣教師殺害事件である26聖人殉教により関係が悪化していたスペインとも関係を回復させました。

きっかけとなったのは、1609年にドン=ロドリゴが上総に漂着したことです。家康が彼らに対して船を与えて当時スペイン領だったメキシコ(ノヴィスパン)へと送ったことで、国交が回復しました。

ドン=ロドリゴが日本を出発する際、家康は田中勝介を同行させました。なぜでしょうか?そこにはノヴィスパンと通商をしたいという狙いがありました。

同じように仙台藩主の伊達政宗も家臣だった支倉常長をスペインに派遣しています。この使節を慶長遣欧使節といいます。しかし結局田中勝介ともども通商の目的を果たせませんでした。

朱印船貿易

(朱印状:wikiより)

豊臣秀吉の時代から日本人が海外へ渡航することが多くなりました。

江戸時代初期、幕府は海外へ渡航する商人に対して許可証を与えました。これを朱印状といいます。朱印状を携帯している貿易船を朱印船といいます。

日本からは銀・銅・鉄などを輸出した一方で、生糸・絹織物・砂糖が輸入されました。朱印船貿易で活躍した人物としては、長崎の末次平蔵・摂津の末吉孫左衛門・京都の角倉了以茶屋四郎次郎を覚えておいてください。

鎖国完成

 

(出島:wikiより)

では、ここから鎖国までの道のりを見ていきます。

そもそも鎖国に至った理由としては、キリスト教の禁教政策を行ったこと及び幕府が貿易の利益を独占しようとしたことが挙げられます。

その手始めに1612・13年と2度にわたって禁教令を出したものの、キリスト教の流入に歯止めがかからなかったことから、今度は1616年ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に限定しました。

1623年にはオランダとの競争に敗れたイギリスが日本との貿易から撤退し、翌1624年にはスペイン船の来航を禁止します。

さらに1631年には奉書船制度をスタートさせます。奉書船とは、老中奉書と呼ばれる海外渡航許可証を携帯している船のことです。1633年には奉書船以外の日本船の海外渡航を禁止し、1635年には日本人の海外渡航・帰国を禁止しました。

1637年に起きた島原の乱から2年たった1639年には、ポルトガル船の来航を禁止します。

そして1641年に平戸にあったオランダ商館を長崎の出島に移して、鎖国を完成させました。

鎖国をしたことで、来航するのはオランダ船と中国船だけになりました。幕府はオランダ船が来航するたびにオランダ商館長が提出するオランダ風説書によって海外の情報を得ていたのでした。

最後の項目では、朝鮮・琉球・蝦夷地との関係について見ていきます。

朝鮮・琉球・蝦夷地との関係

 

(通信使:wikiより)

朝鮮出兵によって関係が断絶していた朝鮮とは、1609年に対馬の宗氏が己酉約条を結びました。その後、将軍の代替わりごとに派遣されたのが通信使です。

己酉約条が結ばれたのと同じ年、琉球は薩摩の島津家久によって征服されました。それ以降、国王の代替わりごとに将軍へあいさつに来る謝恩使と、将軍の代替わりごとに就任を祝う慶賀使が派遣されました。

また蝦夷地では蠣崎氏(かきざきし)が松前氏と改称して、1604年に家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制をしきます。アイヌはこれに対抗してシャクシャインを中心に戦いをしたものの、松前藩の勝利に終わりました。

ここまでが今日の内容です。ではおさらいとして入試問題を解いて理解度をチェックしてみてください。

入試問題にチャレンジ

設問文

1600年には、豊後にオランダ船リーフデ号が漂着し、水先案内人のウィリアム=アダムズは、初めて来日した【A】人といわれている。その後、オランダと【A】は、平戸に商館を置き、日本との交易を模索していく。

徳川家康を中心に、日本側も当初はヨーロッパとの交渉に積極的であったが、スペインやローマへ派遣された支倉常長の通商交渉が失敗するなどの過程を経て、徐々に態度を硬化させていく。この使節は、出発年の元号により【B】遣欧使節とよばれている。

問1 空欄Aに該当する国名はどれか。

ア イギリス イ フランス ウ ドイツ エ ロシア オ イタリア

問2 空欄Bに該当する元号を漢字2字で記入しなさい。

2019年度 早稲田大学 文化構想学部 一般入試 日本史 大問Ⅲ 問2・問3より)

問1 ア 問2 慶長

 

いかがだったでしょうか。

この記事で学習した内容をマスターできていれば、早稲田大学の問題も解けるということが分かったと思います。今回解けなかった方も大丈夫です。

しっかりと今回の内容を復習してみてください。

まとめ

今回は江戸時代初期の外交について見てきました。

鎖国に至った背景・流れについてもう一度この記事を読み直しておさらいしてみてくださいね。最後までお読みいただきありがとうございました。

前回の記事「徳川家光の政策(参勤交代)や政治機構について解説(入試問題付き)【日本史第45回】」ですのでよければ読んでください。

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コメント

  1. […] 解答正解 ③ カンハンから朱子学を教わったのは藤原惺窩です。また朝鮮出兵によって関係が断絶していた朝鮮とは、1609年に対馬の宗氏が己酉約条を結びました。よってイには対馬藩が入ります。詳しくは「江戸時代初期の外交について解説(入試問題付き)【日本史第46回】」もあわせて参照してみてください。 […]

  2. […] 解答正解:④ 村の運営は村方三役を中心に本百姓が自治的に行っていたので、①は誤りです。また村役人(村方三役)は名主・組頭・百姓代から構成されています。苗字・帯刀は武士の特権であり、武士は村方三役には属していないので、②も誤りとなります。そして③の牛馬の死体処理や皮革産業に携わる者(=かわた)は農業や手工業にも従事しているので、③も間違いです。問1 ア 問2 慶長正解 ③ カンハンから朱子学を教わったのは藤原惺窩です。また朝鮮出兵によって関係が断絶していた朝鮮とは、1609年に対馬の宗氏が己酉約条を結びました。よってイには対馬藩が入ります。詳しくは「江戸時代初期の外交について解説(入試問題付き)【日本史第46回】」もあわせて参照してみてください。 […]

  3. […] 正解正解 ① 田沼意次は10代将軍徳川家治の時代に活躍した人物です。よってアは大岡忠相が入ります。甘藷の栽培を行ったのは青木昆陽なので、正解は①となります。正解 ③ 井原西鶴は浮世草子と呼ばれるジャンルの小説を書いた人物なので、アに入るのは近松門左衛門です。イは国姓爺合戦の内容を仮に知らなかったとしても、清がいつの時代にあったか(もしくは日清戦争はいつ起こったか)がわかれば解くことができます。日清戦争は明治時代に起きたので、イには明が入ります。正解 ② bの紀伊国屋文左衛門は、紀伊のみかんを江戸に送って利益を上げた豪商です。cの田中勝介は京都の商人で、上総に漂着したドン=ロドリゴをノヴィスパン(メキシコ)へと送った人物です。詳しくはこちらの記事「江戸初期の鎖国と外交について解説(入試問題付き)【日本史第46回】」をご覧ください。 […]

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