今回は松平定信によって行われた寛政の改革について解説します。
天明の飢饉によって失脚した田沼意次の後を受けて老中となった松平定信が、どのようにこの苦しい状況を打開しようとしたのか、また寛政異学の禁などによる学問・思想に対する厳しい取り締まりについても見ていきましょう。
最後には入試問題を用意しているので、ぜひ最後までお読みいただき、寛政の改革をマスターしていってください。
この記事からわかること・寛政の改革で松平定信が行った取り組みの内容・目的
具体的な取り組み
(松平定信:wikiより)
田沼時代に起きた天明の飢饉により、日本は江戸・大坂を中心に米問屋が襲われる打ちこわしが起きるなど、深刻な状況に陥っていました。
こうした中で、11代将軍に就任したのが徳川家斉です。また老中として家斉の補佐をしたのが、松平定信でした。
ではここから松平定信が立て直しを目指して行った一連の改革について見ていくことにしましょう。
経済政策
まずは経済政策から解説します。
松平定信も吉宗と同様、最初に倹約令を出しました。
また飢饉に備えて各地に社倉・義倉といった備蓄用の倉庫を作らせ、1万石に付き50石の米の備蓄を命じます。これが1789年に行われた囲米の制です。
続いて旗本・御家人の生活安定を図るため、棄捐令を出して札差に貸金を放棄させました。これにより、旗本・御家人は借金から解放されることになります。その代わりに札差には低利息での貸し付けを行いました。
さらに町人に町の運営に必要なお金を節約させて、節約した分の7割を積み立てさせる七分積金という制度を設け、貧民の救済を図ったことも覚えておいてください。
政治・社会面での施策
ここでは政治・社会面の政策について紹介します。
都市部には米がとれずに生活できなくなった農民があふれかえり、治安が悪化していました。これを受けて1790年、江戸の石川島に人足寄場を設けて無宿人を収容し、手に職を付けさせて社会復帰をさせようと試みます。
一方で、都市部に人があふれたことで農村の人口が減少し大きなダメージを受けたため、旧里帰農令を出し、農村に変えることを奨励しました。
続いて松平定信が行ったのは学問・思想に対する厳しい取り締まりです。1790年に出された寛政異学の禁では、朱子学を正学にするとともに、湯島聖堂の学問所で朱子学以外の講義や研究を禁止しました。
これを中心になって行っていたのが、儒官の柴野栗山・尾藤二洲・岡田寒泉で、彼らは寛政の三博士と呼ばれます。のちに岡田寒泉が代官に転任したことで、古賀精里が任じられました。
なぜ朱子学が正学となったのでしょうか?
それは朱子学が礼節や上下関係を重んじる学問だったからです。
松平定信は学問・思想の引き締めだけではなく、民間に対しても出版統制令を出して、風紀の取り締まりに乗り出します。
まずは林子平が「三国通覧図説」や「開国兵談」で海岸防備を説いたことを幕政に対する批判をしたとみなして弾圧し、林子平を処罰しました。
続いて洒落本「仕懸文庫」を著した山東京伝も処罰されます。洒落本は江戸の遊里を舞台に男女の会話を描いた、言ってみればちょっとエッチな小説であり風紀を乱すとみなされたため、取り締まりされたというわけです。
こうして改革を進めた松平定信でしたが、厳しい政策に不満が高まったことや、幕府と朝廷の間で起きた尊号一件という事件の対応を巡って徳川家斉と対立したこともあり、結局在職6年余りで失脚に追い込まれることになります。
ここまでが今回の範囲です。最後に入試問題を解いて理解度をチェックしてみてください。
入試問題にチャレンジ
1787(天明7)年は、政治・社会に関する大きな変動が起きた年である。【ウ】が老中に就任し、いわゆる「寛政の改革」が始まった。この年、江戸や大坂など多くの都市で、商家が襲われる打ちこわしが発生し、数年来の飢饉により各地で多発した百姓一揆とあいまって、社会不安が増大していた。
京都では、困窮民が天皇の御所の周囲を拝礼してまわるという事態が発生した。当時朝廷は幕府の統治下にあって政治的発言をすることは難しかったが、政治や社会に深い関心をもっていた光格天皇は幕府に対し、困窮民の救済を打診するという異例の対応を行った。
同じく1787年に行われた光格天皇の大嘗祭では、古い儀式が数多く再興された。これは、武家政権成立以前の天皇像を理想とする、光格天皇の君主意識をあらわれとされる。この天皇は、のちに幕府との間で【エ】を引き起こし、対立することもあった。尊王思想が興隆するなか、朝廷をめぐる新たな動きも見えはじめた年といえよう。
問 空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① ウ 松平定信 エ 尊号一件(事件)
② ウ 松平定信 エ 紫衣事件
③ ウ 水野忠邦 エ 尊号一件(事件)
④ ウ 水野忠邦 エ 紫衣事件
まとめ
今回は寛政の改革について見てきました。
松平定信の行った経済政策としては囲米の制・棄捐令・七分積金を、政治・社会面の政策では人足寄場・旧里帰農令・寛政異学の禁をそれぞれの用語だけではなく、目的についてもしっかり理解しておきましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
前回の記事「宝暦・天明期の文化について解説(入試問題付き)【日本史第56回】」ですのでよければ読んでください。
次回の記事「天保の改革について解説(入試問題付き)【日本史第58回】」
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コメント
[…] 文学の分野では、まずこの時代に登場した洒落本と黄表紙について紹介します。洒落本とは江戸の遊里を描いた本で、山東京伝の「仕懸文庫」が代表作です。黄表紙とは風刺のきいた絵入りの小説で、代表作には恋川春町の「金々先生栄花夢」があります。いずれも寛政の改革で厳しく取り締まられました。詳しくはこちらの記事「寛政の改革について解説(入試問題演習付き)【日本史第57回】」もあわせてご覧ください。 […]