ラージプートとイスラーム王朝(ガズナ朝、ゴール朝、デリー=スルタン朝)を解説【世界史B】インドの歴史(第4回)

古代・中世
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みなさん、こんにちは。今回、第4回はインドにイスラーム教が入ってきてイスラーム化になるお話です。

 

ヴァルダナ朝の滅亡後、インドではヒンドゥー教を信仰するラージプート諸王国による分裂時代が続きました。11世紀以降、西から勢力を拡大したイスラーム勢力がガズナ朝に始まり、徐々に北インドを制圧していきます。13世紀にはデリーを都とするイスラーム諸王朝、いわゆるデリー=スルタン朝が北インドを支配します。今回は、その流れを解説します。

今回の記事のポイント・ヴァルダナ朝滅亡後、ラージプート諸国が北インドを支配

・ガズナ朝は北インドに侵入を繰り返したが、恒久支配は行わなかった

・ゴール朝の武将、アイバクがデリーで独立して奴隷王朝を建国

・デリー=スルタン 朝:奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝

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ラージプート諸国による分裂時代

(ラージプート時代のシヴァ神とパールヴァティーの像:wikiより)

ヴァルダナ朝が滅亡したのち、北インドにはヒンドゥー教を信仰する王国がいくつか並立しました。それらの国の王はマハーラージャーとよばれます。

 

北インドに成立した諸王国のことをラージプート諸国と呼びました。ラージプートとはサンスクリット語で王子を意味するラージャプトラに由来します。彼らは、古代クシャトリアの子孫と称し、誇り高き武人であると自認していました

 

ラージプート諸国のうち、もっとも有力だったのがカナウジを都としたプラティハーラ朝です。ほかにもベンガル地方のパーラ朝やデカン高原のラーシュトラクータ朝などが知られています。

(ラージプート諸国の地図)

ガズナ朝の北インド侵入

(マフムード:wikiより)

10世紀になると、アフガニスタンで成立したガズナ朝が東西に勢力を拡大します。ガズナ朝はトルコ系で、軍事力の強い王朝でした。しかも、イスラーム王朝でした。

S先生
S先生

ガズナ朝はマムルーク(奴隷軍人)出身のアルプテギーンが建国しました。ちなみに、トルコ系の王朝だけど、言語、文化、文学的にはペルシャの影響が強くイラン系の王朝とする見解もあるわ。

 

998年に即位したゴール朝最盛期のスルタンであるマフムードは、アフガニスタンだけではなくイランも平定します。さらに、カイバル峠を越えてパンジャーブ地方に進出しました。

 

ラージプート諸国はマフムードの侵入に抵抗しますが、戦いはガズナ朝のマフムード優位に進みます。ガズナ朝はインドの恒久支配は考えておらず、専ら略奪を繰り返しました。

 

S先生
S先生

そうは言っても、ガズナ朝によってインドにイスラーム教が入ってきたという事実はあるわね。

ガズナ朝のスルタン、マフムードは文化を保護した君主としても知られています。特に、『シャーナーメ』を書いた詩人フィルドゥシーを保護したことが有名ですね。

ゴール朝の北インド侵入

(ムハンマド王のミナレット:wikiより)

12世紀に入ると、ガズナ朝は北方から西方に力を伸ばしたセルジューク朝に圧迫されるようになります。さらに、アフガニスタン中部で成立したゴール朝がガズナ朝の領土を侵食します。1186年、ゴール朝はガズナ朝を滅ぼしました。

ゴール朝の王ムハンマドは北インドのパンジャーブ地方も征服します。イスラーム教布教に努めました1192年、ムハンマドはラージプート諸国の連合軍に勝利しガンジス川流域を制圧します。さらに、ベンガル地方のパーラ朝も滅ぼし北インド支配を進めました。

デリー=スルタン朝の成立

(クトゥブミナール:wikiより)

ゴール朝のムハンマドは、北インド支配を配下の武人であるアイバクに委ね、自らはアフガニスタンに帰りました。ところが、ムハンマドは1206年に暗殺されてしまいます。そのため、ゴール朝は大混乱に陥りました。

 

そこで、アイバクは北インドのデリーで独立を宣言します。インド最初のイスラーム王朝を築きました。アイバクがトルコ人奴隷軍人であるマムルークの出身だったことから、アイバクの王朝は奴隷王朝とよばれます。

 

S先生
S先生

ガズナ朝、ゴール朝は共にイスラム教の国だけど、インド自体に建国はしていないので、インド最初のイスラム王朝と言えば奴隷王朝ということを覚えておきましょう。

 

奴隷王朝は13世紀にを中心に反映しましたが、チャガタイ=ハン国やイル=ハン国との戦いに敗れ混乱し、1290年に滅亡します。

 

以後、イスラーム勢力はデリーを都として次々と王朝を打ち立てます。奴隷王朝の次がハルジー朝、その次がトゥグルク朝、その次がサイイド朝、最後に成立したのがロディー朝です。これらの王朝はデリー=スルタン朝(デリーサルタナット)といいました。

イブン=バットゥータが訪れたのはトゥグルク朝の時代です。トゥグルク朝はティムールの侵入によって衰退します。

まとめ

ガズナ朝に始まるイスラーム勢力の西北インド侵入は、インドが分裂していたこともあり、イスラーム側に有利に進展しました。奴隷王朝以降、デリーに都をおいたイスラーム諸王朝は北インドの支配を着実に進めます。

 

その結果、インドは北インドのイスラーム勢力とデカン高原以南のヒンドゥー教勢力とに分かれました。インドが統一されるのは次のムガル帝国を待たなければなりません。次回、ムガル帝国についてお楽しみに。

前回の記事「【世界史B】受験に役立つインドの歴史第3回【ヴァルダナ朝と南インドの諸王朝】

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