こんにちは。今回も受験生に役立つヨーロッパの歴史シリーズをはじめます。今回はイギリスの自由主義改革を取り上げます。
今回の話は頻出のイギリス支配のインド史に大きく関わってきますし、他の歴史の基礎理解としてイギリスの自由主義は必要な知識なのでしっかり抑える必要はあります。
特に、イギリスの植民地支配の地域はしっかりと抑える必要があります。地図が下にあるのでイメージで覚えましょう。
ヨーロッパの中でもいち早く産業革命を達成したイギリスでは、規制緩和が次々と進められ、それが社会の活力となりました。19世紀後半のヴィクトリア女王の時代、イギリスは世界各地を制する大英帝国へと成長し最盛期を迎えます。
今回の記事のポイント・産業革命が進み、資本家や労働者の力が強まることで自由主義改革が始まった
・自由党のグラッドストン、保守党のディズレーリは受験頻出
・イギリスの選挙法改正は表でしっかり整理しよう
・審査法でカトリック以外の解放。カトリック解放令で宗教差別全廃
・コブテン・ブライトの反穀物法同盟は自由貿易を進める重要な動き
・イギリスの植民地は地図でしっかり確認しよう
自由主義改革の背景
(19世紀の鉱夫:wikiより)
イギリスでは、スチュワート朝が断然し、1714年ドイツ北部の領邦君主の家系であったハノーヴァー家からジョージ1世を国王に迎え入れてハノーヴァー朝が成立しました。スチュワート朝については「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(イギリス絶対王政と二つの革命)【近代編その4】」で解説しています。
このハノーヴァー朝の中で、世界で最も早く産業革命を達成したイギリスでは利益を蓄積した産業資本家の発言力が強まります。ちなみに、イギリスではインドのキャラコという綿織物が当時人気を博し輸入することなしに工場生産する目的で産業革命が発展します。
ちなみに、イギリスの産業革命といえばワットの蒸気機関が有名ですね。
さて、力をつけてきた産業資本家ですが、彼らは政治面での差別撤廃や選挙権の拡大、自由貿易の拡大などを政府に要求します。第一回選挙法改正で、産業資本家に参政権が付与されました。
又、産業革命の進行は同時に多くの労働者階級を生み出します。資本家によって雇われる立場だった労働者は自分たちも権利が認められるべきだとして選挙権や労働者保護の仕組みや法律の制定を要求します。
この関連で受験的に知っておいて欲しいのが1833年に出された工場法という法律です。
首都大学東京が以下の問題を作成しています。少し見てみましょう
首都大学東京2019年前期大問4問1工場労働者の劣悪な条件の改善のために1833年にイギリスで取られた方策を50字以内で記しなさい。
解答は、「工場法が制定されて、18歳未満の年少者労働の時間が制限され、工場に対する国家の監督権が認められた(48字)」です。
そう、この時代に早くも、自由を推し進めて資本家が強くなり労働者を酷使しようとする一方、資本家に対し国家が少し介入し労働者を保護していこうという積極的国家の要素が出ているということです。
中学の公民などで習ったと思いますが、国家が市場や民間に極力介入しないのを消極的国家というのに対し、市場に介入していくのを積極的国家と言います。そして、積極的国家として労働者の福祉に介入することを福祉国家という形で言います。ですので、積極的国家と福祉国家は親和性が高いといえます。
こうした福祉的国家という観念は主に20世紀に出てくる考えなのですが、19世紀のイギリスにもみられたという意味では面白いですね。
ウィーン体制下で多くの国で自由主義的改革が弾圧される中、イギリスでは政治や経済の自由化・平等化が進みます。その結果、イギリスの国力は強まりました。
二大政党の成立
(イギリス議会議事堂:wikiより)
このころ、イギリスでは二大政党ができつつありました。マンチェスターに本拠を置くホイッグ党とバーミンガムに本拠を置くトーリ党です。ホイッグ党は産業資本家の支持を受け、トーリ党は地主や貴族の支持を受けました。
のち、ホイッグ党は自由党、トーリ党は保守党と称するようになります。自由党と保守党の主張する政策は大きな違いがありました。
自由党は文字通り自由貿易を推進します。マンチェスターという工業地域が基盤にあるのも大きいですね。自由党は自由主義的改革にも積極的でアイルランドの自治に賛成していました。それに対し保守党は保護貿易を主張します。まあ、貴族は保守的と考えましょう。アイルランドの自治に反対の立場をとります。
自由党グラッドストンは教育法や労働組合法、第三回選挙法改正など内政問題に取り組みます。保守党のディズレーリはスエズ運河株の買収やインド帝国の樹立など大英帝国を拡大させる政策を実行しました。
新進気鋭のベンチャー企業的感覚と既得権益を大事にする大企業的感覚みたいなイメージをもつと覚えや
選挙制度の改正
(グラッドストン:wikiより)
産業革命によって力をつけた都市の産業資本家は選挙権の拡大と腐敗選挙区の廃止を求めます。腐敗選挙区とは人口が激減したにもかかわらず従来通りの議席が割り振られていた選挙区のことです。
1832年、ホイッグ党のグレイ内閣は第一回選挙法改正を実施します。選挙権が都市の産業資本家に拡大されました。1867年の第二回選挙法改正では都市の工場労働者にも選挙権が与えられました。
1884年、自由党のグラッドストンは農業労働者と鉱山労働者に選挙権を拡大する第三回選挙法改正を実施します。しかし、イギリスで男子普通選挙が実施されるのは1918年、女子も含めた男女普通選挙は1928年まで待たなければなりませんでした。
ちなみに、日本では成年男子に選挙権が付与されるのは1925年の治安維持法の年ですし、女子にも付与されるのは戦後になってからです。その意味で、日本もイギリスとほぼ同時期に行なっているといえます。
宗教差別の撤廃
(オコンネル:wikiより)
17世紀におきた宗教的対立のため、イギリスでは国教会優位の仕組みが作られていました。イギリスの国教会についてはヘンリ8世のところで詳しく解説しています。詳しくは、「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(イギリス絶対王政と二つの革命)【近代編その4】」をみてください。
そして、イギリスで自由主義運動が活発化すると宗教による差別撤廃の要求がもりあがります。
1828年、イギリス国教会の信者以外が公職に就くことを禁じる審査法が廃止されます。これによってピューリタンなどは公職に就くことが可能となりますが、カトリック教徒は除外されます。
カトリックが多いアイルランド出身のオコンネルは、カトリック教徒も平等に扱われるべきと主張します。彼らの活動により1829年、カトリック教徒解放法が成立し宗教差別が撤廃されました。
自由貿易政策
(反穀物同盟:wikiより)
力をつけた産業資本家たちは自由貿易を推進し、さらに利益を拡大させようと考えました。彼らが改正を目指したのが1815年に制定された穀物法です。ナポレオン戦争後にイギリス農業を保護するため制定された法律です。
具体的には、穀物価格の高値維持を目的としており地主貴族層の利益を保護という側面がありました。これは穀物の値段が上がり、日々を暮らす労働者やそれに伴う賃金向上の負担を負う資本家にとって面倒な法律でした。
自由党員のコブテンとブライトは反穀物法同盟を結成します。安価な穀物の供給によって労働者賃金の引き下げを企図した産業資本家が中心となります。又、小麦価格の低下を望む労働者の支援を受けた反穀物法同盟は、1846年に穀物法廃止を実現させました。
資本家と労働者の思惑は違いますが、結果として両者に利する形で決着がつきます。
また、1849年にはクロムウェルの時代に制定された航海法が廃止されます。さらに東インド会社がもっていた対中国貿易の独占権の廃止なども実行されます。イギリスは保護貿易をやめ、自由貿易主義を採用することになります。
ヴィクトリア女王時代の大英帝国
(万国博覧会:wikiより)
イギリスの最盛期といえば、19世紀後半のヴィクトリア女王の時代でしょう。ハノーヴァー朝第6代目の女王です。そして、自由主義の方向にかじを切ったイギリスは繁栄の時代を迎えます。1851年の万国博覧会はその象徴とも言えますね。
覚えておきたい語呂合わせいや〜こい(1851)、イギリスでの万国博覧会!!
ヴィクトリア女王の時代は二大政党がうまく機能した時代でもありました。自由党のグラッドストンは主に内政面で、保守党のディズレーリは主に外交面で成果を上げます。
ヴィクトリア女王の時代、イギリスの植民地は世界各地に広がり大英帝国とよばれるのにふさわしい規模になりました。
大英帝国の植民地は以下の通りです。しっかりと頭に入れてイメージを保ちましょう。
今回のまとめ
19世紀はイギリスとそれ以外の国で対照的な動きが見られた時代でした。産業革命が発達したイギリスは政治、宗教、貿易などあらゆる面で自由主義改革が進みます。
その結果、イギリスの国力はますます強まりヴィクトリア時代に最盛期を迎えます。
19世紀末のドイツ、20世紀のアメリカが台頭するまでイギリスは圧倒的な国力を誇り、パックス=ブリタニカとも呼ばれました。ローマ時代のパックス=ロマーナとかありましたよね。覚えていますか?そして、この自由主義改革こそがイギリスを強くしたのです。
今回の話は、以上です。お疲れ様でした。しっかりと復習をして勉強してくださいね。質問やコメントなどお待ちしております。
次回は「19世紀のフランス(7月革命とナポレオン3世そしてパリ・コミューンの第三共和制)【世界史B】(近現代編3)」とフランスについてです。
前回の「【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(ウィーン体制とその崩壊)【近現代編その1】」はこちら
コメント