明治維新(廃藩置県など)について解説【日本史第62回】

今回は明治維新について解説します。

戊辰戦争で旧幕府軍が敗れるまでの過程や、新政府が行った施策(版籍奉還・廃藩置県・地租改正など)が主な内容です。

最後には語呂合わせや入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。

この記事からわかること

・戊辰戦争から明治維新にかけての大まかな流れ

・五箇条の御誓文とは何か

・版籍奉還と廃藩置県の違い

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戊辰戦争

(榎本武揚:wikiより)

旧幕府軍と新政府軍の1年半近くにも及ぶ内戦を戊辰戦争といいます。

 

まず徳川慶喜を擁する旧幕府側が、1868年1月に大坂城から京都へと進撃し、新政府軍と戦いました。

 

これが鳥羽・伏見の戦いです。

 

結果は旧幕府軍の敗北に終わりました。

 

続いて新政府は奥羽越列藩同盟の中心、会津若松城を攻め落とします。

 

奥羽越列藩同盟とは、東北諸藩が新政府に対抗するために結成した同盟と覚えておいてください。

 

旧幕府軍劣勢の状況が続く中、最後まで抵抗したのが旧幕臣の榎本武揚です。しかし五稜郭の戦いで榎本らの軍が降伏し、戦争は終結に向かいました。

 

次からはいよいよ新政府が行った施策について見ていきます。

明治維新

(五箇条の誓文の原本:wikiより)

新政府は1868年3月に五箇条の誓文を公布します。

 

これは政治の基本的な方針を示した文章のことで、天皇が神々に対して誓約するという形式をとっていました。

 

またその翌日五榜の掲示で、民衆に対して一揆や民衆運動、キリスト教の禁止を命じます。

 

さらに同年には政体書を制定して、太政官制・三権分立など、より具体的な政治体制を定めました。

 

身分制度の面では、士農工商が廃止され、華族・士族・平民という新しい身分が誕生し、苗字・結婚・職業の選択が自由になりました。

版籍奉還と廃藩置県

(廃藩置県:wikiより)

版籍奉還は、1869年の出来事です。

 

「版」は土地(版図)・「籍」は人民(戸籍)・「奉還」は「返す」という意味であり、大名が自分の土地と人民を天皇に返すことを指します。

 

ただし、大名は返した領地の知藩事(今でいう知事)に任命され、そのまま支配を続けました。

 

ところがその2年後の廃藩置県で突然知藩事(元大名)はクビになり、代わりに中央政府から府知事・県令(今でいう知事)が派遣されます。

 

政府はあらかじめ御親兵を用意しておくなど、大名の反発に備えました。

地租改正と貨幣制度

(渋沢栄一:wikiより)

地租改正

当時の新政府は、財政の安定を目指して、土地制度や税制の改革をおこなう必要がありました。

 

そこで1871年に田畑勝手作りを許可します。

 

続いて翌1872年には、江戸時代に出された田畑永代売買の禁令を廃止するとともに、地券を発行して土地の所有権を認めました。

 

そしていよいよ1873年から地租改正に着手します。

 

土地の所有者に、地価(土地の値段)の3%を税金として納めさせることにしたわけです。

 

しかし地租改正反対一揆が起こったため、1887年には税率が2.5%に引き下げられることになりました。

貨幣制度

貨幣制度では、1871年の新貨条例で十進法を採用され、円・厘・銭を単位に新硬貨が作られました。

 

また翌1872年には渋沢栄一の尽力もあり、国立銀行条例が定められます。

S先生
S先生
渋沢栄一は大河ドラマ『青天を衝け』の主人公ね!

維新直後に発行された太政官札・民部省札が金貨や銀貨と交換できない不換紙幣だったことから、民間の金融機関による兌換銀行券の発行を目指して公布されました。

殖産興業と軍事制度

(富岡製糸場:wikiより)

政府は、富国強兵を目指して殖産興業に力を入れました。

 

代表的な取り組みとしては、富岡製糸場の設立(群馬県・1872年)が挙げられます。生糸の生産拡大を目指して作られました。

 

また同年には、新橋・横浜間に鉄道が敷設されたことも覚えておきましょう。

 

通信の分野では、東京・横浜間にはじめて電信線が架設された(1869年)ほか、前島密の建議(意見)によって、1871年に郵便制度がスタートしました。

 

軍事制度では、1872年に徴兵令を公布し、国民皆兵を原則として満20歳以上の男性に3年間の兵役を課しました。

 

S先生
S先生
警察制度では、1874年に警視庁が設置されたことを覚えておいてください。

 

今回の範囲はここまでです。続いて語呂合わせ・入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。

語呂合わせ

ここでは今回登場した重要なキーワードにまつわる語呂合わせを紹介しています。年号の暗記にお役立てください。

五箇条の御誓文:一夜(18)かけ無理(6)や(8)り作った御誓文

版籍奉還:人はむく(1869)れる版籍奉還

廃藩置県:嫌な人(1871)でも廃藩置県

入試問題にチャレンジ

下線部ⓐ(戊辰戦争のさなか)の時期の新政府がとった施策について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 五箇条の誓文を公布し、四民平等を定めた。

② 五榜の掲示を出し、キリスト教を許可した。

③ 政体書を制定し、中央政府の組織を整えた。

④ 徴兵令を出し、集めた兵によって旧幕府軍と戦った。

2016年 センター試験 本試験 日本史B 第5問 問2より)

正解:③ ①の五箇条の誓文は、政治の基本的な方針を示した文章であり、四民平等を定めたものではありません。また五榜の掲示では、キリスト教は禁止されているので、②は誤りです。④の徴兵令は、戊辰戦争が終わったあとに公布されたものなので、間違いとなります。

 

まとめ

今回は明治維新について解説しました。

戊辰戦争から新政府が行った施策まで、盛りだくさんの内容で大変だったかと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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