【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(ヴェルサイユ体制とワシントン体制)【近現代編その11】

ヨーロッパの歴史【近現代】
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こんにちは。今回も受験生に役立つヨーロッパの歴史シリーズをはじめます。近現代シリーズ第11回は【ヴェルサイユ体制とワシントン体制】を取り上げます。

 

前回は、「【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(ロシア革命とソ連の成立)【近現代編その10】」について述べました。

 

大戦に敗北したドイツは過酷な内容のヴェルサイユ条約に調印しました。一方、太平洋ではアメリカ中心の秩序であるワシントン体制が形作られます。ヨーロッパのヴェルサイユ体制と太平洋のワシントン体制は第二次世界大戦まで続きました。

 

今回の記事のポイント・ヴェルサイユ条約でフランスはアルザス=ロレーヌを取り戻した

・ヴェルサイユ条約でドイツは領土を失い天文学的な金額の賠償金を課せられた

・国際連盟は経済制裁しか実行できず、アメリカが不参加だった

・ヨーロッパではヴェルサイユ体制が、太平洋ではワシントン体制が出来上がった

・シュトレーゼマン、ケロッグ、ブリアンなどの活躍で国際協調路線ができた

 

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ヴェルサイユ条約

(ヴェルサイユ4巨頭:wikiより)

1919年1月、パリで講和会議が開かれました。第一次世界大戦で大損害を受けたイギリスやフランスはドイツに対して過酷な条件を提示します。6月、ヴェルサイユ条約が調印されました。

 

この条約でドイツは全ての海外植民地を喪失します。本国領土の13%を周辺国に割譲しました。フランスは普仏戦争で奪われたアルザス=ロレーヌ地方を奪還します。ポーランドはポーランド回廊を獲得しました。

 

普仏戦争でアルザスロレーヌ地方が奪われた経緯については「【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(イタリア・ドイツの統一)【近現代編その5】」が詳しいので読んでください。

 

また、ザール地方はのちにつくられた国際連盟の管理下に置かれ、15年後の投票でどの国に属すか決定されることになります。ドイツは軍備も制限され、潜水艦や軍用機の保有を禁じられました

 

さらに、ライン川右岸のラインラントは非武装地帯とされライン川左岸は連合軍によって15年間占領されます。加えてドイツは1320億金マルクという途方もない賠償金を課せられました。

 

ウィルソンの十四カ条と国際連盟

(ウッドロウ・ウィルソン:wikiより)

大戦が終結する前の1918年1月、アメリカ大統領ウィルソンは「14カ条の平和原則」を発表します。秘密外交の廃止や軍縮、民族自決などともに国際平和機関の設立が盛り込まれていました。

 

1920年、ウィルソンの提唱にもとづき国際連盟が設立されます。連盟の本部はスイスのジュネーヴです。全会一致が原則とされた総会が国際連盟の中心機関となりました。

 

国際連盟の注意点は2つ。1つ目は連盟の決議に対して違反などをしたとき、制裁手段が経済制裁しかなかったこと。2つ目はアメリカが議会の反対で不参加となったことです。アメリカ大統領のウィルソンが提唱しましたが、アメリカ国内では、モンロー主義という中立主義に反するという理由で上院で否決されてしまいます。

 

また、設立当初はドイツ、ソ連などが不参加だった点も問題でした。ちなみに、国際連盟の常任理事国はイギリス・フランス・イタリア・日本でした。

 

結果として、「十四ヶ条の平和原則」を基本として英仏中心のベルサイユ体制は、東欧以外の民族自決を認めず、ドイツに対し報復的で、合衆国は参加せず、ソヴィエト政権も除外されるなどの問題を持っていたものでした。

 

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S先生

結局、英仏の自国にとって利益のある形でしかヴェルサイユ体制はなされなかったという話です。

敗戦国との諸条約と東欧諸国の独立

(ハプスブルク家がオーストリアから去る:wikiより)

ドイツ以外の敗戦国とは個別に条約が結ばれました。オーストリアに対してはサン=ジェルマン条約が結ばれます。この条約でオーストリア=ハンガリー帝国は解体され、東欧諸国が独立します。また、未回収のイタリアの大半はイタリアに割譲されました。

 

ハンガリーとはトリアノン条約が結ばれます。オーストリアからの完全分離と周辺国への領土割譲が主な内容でした。同様に、ブルガリアに対してはヌイイ条約が結ばれます。

 

トルコについては、トルコ領土について戦時中にイギリス、フランス、ロシアがオスマン帝国の領土を委託統治するサイクス=ピコ条約という秘密条約が結ばれました。戦後は、トルコが連合国セーヴル条約を結びました。この内容はかなり厳しいものでした。ダーダネルス海峡の非武装化やメソポタミア・パレスチナをイギリスの信託統治領に、シリアをフランスの信託統治領にするものでトルコ領土は大きく縮小します。

 

当時の東欧の地図がこちらです。

ワシントン体制

(ハーディング:wikiより)

アメリカはアジア・太平洋での主導権を握るためワシントン会議を開催します。会議の提唱者はアメリカ大統領のハーディングでした。ワシントン会議で決まった条約は全部で3つあります。

 

1つ目は四カ国条約です。アメリカ・イギリス・日本・フランスが太平洋での現状維持と日英同盟の解消を決定しました。

 

2つ目は九カ国条約です。中国の領土保全と機会均等・門戸開放を定めます。これにより日本は青島や山東省利権を中国に返還。石井=ランシング協定は破棄されました

 

3つ目は海軍軍備制限条約、ワシントン海軍軍縮条約とよばれるものです。この条約により各国の主力艦保有比率がアメリカ:イギリス:日本:イタリア:フランス=5:5:3:1.67:1.67と定められました。

 

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S先生

結論として、アメリカはアジア・太平洋地域での平和秩序維持を目的としてワシントン体制をとったと言えますね。

軍縮と国際協調

(シュトレーゼマン:wikiより)

1920年代後半になると国際協調が図られます。1925年、ドイツ外相シュトレーゼマンの提唱でラインラントの現状維持と相互不可侵を約束するロカルノ条約が結ばれました。言ってしまえば、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギーの5ヶ国における地域的集団安全保障条約です。ロカルノ条約発効により、ドイツの国際連盟加盟が認められます。

 

しかし、1927年のジュネーヴ軍縮会議は各国の足並みがそろわず失敗に終わります。1928年、アメリカ国務長官ケロッグとフランス外相ブリアンが中心となり紛争解決の手段として戦争に訴えないとする不戦条約が結ばれます。

 

軍縮の流れは1930年のロンドン海軍軍縮条約に引き継がれ、アメリカ・イギリス・日本の補助艦保有比率が10:10:7と定められました。

関連問題

今回は、上智大学(経営・総合グローバル)2019年第一問の問題を改変してお送ります。是非ともじっくりと考えてみてください。

問1 ドイツが第一次世界大戦で失った領土に該当しないものは次のうちどれか?

①トーゴラント②カメルーン③ズデーテン地方④中国山東省

問2 第一次世界大戦後の世界においてヨーロッパの覇権はどのような形で揺らぎ、どのような形で立て直されたと言えるのかを350字程度で論じなさい。なお以下の用語全てを使用しなさい。

(用語:ワシントン体制、旧オスマン帝国、サイクス・ピコ協定、委任統治、植民地)


③ ズデーデン地方はオーストリアとハンガリーの争いの対象であり、ヒトラーの時代にドイツに併合される土地です。第一次世界大戦は関係ないので注意して覚えましょう

 


ロシア革命の「平和に関する布告」が無併合・無賠償・民族自決の原則を打ち出すと大戦中に民族資本の成長した植民地における独立要求が強まった。この民族運動は、ソビエト政権が設立したコミンテルンの活動によっても促進された。また、大戦中に世界最大の債権国となったアメリカ合衆国は、アジア・太平洋方面での秩序維持を図るワシントン体制の中心となった。このようにヨーロッパの覇権が揺らぐ中、「十四ヶ条の平和原則」を基本として英仏中心のベルサイユ体制は、東欧以外の民族自決を認めず、ドイツに対し報復的で、合衆国は参加せず、ソヴィエト政権も除外されるなどの問題を持っていた。さらに旧オスマン帝国領に対してはサイクス・ピコ協定を元として国際連盟からの委任統治を英仏が受けるという、植民地支配の再編成が行われた。

まとめ

第一次世界大戦に敗れたドイツやオーストリアは過酷な条約を受け入れざるを得ませんでした。大戦中におきたロシア革命とあわせて、ドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア帝国、オスマン帝国が滅亡します。

 

民族自決の原則に従い東欧諸国が独立します。二度と世界大戦を越さないため国際連盟がつくられ、世界恐慌が起きる前までは国際協調主義にしたがい、各国が話し合いで紛争を解決しようと試みました。今回は、以上です。

 

前回は、「【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(ロシア革命とソ連の成立)【近現代編その10】」について述べました。

次回は「戦間期のヨーロッパ」について述べます。

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