田沼政治について解説(入試問題も解説)【日本史第55回】

今回は田沼政治について解説します。

10代将軍徳川家治の時代に側用人から老中に就任した田沼意次が政治の中心になります。

吉宗が米(農業)を重視した政治だったのに対して、田沼の政治は商業を重視する政治でした。

最後には入試問題を用意しているので、田沼意次が具体的にどのような政策を行ったのかをマスターしていきましょう。

この記事からわかること・田沼意次は株仲間の奨励・幕府直営の座の設置・印旛沼・手賀沼の開拓などを行った。

・田沼は仙台藩の医師、工藤平助が書いた「赤蝦夷風説考」を参考にして、最上徳内らを蝦夷地へ派遣した。

・天明の飢饉や10代将軍徳川家治の死去に伴い、田沼は力を失った。

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田沼の施策

 

(田沼意次:wikiより)

まず田沼意次の施策について見ていきます。

田沼の政策の中心となったのは、株仲間の奨励です。株仲間とは商品の独占販売権を持つ同業者組合のことです。ですがもちろんタダで奨励するわけではありません。株仲間を奨励する代わりに運上や冥加といった営業税を徴収しました。

また田沼は幕府直営のを設けました。座とは商品を独占販売できる組織のことです。幕府直営の座は銅座・真鍮座・鉄座・朝鮮人参座の4つあり、これらを幕府の専売としたわけです。

続いて田沼は長崎貿易の拡大を進めます。

しかし長崎貿易では以前ある問題が起きていました。その問題とは一体何でしょうか?

それは多くの金銀が流出したことです。

これを防ぐことを目的に新井白石が海舶互市新例を発して、貿易量を制限していたというわけです。新井白石の時代について復習したい方はこちらの記事「正徳の治について解説(入試問題も解説)【日本史第50回】」もあわせてご覧ください。

では田沼はこの問題に対処したのでしょうか?

支払いをする際、金や銀を使う代わりに銅や俵物を使って支払いをすることにしたのです。こうすることによって、金銀の流出を食い止めながら、長崎貿易を進めることに成功しました。

こうして商業を重視する政治を行っていた田沼ですが、吉宗と同様に新田開発にも力を入れます。新田開発のほか、水路を利用した流通の整備を目的として印旛沼・手賀沼の開拓に着手しました。

しかし江戸や大坂の商人の力を借りながら完成に近づいたものの、利根川の大洪水により失敗に終わります。さらに田沼は仙台藩の医師、工藤平助が書いた「赤蝦夷風説考」を参考にして、最上徳内らを蝦夷地へ派遣して、開発やロシアとの交易の可能性を調査させました。

次の項目では、こうした政策を行った田沼時代の結末について見ていくことにしましょう。

結末

 

(徳川家治:wikiより)

田沼時代には民間の学問や文化、芸術が発展を遂げた時代である一方、幕府の役人の間で賄賂が横行するなどした時代でもありました。

そんな中、田沼の政治にとって深刻な出来事が起こります。1782年に発生した天明の飢饉です。東北地方で起きた冷害がきっかけとなって起きたものでした。

さらに翌年には浅間山の大噴火が発生し、飢饉の被害にさらに拍車をかけます。

また田沼意次の息子で若年寄の田沼意知が1784年に江戸城内で刺殺され、1786年には将軍徳川家治が亡くなりました。この結果田沼の力が急速に衰え、家治が亡くなった直後に老中を罷免され、多くの政策も中止に追い込まれることとなりました。

今回の内容はここまでです。最後に入試問題を用意しているので、実際に解いて理解度をチェックしてみてください。

 

入試問題にチャレンジ

下線部ⓓに関連して、次の史料に関して述べた下の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の①~④のうちから一つ選べ。

史料

用人(注1)いう、「我が主人(注2)は、富にも禄にも官位にも不足なし。この上の願いには、田沼老中の時、仕置きたる事とて、ながき代(注3)に人のためになる事をしおきたく願うなり。何わざをしたらよからんか」と問い合わせしに、父様(注4)御こたえに、「それはいかにもよき御心付なり。さあらば、国を広くする工夫よろしかるべし」。

問(注5)「それは、いかがしたる事ぞ」。

答(注6)「それ、蝦夷国は松前より地つづきにて、日本へ世々随い居る国なり。これをひらきて、みつぎ物をとる工面をなされかし。日本を広くせしは田沼様のわざとて、永々人の仰ぐべき事よ」。

(注1)用人:ここでは田沼意次の家来。(注2)我が主人:田沼意次。

(注3)ながき代:後世。(注4)父様:工藤平助。

(注5)問:用人の問い(注6)答:工藤平助の答え。

a 田沼の用人は、主人(田沼)は金もうけや地位の上昇にしか関心がないと述べている。

b 田沼の用人は、主人(田沼)は後世に残る仕事がしたいと願っていると述べている。

c 田沼は、工藤の意見をふまえ、蝦夷地開発の可能性を調査するため、最上徳内らを同地に派遣した。

d 田沼は、工藤の意見をふまえ、蝦夷地・松前に近づく外国船を打ち払うよう命じた。

① a・c ② a・d ③ b・c ④ b・d

2016年 センター試験 本試験 日本史B 第4問 問5より)

正解 ③ 史料を読むと「ながき代(注3)に人のためになる事をしおきたく願うなり。(後世の人のためになることをしておきたいと願っている。)」とあります。この主語は我が主人つまり田沼です。なので、bが正しいということになります。また田沼は仙台藩の医師、工藤平助が書いた「赤蝦夷風説考」を参考にして、最上徳内らを蝦夷地へ派遣して、開発やロシアとの交易の可能性を調査させたので、cが正しいです。よって③が正解になります。史料問題は共通テストでも登場しますが、大事なのは注を参考して解くことです。注は問題を解くうえでの重要なヒントになるからです。これは古文でも同じことがいえるので、ぜひ参考にしてみてください。

まとめ

今回は田沼政治について解説しました。

吉宗が農業重視だったのに対して、田沼は商業中心の政策だったことを理解しておきましょう。

工藤平助が書いた「赤蝦夷風説考」を参考にして、田沼が最上徳内らを蝦夷地へ派遣したこともあわせて覚えておいてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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