フサイン=マクマホン協定などによる中東問題とパフレヴィー朝イランについて【世界史B】第14回

みなさん、こんにちは。今回は第一次世界大戦後の西アジアの情勢についてです。

第一次大戦中、イギリスは自身の利益のためフセイン=マクマホン協定、バルフォア宣言、サイクスピコ協定などによりパレスティナにアラブ人、ユダヤ人に戦後国家建設に協力する代わりに戦争に莫大な人と財の投入を約束させます。これが、中東問題のきっかけとなりました。

 

また、サウジアラビアやパフレヴィー朝からイランが建国されるなど西アジアについてまとめます。

 

なお、前回の記事の内容ともリンクするので「【世界史B】受験に役立つオリエント史(カージャール朝イランとワッハーブ王国)」を併せてお読みください。

今回の記事のポイント・フセイン=マクマホン協定などのイギリスの多重外交は西アジアを混乱させる要因となる

・オスマン帝国滅亡後、西アジアではアラブ人国家が建国された

・エジプトではワフド党が政権を握るが、イギリスはスエズ運河駐兵権を維持した

・イランではカージャール朝が倒され、パフレヴィー朝が成立した

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第一次世界大戦中のイギリスの多重外交

(フサイン:wikiより)

第一次世界大戦中、オスマン帝国と戦っていたイギリスは西アジア地域の諸民族と様々な約束をしました。第一次世界大戦については、以前、「受験に役立つヨーロッパの歴史(第一次世界大戦)」に記載しました。ぜひ、こちらもお読みください。

 

1916年のフセイン=マクマホン協定では、イギリスがアラブ人と対オスマン帝国の戦争に参加する代わりに、見返りとしてアラブ人の独立国家建設及びパレスチナでの居住を支持すると約束します。

 

また、バルフォア宣言では、ユダヤ人の資金援助を条件に中東のパレスチナでユダヤ人国家建設を認めると約束しました。さらに、1916年のサイクス=ピコ協定では、イギリス・フランス・ロシアの三国でオスマン帝国領を分割し、パレスチナを国際管理地とすると取り決めます。

 

たかし君
たかし君

イギリス、、、ヤバイすね。目先の利益を追うためにとりあえず契約した、みたいな。。。

S先生
S先生

まあ、そうね。ただ少なくとも書簡上は矛盾はしないとイギリスは主張しているわね。

そして、こうした相互に矛盾する約束は、やがて、中東戦争の原因となりました。

サウジアラビアとイラク、トランス=ヨルダンの建国

(アラビアのロレンス:wikiより)

イギリスの後押しを得たメッカの太守だったハーシム家のフセインはメッカやメディナを含むヒジャーズ地方にヒジャーズ王国を建国しました。大戦中、ヒジャーズ王国は勢力を拡大しシリアからヨルダン、サウジアラビアまで支配する大帝国となります。

 

映画「アラビアのロレンス」で知られるイギリスの情報将校ローレンスは、フセインの子で、のちにイラク国王となるファイサルとともにオスマン帝国軍と戦いました。

 

しかし、大戦終了後にイギリスはフランスとともにアラブ地域を分割します。フランスはシリアを、イギリスはパレスチナ、ヨルダン、イラクを支配します。

 

アラビア半島中央部ではリヤドを中心とするネジド地方を根拠地としていたサウード家が勢力を回復します。

 

イブン=サウードがヒジャーズ王国を併合します。1932にサウジアラビアとして独立します。アラビア半島については前回のワッハーブ王国の「【世界史B】受験に役立つオリエント史(カージャール朝とワッハーブ王国)」が詳しく書いています。

一方、フセインの子孫であるハーシム家の人々はイギリスの支援でイラク王国とトランス=ヨルダン王国を建国しました。

エジプトとイラン

(レザー=ハーン:wikiより)

エジプトは1914年、完全にイギリスの保護国となりました。1919年、ウラービーが唱えたエジプト人のエジプトの実現を目指すワフド党が勢力を拡大します。ウラービーについては、以前、受験に役立つオリエントの歴史「近代エジプトとエジプトの植民地化」に記載しました。ぜひ、こちらもお読みください。

 

1922年にエジプト王国として独立後、ワフド党の内閣が成立します。イギリスと交渉し、スエズ運河地帯の駐兵権などをイギリスに認めたうえで、実質的な独立を達成しました。

 

また、カージャール朝イランは第一次世界大戦中、イギリスに駐兵権を認めたため、ますますイギリス支配が強まります。1925年、イギリスの支援を受けたレザー=ハーンがクーデタを実行します。そして、パフレヴィー朝を建国しました。1935年、パフレヴィー朝は国号をペルシアから「イランと定めます。イギリスがイランへの干渉を強めたのは、イランで石油が発見されたからでした。

まとめ

オスマン帝国滅亡後、西アジアではアラブ人の独立運動が盛んになりました。その結果、イラク、トランス=ヨルダン、サウジアラビアなどの国々ができました。

 

しかし、この時点ではイギリスの影響力は圧倒的で、アラブ人諸国もイギリスの顔色を窺わざるを得ません。また、のちに中東戦争の舞台となるパレスチナはイギリスが管理する国際管理地と定められます。

 

次回はいよいよ最終回「ユダヤ人の歴史と中東戦争」です。現在のパレスティナ問題にからむ大変難しい範囲です。しっかりと理解してきましょう。

 

前回の記事「【世界史B】受験に役立つオリエント史(カージャール朝とワッハーブ王国)

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