今回は明治時代の思想・宗教について解説します。
年代ごとに盛んになった思想をまとめたほか、明治時代における宗教界の動向も取り扱いました。
最後には入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。
この記事からわかること
・明治時代における思想界の大まかな流れ
・明治時代における宗教界の動向
明治時代の思想
(三宅雪嶺:wikiより)
思想界における大まかな流れは、文明開化→民権思想→国権論→対外膨張論・日本主義です。このことを頭に入れたうえで本文を読み進めていってください。
近代思想の普及
(森有礼:wikiより)
1870年代は、文明開化の時代です。政府は富国強兵を目指し、西洋の文化を取り入れて近代化を推し進めようとしていました。
西洋の考え方が人々の生活にも大きな影響を及ぼすようになったのもこの時期からでした。古い考え方や思想は時代遅れとして排斥され、かわって自由主義や個人主義などの西洋近代思想が流行し始めます。
とりわけ明治初期にはイギリスやアメリカから伝わった自由主義や功利主義が新しい思想として受け入れられ、ミルやスペンサーらの著書がよく読まれるようになりました。
そんな中、1873年には近代思想の普及を目的に明六社が結成されました。
明六社という名前は、明治6年に結成されたことにちなんだものです。森有礼・福沢諭吉・中村正直らの洋学者によってつくられました。
森有礼はのちに文部大臣に就任し、学制改革に尽力した人物です。
福沢諭吉は「西洋事情」や「学問のすゝめ」を著した人物として有名ですね。
中村正直はスマイルズの著書を翻訳した「西国立志編」や、ミルの著書を訳した「自由之理」などを発表しています。どれも重要な人物ばかりなので覚えておきましょう。
明六社は結成された翌年(1874年)に、「明六雑誌」を発行したほか、演説会を開くなど積極的に活動しました。
民権思想
(中江兆民:wikiより)
1870年代後半からは、自由民権運動が盛んになりました。この頃に普及したのが民権思想です。民権思想の根底には天賦人権論という考え方がありました。
天賦人権論とは、万人には生まれながらにして人間としての権利が備わっているとする思想です。つまり自由民権運動は、この天賦人権論から生まれた運動だったわけです。
民権思想家には中江兆民や植木枝盛などがいます。
中江兆民は、フランスの啓蒙思想家として有名なルソーの著書「社会契約論」を翻訳した「民約訳解」を発表した人物です。植木枝盛は「民権自由論」を著し、のちに衆議院議員となりました。
ルソーについては「世界史B】受験に役立つ文化史 近代以降の欧米政治思想史」もあわせてご覧ください。
一方自由民権運動が盛り上がるとそれに反発する動きも出てきます。ここでは社会進化論の立場から天賦人権論を批判した加藤弘之を覚えておいてください。
社会進化論とは、ダーウィンの進化論から発生した思想です。自然の摂理は弱肉強食なのに、人間だけが平等なのはおかしいのでは?という立場をとっています。
国権論
(徳富蘇峰:wikiより)
1880年代に入ると井上馨外務大臣が条約改正交渉において極端な欧化主義政策を行い、政府外から批判を浴びました。こうした状況のなかで盛んに唱えられたのが国権論です。
日本は諸外国と対等な関係を結ぶべき、これこそが国権論の考え方でした。
欧化主義と国権論の対立は、条約改正問題をきっかけに激しくなります。とくに平民的欧化主義を唱えた徳富蘇峰らと、近代的民族主義を主張した三宅雪嶺・陸羯南らとのあいだでは論争が繰り広げられました。
徳富蘇峰は民友社を結成し、雑誌「国民之友」を刊行した人物です。
彼は明治政府の欧化主義政策を、一部のお金持ちだけが得をする貴族的欧化主義として批判し、一般国民の生活向上と自由の拡大を図る平民的欧化主義を目指すべきと主張しました。
一方政教社を結成し、雑誌「日本人」を刊行した三宅雪嶺や、新聞「日本」を発表した陸羯南は、ともに欧化主義を否定するのと同時に、国家の独立や国民性を重視しました。
日清戦争の勝利をきっかけに、国内では対外膨張論が盛んになります。
対外膨張論とは、欧米列強と同じように日本も海外進出を通じて発展していこうとする考え方です。対外膨張論が主流となった背景には、日清戦争後の三国干渉に対する反発がありました。
対外膨張論を唱えた人物には徳富蘇峰などがいます。なぜ平民的欧化主義を唱えていた徳富蘇峰がいるのでしょうか?徳富蘇峰は日清戦争をきっかけに平民的欧化主義から対外膨張論へと転じたからです。
徳富蘇峰のほかに高山樗牛も対外膨張論を主張しました。高山樗牛は雑誌「太陽」で日本主義を唱え、日本の大陸進出を肯定した人物です。
明治時代の宗教
(島地黙雷:wikiより)
明治時代に入ると、それまでの神仏習合思想からの脱却が図られるようになりました。
まず1868年に神仏分離令が出されます。神道を国教、つまり日本の宗教にする方針を打ち出したわけです。これにより全国各地で寺院や仏具の破壊が起こりました。(廃仏毀釈)
続いて1870年に大教宣布の詔を出して、神道を中心とした国民教化を目指しました。しかし仏教側の反対もあり失敗に終わります。仏教は神仏分離令により大きな打撃を受けましたが、島地黙雷などの尽力によって立ち直りました。
一方キリスト教は、1868年に出された五榜の掲示により、引き続き禁止されました。長崎の浦上では浦上教徒弾圧事件が起きたことをおさえておきましょう。
しかし欧米列強から強い抗議にあったため、1873年に禁教政策をやめます。その後ヘボンやフルベッキと言ったプロテスタントが活躍しました。プロテスタントには他にも札幌農学校の教頭になったクラークがいます。
今回の範囲はここまでです。続いて入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。
入試問題にチャレンジ
日清戦争後、産業革命の進展にともない、地主や資本家を支持基盤とする政党の力が増大していった。【ウ】の立場をひるがえした政府は、政党の力を利用して軍備拡張予算案を成立させようとした。この流れのなかで、衆議院内の二大政党が合同して、新内閣を組織することになった。松山守善たち地方の政党員はこの内閣に大きな期待を寄せた。
上京した松山は、大隈重信首相に熊本県の政治状況を詳しく説明して、知事の更迭を要求した。これに対し大隈は、「熊本は完了の苗床なればこれを撲滅せねばならぬ。君ら委細のことは板垣に協議すべし。」と答えた。この時、松山等の相談役を務めていたのは、東京で民友社を主宰していた【エ】であった。
空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① ウ 国粋主義 エ 高山樗牛
② ウ 国粋主義 エ 徳富蘇峰
③ ウ 超然主義 エ 高山樗牛
④ ウ 超然主義 エ 徳富蘇峰
まとめ
今回は明治時代の思想・宗教について見てまいりました。
各年代で起きた主な出来事と盛んになった思想をセットで暗記すると頭に残りやすいでしょう。活躍した人物も忘れず覚えておいてくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
前回の記事「明治時代の教育制度についてわかりやすく解説(入試問題&語呂合わせも)【日本史第71回】」ですのでよければ読んでください。
次回の記事「明治時代の文学・芸術についてわかりやすく解説【日本史第73回】」
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