日清戦争とは?原因・結果を簡単にわかりやすく解説【日本史第68回】

今回は日清戦争に至るまでの流れから、日本・清国・朝鮮三国の関係性、戦争の結果までを簡単にわかりやすく解説します。

 

最後には語呂合わせや入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。

この記事からわかること

・日清戦争に至るまでの大まかな流れ

・日本・清国・朝鮮三国が対立してきた歴史

・日清戦争が勃発したきっかけ

・日清戦争の結果及び締結された条約

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日清戦争に至るまでの流れ

 

(日清戦争:wikiより)

壬午軍乱・甲申事変

(閔妃:wikiより)

朝鮮では、1876年の日朝修好条規をきっかけに親日派が台頭し、80年代に入ると、閔妃ら親日派と大院君を支持する親清派が対立しました。閔妃は朝鮮国王の嫁で、大院君は朝鮮国王の父です。

 

嫁と舅の争いはどんどん激化し、1882年に壬午軍乱が起きます。これは大院君を支持する軍隊が起こした反乱です。この際民衆が日本公使館を包囲したことを受け、日本は大いに激怒します。結局反乱は失敗に終わり、日本は朝鮮に対して謝罪させました。

 

この事件をきっかけに閔妃は、親清派へと切り替わります。

 

壬午軍乱が起きた2年後の1884年、今度は金玉均らが中心の政治グループで、親日派の独立党が、日本公使館の援助を受けてクーデタを起こしました。これを甲申事変といいます。

 

なぜ事件が起きたのでしょうか?

 

それは独立党が、清仏戦争で清が敗戦した結果を受けて、今が改革の好機だと捉えたからです。しかし清国の援軍につぶされてこれも失敗に終わります。

天津条約

(李鴻章:wikiより)

甲申事変をきっかけに、日清関係は極めて悪化しました。そこで日本全権・伊藤博文と清国全権・李鴻章とのあいだで、1885年に天津条約を締結します。

 

条約では、日清両国が朝鮮から撤兵すること・今後朝鮮出兵する際は互いに知らせあうことなどが盛り込まれました。これにより、戦争という最悪の状況はなんとか回避できたわけです。

 

そこまでして戦争を避けたかったのには理由があります。清としては、清仏戦争の直後だったため、立て続けに戦争はしたくないという考えがありました。一方、日本は日本で、戦争よりも内政を優先させたいという狙いがありました。ただ実際は、清と戦って勝つ自信がなかったからというのが本音でした。

 

S先生
S先生
こうしたなか、1885年に福沢諭吉が「脱亜論」を発表します。福沢諭吉は、日本がアジアを抜け出してヨーロッパの一員となるべきだと主張しました。

甲午農民戦争から日清戦争へ

(日清戦争の風刺画:wikiより)

朝鮮政府は、1889~90年にかけて防穀令を出し、日本への穀物の輸出を禁止しました。当時朝鮮が凶作だったこと・日本がお米や大豆などをたくさん買い占めたことなどが理由でした。これに対して日本は強く抗議し、対立がより強まりました。

 

1894年、減税と排日を要求した農民が反乱を起こします。甲午農民戦争(東学党の乱)です。キリスト教(西学)に対して、東学とは朝鮮で創始された民衆宗教のことを指します。

 

朝鮮政府は清国に援軍を要請し、清は天津条約にもとづいて、日本に出兵することを通知しました。ところが、清に対抗して日本も出兵します。

 

その結果反乱は鎮圧されるも、日本軍と清軍両方とも引き上げず、日本が清に宣戦布告して日清戦争が勃発しました。

 

戦争に関係する予算案・法律案はすべて可決させるなど、国をあげてのバックアップもあって、戦局は日本側にとって有利に進み、日本が勝利を収めます。

 

翌1895年に、日本全権の伊藤博文・陸奥宗光と清国全権の李鴻章とのあいだで下関条約が締結されました。

 

内容は以下の通りです。

Ⅰ 清国は朝鮮の独立を認めること

Ⅱ 遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本へ割譲すること

(台湾総督を任命:樺山資紀)

Ⅲ 約2億両(当時の日本円で約3億1000万円)の賠償金を日本へ支払うこと

Ⅳ 沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開港すること

しかし日清戦争に勝利した喜びもつかの間、三国干渉でどん底を味わうことになります。

 

S先生
S先生
ちなみに上記の風刺画は、魚(朝鮮)を釣って捕らえようとしている日本と清のかたわらで、ロシアが横取りを狙っている様子を描いたものです。

 

今回の範囲はここまでです。続いて語呂合わせ・入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。

語呂合わせ

ここでは今回登場した重要なキーワードにまつわる語呂合わせを紹介しています。年号の暗記にお役立てください。

壬午軍乱:いやー恥(はじ→1882)かかされた壬午軍乱
甲申事変:クーデタいやいや走(1884)って甲申事変
甲午農民戦争:いやほど苦心(1894)し、また戦争
日清戦争:人は苦心(1894)の日清戦争
下関条約:違約ご(1895)めんの下関条約

入試問題にチャレンジ

下線部ⓑ(朝鮮へのあいつぐ軍事介入)に関連して、明治期の朝鮮半島をめぐる日本・朝鮮・中国の関係について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

①日本は、征韓論を唱えていた西郷隆盛を朝鮮に派遣し、開国を迫った。

②日本は朝鮮政府と、治外法権を相互に認めるなど、対等な内容の日朝修好条規を結んだ。

③金玉均らは日本公使館の援助のもとにクーデタを起こしたが、清国軍の出動で失敗に終わった。

④朝鮮政府が公募農民戦争のため日本に出兵を依頼すると、清国も対抗して朝鮮に出兵した。

2012年 センター試験 本試験 日本史B  第5問 問2より)

正解:③ 西郷隆盛らが征韓論を唱えていたものの、大久保利通らの反対により挫折したため、西郷が朝鮮に派遣されることはありませんでした。よって①は間違いです。また日朝修好条規は領事裁判権を認めさせるなど、日本に有利な不平等条約だったので、②も誤りとなります。④は日本と清国が逆です。朝鮮が出兵を依頼したのは清国であり、日本はそれに対抗して朝鮮に出兵しました。

まとめ

今回は日清戦争について見てまいりました。

 

壬午軍乱・甲申事変で日清関係がひどく悪化したこと・甲午農民戦争がきっかけとなって日清戦争が勃発したことが理解できたでしょうか?

 

日清戦争後に締結された下関条約の内容についてもしっかりおさえておいてくださいね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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