今回は寛永期の文化について解説します。
ここでの重要なキーワードは、朱子学・狩野派の衰退・貞門俳諧の流行です。
寛永期の代表的な学問・建築・絵画について紹介すると共に入試問題も用意しているので、ぜひ最後までご覧ください。
この記事からわかること・朱子学が幕府や藩に受け入れられ、林羅山を祖とする林家が代々儒者として幕府に仕えた。
・建築では権現造が用いられた。
・絵画の分野では狩野派が衰退し、久隅守景や俵屋宗達が登場した。
・松永貞徳の貞門俳諧が流行した。
学問
(藤原惺窩:wikiより)
それではまず、寛永期の学問について見ていきましょう。
学問の分野では朱子学を中心とした儒学が盛んになりました。朱子学とは11世紀に南宋の朱熹(しゅき)が大成した学問で、日本には鎌倉時代に伝来しています。
この朱子学は江戸幕府や藩にも受け入れられましたが、なぜ受け入れられたのでしょうか?
それは朱子学が君臣・父子の別、上下関係を重んじる学問だったからです。
京都相国寺の禅僧だった藤原惺窩が還俗して朱子学の普及に努めるとともに、彼の門人だった林羅山は徳川家康に登用されました。
それ以降、羅山の子孫は代々学問を講義する侍講(じこう)として幕府に仕え、学問と教育を担いました。つまり羅山は4代将軍家綱の時代まで侍講を務めた林家の祖となるわけです。
続いて寛永期の建築について解説します。
建築
(日光東照宮:wikiより)
寛永文化になると、家康をまつる日光東照宮に代表されるように霊廟建築が盛んになり、神社建築には権現造が用いられるようになりました。
その特徴は非常に豪華絢爛な装飾彫刻が施されたということです。それは桃山文化の影響を強く受けたものでした。
また、書院造に茶室を取り入れた数寄屋造も好まれるようになりました。代表的なものとしては、京都の桂離宮や修学院離宮が挙げられます。
では続いて絵画の分野について見ていくことにしましょう。
絵画
(狩野探幽:wikiより)
絵画の分野ではまず「大徳寺方丈襖絵」を描いた狩野探幽を覚えておいてください。
彼は狩野派から出てきた人物で幕府の御用絵師となったものの、その子孫は様式の踏襲にとどまるようになり、絵が形式化していきます。
狩野派は桃山文化の頃がピークで、寛永期には衰退へと向かっていきました。その理由は大名統制が始まったからです。1615年に一国一城令が発布され、勝手に城を築けなくなったことに加えて参勤交代が義務化されたことで出費がかさんだことから障壁画の需要が減っていったというわけです。
さらに寛永文化までは新しい建築様式が登場していましたが、以降しばらくの間は新しい建築様式は登場しませんでした。その理由も狩野派の衰退と同様に、大名統制が始まったことがきっかけでした。
狩野派に代わって登場したのは、農民の実生活を描いた久隅守景です。彼の代表的な作品としては「夕顔棚納涼図屏風」が挙げられます。
また京都では大和絵の手法を用いた俵屋宗達が現れました。彼は土佐派の画法をもとに、装飾画に新様式を生み出し、元禄期の琳派の先駆けとなりました。彼の代表的な作品として「風神雷神図屛風」もあわせて覚えておいてください。
工芸・文芸
(本阿弥光悦:wikiより)
工芸の分野では本阿弥光悦が登場します。彼の代表作としては「舟橋蒔絵硯箱」が挙げられます。
またこの頃には九州・中国地方で陶磁器生産が始まりました。朝鮮出兵の際に、大名が連れて帰った朝鮮人陶工によって登窯や絵付の技術が伝えられたことがきっかけです。
有名なものとしては有田焼・萩焼・薩摩焼があります。特に有田では磁器が作られ、酒井田柿右衛門が赤絵を完成させています。
続いて文芸の分野です。この分野では、教訓・道徳をテーマとした仮名草子が登場しました。仮名草子は室町時代から作られていた御伽草子の延長として、仮名または仮名交じりの文体で書かれているものです。
また同じ時期に俳諧も現れ、京都の松永貞徳の貞門俳諧が流行しました。
ここまでが今回の内容です。それでは最後に入試問題を解いて理解度をチェックしてみてください。
入試問題にチャレンジ
設問文
豊臣秀吉による二度の朝鮮侵略に際して多くの朝鮮人捕虜が日本に連行されたが、その結果として、捕虜により伝えられた学問や技術が日本に影響を与えたという側面もある。たとえば、藤堂高虎の軍に捕らえられ、伏見に連行された姜沆(カンハン)は、京都五山の僧であった【ア】に朱子学を教えている。徳川家康は近隣諸国との安定した外交関係構築をめざし、朝鮮に対しては、悪化した関係を【イ】を通じて修復しようとした。その結果1607年に朝鮮の使節が来日し、両国間の講和が成立した。
問 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① ア 熊沢蕃山 イ 対馬藩 ② ア 熊沢蕃山 イ 薩摩藩
③ ア 藤原惺窩 イ 対馬藩 ④ ア 藤原惺窩 イ 薩摩藩
まとめ
今回は寛永期の文化について見てきました。
学問では朱子学を中心とした儒学が盛んになりました。絵画では俵屋宗達や久隅守景、工芸では本阿弥光悦、文芸では松永貞徳が活躍したことを覚えておいてくださいね。
前回の記事「江戸初期の鎖国と外交について解説(入試問題付き)【日本史第46回】」ですのでよければ読んでください。
次回の記事「江戸時代の農業・商工業について解説(入試問題付き)【日本史第48回】」
日本史全体像を理解するには「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた」がおすすめです。全体の流れが頭に入ってくるおすすめの一冊です。ぜひとも一読をおすすめします。
コメント