享保の改革について解説(入試問題演習付き)【日本史第54回】

今回は8代将軍徳川吉宗が行った享保の改革について解説していきます。

享保の改革とは、幕府の財政悪化を受けて吉宗が行った一連の取り組みのことです。上げ米の制・目安箱の設置・公事方御定書の制定など多くの施策があります。

覚えるのが大変かもしれませんが、語呂合わせや入試問題を用意しているので、ぜひ最後までお読みいただき、享保の改革をマスターしていってください。

この記事からわかること・享保の改革で吉宗が行った施策の内容とその目的

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享保の改革とは

 

(徳川吉宗:wikiより)

18世紀になると、幕府の財政がさらに悪化していきました。そこで8代将軍に就任した徳川吉宗は、政治・経済を中心に様々な改革を実施します。この改革を享保の改革といい、のちに出てくる寛政の改革・天保の改革と並んで三大改革の一つとされます。

では享保の改革の中身について次の項目で見ていくことにしましょう。

経済

 

(青木昆陽:wikiより)

財政再建のために吉宗はまず倹約令を出して、支出を抑えることを目指しました。

続いて1722年に大名から米を集めることを目的として上げ米の制を実施します。石高1万石あたり米100石を大名に上納させる一方で、参勤交代の期間を1年から半年に短縮しました。

また町人から米を集めるためにこれまで禁止していた町人の資本による新田開発も解禁しました。これを町人請負新田といいます。

さらに農民からも米を集めるべく、年貢量の決定方法を検見法から定免法に改めました。検見法とはその年の収穫量に応じて年貢量を決める方法で、定免法は豊作・凶作関係なく一定の年貢を納めさせる方法です。定免法を取り入れることで収入が安定し、幕府が予算を組みやすくなりました。

そして年貢率も従来の40%(四公六民)から50%(五公五民)に引き上げ、さらなる収入アップを図りました。

こうした政策により米の量が増えましたが、それが逆に米の価格を下落させてしまうことになってしまいます。そこで米の価格を引き上げようと、大坂の堂島米市場を幕府の公認にして価格の調整を行おうとしました。

こうして経済の分野で様々な取り組みをしてきた吉宗でしたが、1732年に享保の飢饉が発生して、吉宗の政策は大きな打撃を受けます。農民は飢えに苦しみ、江戸では打ちこわしが発生し、立ち直りかけた財政が再び悪化してしまいました。

その後吉宗は青木昆陽に甘藷(さつまいも)の栽培を行わせたり、さとうきびやハゼ、朝鮮人参などの栽培を奨励したりという取り組みも行いました。

また吉宗は経済だけではなく、政治でも次々と改革を行います。次の項目で見ていきましょう。

政治

(大岡忠相:wikiより)

吉宗が政治の分野で最初に行ったのが1719年の相対済し令の発布です。これは金銭の貸借に関する問題を幕府ではなく、当事者間で解決させるというものです。

なぜこのような令を出したのでしょうか?

それはもともと幕府に持ち込まれる訴訟のほとんどを占めていた金銭の貸借に関する争いが、吉宗の時代に激増して手に負えなくなってきたからです。

続いて1721年には庶民の意見を聞くために目安箱を設置しました。この結果作られたのが小石川養生所す。

吉宗は大岡忠相や田中丘隅、荻生徂徠、室鳩巣といった優秀な人材を多く登用した人物でもありました。1723年には優秀な人材を少ない負担で登用することを目指して足高の制を設けています。

そして吉宗政権の終盤、1742年には公事方御定書を制定して、裁判や刑罰の基準を定めました。

こうした改革を行った吉宗は将軍職を子の家重に譲りました。家重の時代には特に目立った出来事はなく、次回からは10代将軍家治の時代へと入っていきます。

 

S先生
S先生

吉宗は家重とともに田安家・一橋家・清水家という三家を立てました。これを御三卿といいます。家康時代の御三家と混同しないよう気を付けてくださいね。

語呂合わせ

ここでは、享保の改革にまつわる語呂合わせを紹介しています。

 

目安箱の設置:非難に一発(1721)目安箱
享保の飢饉:人並みに(1732)飯が食えない大飢饉
公事方御定書:非難しに(1742)行くも基準の公事方御定書

今回の範囲はここまでです。最後に入試問題を解いて理解度をチェックしてみてください。

入試問題にチャレンジ

1716年に8代将軍となった徳川吉宗は、旗本や民間から有能な人材を積極的に登用して、幕政全体におよぶ改革を行った。特に彼が重用した【ア】は1717年に普請奉行から町奉行に昇進した。さらに寺社奉行に抜擢されて大名になり、1751年に死去するまで幕政の中核を担った。

吉宗と【ア】らが取り組んだ改革は多岐にわたるが、彼らを悩ませた問題の一つとして、巨大都市となった江戸で発生する都市問題があった。町奉行在職中の【ア】は、くり返し発生する大火への対応として町方独自の火消を組織させ、さらに貧民のための医療施設として小石川養生所を設置した。

また彼らによって抜擢された【イ】は、飢饉に備えて甘藷の栽培と普及に多大な貢献をし、さらにオランダ語習得を命じられて「和蘭話訳」など多くの書物を著した。その成果がのちに継承されて、蘭学が隆盛することになった。

問 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① ア 大岡忠相 イ 青木昆陽 ② ア 大岡忠相 イ 田中丘隅

③ ア 田沼意次 イ 青木昆陽 ④ ア 田沼意次 イ 田中丘隅

2020年 センター試験 追試験 日本史B 第4問 問1より)

正解 ① 田沼意次は10代将軍徳川家治の時代に活躍した人物です。よってアは大岡忠相が入ります。甘藷の栽培を行ったのは青木昆陽なので、正解は①となります。
正解 ③ 井原西鶴は浮世草子と呼ばれるジャンルの小説を書いた人物なので、アに入るのは近松門左衛門です。イは国姓爺合戦の内容を仮に知らなかったとしても、清がいつの時代にあったか(もしくは日清戦争はいつ起こったか)がわかれば解くことができます。日清戦争は明治時代に起きたので、イには明が入ります。
正解 ② bの紀伊国屋文左衛門は、紀伊のみかんを江戸に送って利益を上げた豪商です。cの田中勝介は京都の商人で、上総に漂着したドン=ロドリゴをノヴィスパン(メキシコ)へと送った人物です。詳しくはこちらの記事「江戸初期の鎖国と外交について解説(入試問題付き)【日本史第46回】」をご覧ください。

まとめ

今回は享保の改革について見てきました。

享保の改革の中で登場した施策の一つ一つの目的・背景をしっかりと理解しておきましょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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