こんにちは。今回は【世界史B】受験に役立つオリエント史シリーズの最終回です。メソポタミアから始まり長かったですね。今回のラストテーマはユダヤ人の歴史と中東戦争についてです。
今回の話の流れですが、今回はユダヤ人にスポットを当てます。古代にパレスチナの地に住んでいたユダヤ人たちはディアスポラとよばれる世界離散によって各地に拡散します。
近代になるとシオニズム運動の高まりに伴い、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという機運が生まれました。しかし、パレスチナに住んでいたアラブ系の人々や周辺諸国はユダヤ人国家の建設に反対します。そして、これが中東戦争の原因となりました。現在もなお、パレスチナ問題は出口のない解決に向かってゴタゴタしています。
私たちは、こうした現在性のあるユダヤ人とアラブ人との争いにおいてどういう原因から生じているのか学ばなければなりません。しっかりと理解していきましょう。
今回の記事のポイント・ユダヤ人の世界各地への離散をディアスポラという
・ユダヤ人のパレスチナでの国家建設運動をシオニズム運動という
・イスラエルは第一次、第三次の中東戦争に勝利し領土を拡大した
・第四次中東戦争は第一次石油危機の原因となった
異民族の支配とディアスポラ
(ディアスポラ時代の花嫁衣裳:wikiより)
紀元前1500年ころ、ユダヤ人たちがイェルサレムを中心とするヘブライ王国を建国しました。ヘブライ王国や古代ユダヤ人の歴史については、以前、「受験に役立つオリエント史アッシリア以前の東地中海世界:フェニキア人、ユダヤ人、アラム人」に記載しました。ぜひ、こちらもお読みください。
そして、紀元前1世紀、ローマの将軍ポンペイウスはユダ王国をローマの属領とします。ポンペイウスはローマの第一回三頭政治の一人でしたね。詳しくは「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(古代ローマ:ユリウス=カエサル以前)第四回」をお読みください。紀元後6年、パレスチナはユダヤ属州となりました。1世紀後半におきたユダヤ戦争の結果、イェルサレムはローマ軍の手によって破壊されます。
2世紀から4世紀にかけて、ユダヤ教徒たちはヨーロッパや中東など世界各地に離散しました。このことを「ディアスポラ」といいます。4世紀末にキリスト教がローマ帝国の国教となるとユダヤ教に対する排斥が強まりました。ちなみに、キリスト教が国教になる話は「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(キリスト教の成立と発展)第七回」に詳しいので読んでください。
11世紀後半から13世紀にかけての十字軍の時代、ユダヤ教徒は公職を追放され、服装規定などを定められるなど差別的に扱われます。
シオニズム運動
(ポグロム:wikiより)
中世以来、ユダヤ教の信仰を捨てない人々はヨーロッパ各国で迫害の対象となりました。代表はロシアやドイツなどで行われた迫害行為であるポグロムとフランスのドレフュス事件です。
ドレフュス事件は、フランス軍の大尉だったドレフュスがスパイ容疑で逮捕され階級をはく奪された事件です。自然主義作家のゾラらによってこの事件が冤罪であることは証明されましたが、ユダヤ人への差別が露骨に表れた事件だといえるでしょう。
ヨーロッパ各国で民族主義が高まる中、ユダヤ人たちも独自の国家を建設しようと動きます。ユダヤ人たちは聖地イェルサレムのあるシオンにユダヤ人国家を建設しようと夢見ました。シオンとはエルサレムの丘の名前です。そして、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという運動をシオニズム運動といいます。
[L1_wsbStart]https://wearewhatwerepeatedlydo.com/wp-content/uploads/2019/11/4d90983518b821b1c1e5493e206e3097.png[L_wsbName]S先生[L_wsbText]本当に、ユダヤ人は迫害の歴史でした。国もなく信じられるのは金のみということで、ユダヤ人は金持ちが多いと言われます。[L_wsbEnd]
第一次世界大戦中、ユダヤ人たちに新国家建設のチャンスが訪れます。オスマン帝国と戦っていたイギリスはユダヤ人たちに資金援助を求めました。イギリスの多重外交については、前回の記事「受験に役立つオリエント史(第二次世界大戦後の西アジア)」に記載しました。ぜひ、こちらもお読みください。
ちなみにユダヤ人が金持ちというのは常識的で、ユダヤ人の商法に付いて述べた書籍はこちらです。
イスラエルの建国と第一次~第三次中東戦争
(ペングリオン:wikiより)
第二次世界大戦中、ナチス=ドイツはユダヤ人に対する迫害を全ヨーロッパ規模で実施しました。多くのユダヤ人が殺害されました。ナチスの手を逃れた人々は難民となります。戦争終結後、難民たちはイギリスの委任統治領だったパレスチナに向かいました。
大戦後、イギリスはパレスチナの放棄を決断します。1947年、国際連合はパレスチナ分割案を採択します。聖地イェルサレムの国際管理と、アラブ人・ユダヤ人の双方によるパレスチナ分割が決議されました。
アラブ諸国はユダヤ人国家イスラエルの建国を否定します。イスラエルが建国を宣言するとアラブ連盟はイスラエルに侵攻しました。これが第一次中東戦争です。戦争の結果はイスラエルが勝利します。イスラエルは領土を拡大し、多くのパレスチナ人が土地を失いました。
1956年、エジプトのナセルはスエズ運河の国有化を宣言します。スエズ運河国有化については、以前、「受験に役立つオリエント史第二次世界大戦後の西アジア」に記載しました。ぜひ、こちらもお読みください。
スエズ運河国有化をめぐって争われた第二次中東戦争は戦術的にはイスラエルの勝利、政治・外交的にはエジプトの勝利に終わります。
1967年、エジプトはイスラエルのアカバ港を封鎖しイスラエルに圧力をかけました。これに対しイスラエル軍はエジプトなど周辺諸国を電撃的に攻撃し圧勝します。シナイ半島やヨルダン川西岸地区、ガザなどを占拠しました。これが第三次中東戦争です。
第四次中東戦争と石油危機(オイルショック)
(第四次中東戦争:wikiより)
エジプトのサダトはシナイ半島の奪還を目指し戦争の準備を始めます。1973年10月、エジプト軍とシリア軍は一斉にイスラエル軍に対して攻撃を開始します。第四次中東戦争が始まります。戦争はアラブ優位に進みました。
しかし、イスラエル軍が体勢を立て直すと戦線は膠着します。シナイ半島の中ほどで両軍がにらみ合う形となりました。開戦から一か月後、アメリカが提案した停戦に両国が同意し、第四次中東戦争は終結します。
アメリカなどの支援を受け、最新兵器を備えるイスラエルに勝利することはとても困難でした。そのため、アラブ諸国は豊富な石油資源を利用して争いを有利にしようと考えます。イスラエルに味方する国に石油を売らないという石油戦略が発動しました。
これにより、イスラエルを支援する欧米や石油輸入国である日本に大きな打撃を与えます。その結果、原油価格が高騰。先進国の経済に大きな悪影響を与えました。これを第一次石油危機、オイルショックといいます。
中東戦争について上記説明をざっくりと表にまとめました。全て、イスラエル(ユダヤ人国家)とアラブ人国家(エジプト、シリア、イラク、ヨルダンなど)の戦いです。しっかりと頭に入れておきましょう。
中東戦争の年号 | 原因(イスラエルが何処と戦ったか) | 結果 |
第一次(1948年) | イスラエルの独立の宣言(VSアラブ) | イスラエル有利の停戦 |
第二次(1956年) | エジプトのスエズ運河国有化(VSエジプト) | エジプトのスエズ国有化認められる |
第三次(1967年) | ゴラン高原のユダヤ人入植(VSエジプト、シリア、イラク、ヨルダン) | イスラエル勝利(6日間戦争) |
第四次(1973年) | エジプトの失地回復(VSエジプト、シリア) | 痛み分け |
まとめ
世界各地を流浪するユダヤ人たちは国家を持たないがゆえに各国で迫害されました。特にひどかったのがナチス=ドイツによる迫害です。多民族から迫害されないための新国家としてパレスチナにイスラエルを建国しました。
しかし、イスラエルの建国によってパレスチナ難民が発生。新たな戦争の火種となりました。また、アラブ側が石油戦略を発動させたため、先進国を中心に石油危機が発生。各国は不況に苦しみました。
日本も石油価格の高騰には影響を受けずにはいられません。特に私たちの生活の様々なところで影響を受けます。しっかりと理解をしておきましょう。お疲れ様でした。
前回の記事:「【世界史B】受験に役立つオリエント史(第一次世界大戦後の西アジア)」
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