第一次世界大戦についてわかりやすく解説(語呂合わせ・入試問題つき)【日本史第75回】

今回は日本史の第一次世界大戦について解説します。

 

S先生
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第一次世界大戦については世界史でも詳しく取り扱っているので、気になる方はこちらの記事「【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(第一次世界大戦)【近現代編その9】」もあわせてご確認ください。

 

第一次世界大戦が勃発したきっかけをはじめ、日本が中国進出へ向けて行った取り組み・戦後に開かれたパリ講和会議及びワシントン会議について解説しています。

 

最後には語呂合わせや入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。

この記事からわかること

・第一次世界大戦のきっかけ

・日本が中国へ進出する過程

・戦後処理(戦後に開かれた会議の内容&締結された条約について)

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第一次世界大戦

(第一次世界大戦:wikiより)

第一次世界大戦のきっかけ

(三国同盟と三国協商:wikiより)

第一次世界大戦のきっかけは、セルビア人によるオーストリア帝位継承者殺害事件です。これにより、オーストリアとセルビアが戦争になりました。

 

そしてここに三国同盟三国協商の対立が絡んできます。三国同盟はドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアで、三国協商はロシア・フランス・イギリスです。

 

ここでは、オーストリアとセルビアの二国間による争いが、ヨーロッパ全体を巻き込み、4年余りにおよぶ第一次世界大戦へと発展したということをおさえておきましょう。

第一次世界大戦中の日本

(石井・ランシング協定:wikiより)

第一次世界大戦はヨーロッパの戦争なわけで、本来日本は関係ないはずです。しかし日本はイギリスと日英同盟を結んでいましたよね。だから戦争に参加します。

 

早速ドイツに宣戦布告し、赤道より北のドイツ領南洋諸島や、ドイツの租借地・青島を占領しました。さらに中国に対して一方的に二十一カ条の要求を突きつけます。

 

S先生
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第二次大隈重信内閣は、中国の袁世凱政府に対し、山東省のドイツ権益の継承・南満州及び東部内蒙古の権益強化など21カ条を求め、ほとんどを認めさせました。1915年のことです。

 

また、手に入れた領土については、第4次日露協約や日英覚書により、世界に日本の特殊権益を認めさせました。

 

大隈の後を受けた寺内正毅内閣も特殊権益を確保するため、さまざまな施策を行います。

 

まずは西原借款で、袁世凱の後を継いだ段祺瑞政権に対し、資金を貸与しました。

 

なぜお金を与えるのでしょうか?

 

それは中国での特殊権益の拡大を目指すためです。

 

続いて1917年に、アメリカとのあいだで石井・ランシング協定を交わします。日本は、アメリカの中国における領土保全・門戸開放を認める代わりに、中国における特殊権益をアメリカに認めさせることに成功しました。

 

そんな中、ロシアで革命が起きます。日本は、イギリス・アメリカ・フランスといった列強に交じって、シベリアへ出兵しました。

 

チェコ・スロヴァキア軍の救援が名目でしたが、本当の目的は、ロシア革命に対する干渉です。

 

1918年からシベリア出兵が始まり、日本は1922年まで出兵を続けました。

 

しかしここである問題が発生します。シベリア出兵で兵隊の食料がたくさん必要になったことから米価が上昇し、これにより困窮した一般の人々が米屋を襲撃する事件が起きました。これを米騒動といいます。

 

政府は軍隊を出して鎮圧に出たものの、世論から批判を浴び、結局寺内内閣は総辞職に追い込まれました。

戦後の処理

(ヴェルサイユ条約:wikiより)

1918年に、寺内の後を引き継いだのが原敬です。彼は華族ではない総理大臣なので、平民宰相と呼ばれました。

 

原内閣が発足して最初にあった重要な出来事がパリ講和会議です。1919年に開催され、ヴェルサイユ条約が締結されます。日本は山東半島のドイツ権益継承が承認されたほか、赤道以北ドイツ領南洋諸島の委任統治権を獲得しました。

 

翌1920年にはウィルソン大統領(アメリカ)の提唱により、国際連盟が設立されました。スローガンは「国際平和・民族自決」です。民族自決とは、民族は独立していこうという考え方のことを指します。

 

日本はイギリス・フランス・イタリアとともに常任理事国になりました。しかし、提唱国のアメリカは上院の反対で国際連盟に参加できませんでした。

 

また、パリ講和会議が行われているあいだには、朝鮮で三・一独立運動、中国の北京では五・四運動が発生したことも覚えておきましょう。

 

S先生
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五・四運動は、中国が二十一カ条の要求を撤回するよう求めたものの、拒否されたために起きたものでした。

 

そんな中、政党政治の腐敗に怒りが爆発した青年により原敬が東京駅で暗殺され、高橋是清内閣が誕生しました。

 

そして1921年に、アメリカでワシントン会議が開かれます。太平洋・極東問題の審議と、海軍軍縮が主な目的でした。

 

締結された条約は以下の通りです。カッコ内には参加国を記載しています。

四カ国条約(米・英・日・仏):太平洋の平和に関する条約・日英同盟終了

ワシントン海軍軍縮条約(米・英・日・仏・伊):主力艦保有量の制限・主力艦の建造を10年間禁止

九カ国条約(米・英・日・仏・伊・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国)

→中国の領土と主権の尊重・中国における各国の門戸開放・機会均等を約束

さらに、二十一カ条の要求の一部と石井・ランシング協定が廃棄されました。

 

こうした一連の国際協定により、ワシントン体制が確立されます。ワシントン体制とは、アジアの平和を目指してつくられた体制のことです。

 

なお、パリ講和会議・ワシントン会議については、世界史でも扱っているので、気になる方はこちらの記事「【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(ヴェルサイユ体制とワシントン体制)【近現代編その11】」も参照してみてください。

 

今回の範囲はここまでです。続いて語呂合わせ・入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。

語呂合わせ

ここでは今回登場した重要なキーワードにまつわる語呂合わせを紹介しています。年号の暗記にお役立てください。

二十一カ条の要求:二十一カ条の要求で行く(19)ぜ!行こ(15)う!
国際連盟:とくには(1920)活躍なしの国際連盟
ワシントン会議:行くに行(1921)けぬワシントン会議

入試問題にチャレンジ

尾崎行雄(1858~1954)は第1回総選挙に当選して以来、1952年の第25回総選挙まで連続して当選を果たし、その生涯の多くを衆議院議員として生きた。明治~大正初期の尾崎は藩閥政府批判に活躍し、【ア】では内閣打倒に大きな役割を果たした。

1919年に第一次世界大戦で疲弊したヨーロッパを視察した尾崎は、現代の戦争がもたらす惨禍の深刻さに驚き、将来の戦争を防止するために軍備縮小の実行を主張するようになった。しかし尾崎が1921年2月の議会に提出した軍縮決議案は、議員たちの理解を得ることができず、圧倒的票差で否決された。

ところが、同年7月にアメリカ政府が【イ】の開催を提起すると、日本政府はこれに参加することを決定し、翌1922年には海軍軍縮条約が締結された。以後、軍縮への動きは大きな流れとなり、1930年には2度目の海軍軍縮も実施されることになった。この間を通じて尾崎は軍縮の必要を説き続け、日本を代表する軍縮論者として知られるようになった。

問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① ア 大正政変  イ パリ講和会議

② ア 大正政変  イ ワシントン会議

③ ア 明治十四年の政変  イ パリ講和会議

④ ア 明治十四年の政変  イ ワシントン会議

問2 下線部ⓐの時期の日本外交に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

Ⅰ シベリア出兵を行った。

Ⅱ 中国政府に二十一カ条の要求を行った。

Ⅲ 日英同盟を理由にドイツに宣戦布告した。

2008年 センター試験 本試験 日本史B 第6問 問1・問2より)

解答について

問1:② 尾崎は犬養毅らとともに第一次護憲運動を展開した人物です。運動の勢いを止められなかった桂太郎内閣は、退陣へと追い込まれました。(=大正政変)よってアには大正政変が入ります。第一次護憲運動の時代について詳しく知りたい方は「第一次護憲運動について解説(語呂合わせ・入試問題つき)【日本史第74回】」もあわせてご覧ください。ちなみに明治十四年の政変とは、黒田清隆らによる開拓使官有物払い下げ事件をきっかけに起こった政変です。この政変では、大隈重信が大蔵卿を罷免されました。明治十四年の政変についてはこちらの記事「自由民権運動(明治十四年の政変)について問題つき解説【日本史第64回】」もご参照ください。イは1922年にアメリカの提起によって開催された会議なので、ワシントン会議です。パリ講和会議は1919年に開催され、ヴェルサイユ条約が締結されました。

 

問2:④ Ⅰは1918年~22年まで、Ⅱは1915年、Ⅲは1914年の出来事なので、ⅢーⅡーⅠの順となります。

 

まとめ

今回は第一次世界大戦のきっかけから戦後の行方までを見てまいりました。

 

この記事を読んで大まかな流れを理解していただければ幸いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

前回の記事「第一次護憲運動について解説(語呂合わせ・入試問題つき)【日本史第74回】」ですのでよければ読んでください。

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