戦後のアメリカについて冷戦時代から湾岸戦争まで一気に解説【現代史第9回】

現代史

こんにちは。今回は戦後のアメリカについて述べていきます。第二次世界大戦後、アメリカはソ連と並ぶ超大国となり、冷戦を引き起こしました。そして、アメリカの歴代大統領は世界を動かす重要な役割を果たします。今回は戦後の歴代のアメリカ大統領と覚えておくべき事項についてまとめました。

 

西側諸国の盟主となったアメリカは占領した日本や西ドイツをはじめ、西側諸国に経済的な支援を与え、アメリカ文化を広めました。しっかりと整理して覚えておきましょう。

  • トルーマン政権は「赤狩り」と封じ込め政策、マーシャルプランに着目
  • アイゼンハウアー政権は共和党。この時、フルシチョフ訪米
  • ケネディ政権はニューフロンティア政策とキューバ危機への対応
  • ジョンソン政権はベトナム戦争を始めた政権だと覚える
  • ニクソン政権は、ベトナムからの撤退(終結ではない)とニクソンショック
  • ニクソンは、ウォーターゲート事件により任期途中で大統領を辞任
  • レーガン政権は「双子の赤字」、ブッシュ政権は冷戦の終結と湾岸戦争
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戦後直後から1960年代までのアメリカ

(ケネディ:wikiより)

第二次世界大戦直後、政権の座にいたのは民主党のトルーマンでした。トルーマンは、封じ込め政策を展開しソ連を筆頭とする社会主義勢力の拡大を抑え込もうとします。

 

そのため、西側諸国にマーシャルプランなどの経済支援を与えました。また、占領した日本に対しても、西側諸国の一員として共産主義を防ぐ「反共の防壁」の役割を与えるため経済援助を行いました。

(冷戦地図)

このころ、アメリカ国内では社会主義者を攻撃する「赤狩り」が行われました。中心人物であるマッカーシー上院議員の名から、マッカーシズムとよばれます。

 

1953年に大統領となったのは共和党のアイゼンハウアーです。アイゼンハウアーは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で活躍した英雄でした。

 

アイゼンハウアーはソ連の指導者となったフルシチョフの訪米を受け入れ、平和共存路線を進めます。しかし、キューバ独立を機に東側との対決姿勢を強めました。

 

1961年、民主党のケネディが大統領となります。ケネディ政権はニューフロンティア政策を掲げ、清新な政治を訴えました。

 

しかし、1962年のキューバ危機に直面。ケネディはフルシチョフとホットラインで会談し核戦争の危機を直前で回避します。

 

その後、ソ連と部分的核実験停止条約を結びましたが、1963年に暗殺されてしまいました。ケネディ暗殺を受け、大統領に昇格したのがジョンソンです。

 

ジョンソン政権は「偉大な社会」をスローガンに公民権法を成立させ、社会福祉の充実や貧困の克服などに努めます。

 

その一方、南北ベトナムの対立に深く関与し、北ベトナムへの北伐を実行。1965年から本格的にベトナム戦争に突入します。

 

ジョンソン政権はアメリカの地上軍を投入し、一気に南ベトナムの反政権組織である南ベトナム解放戦線(ベトコン)の壊滅を狙いましたが失敗。戦争は長期化します。

 

長期化する戦争に対し、国内外からジョンソン政権への批判が高まりました。1968年、ベトコンはテト攻勢を実行します。アメリカ軍に大きな被害が出る中、ベトナム反戦運動が激化します。

アメリカ大統領覚えておくべき事項
トルーマンマーシャル・プラン、トルーマン・ドクトリン
アイゼンハワーキューバ独立
ケネディニューフロンティア政策、キューバ危機
ジョンソン公民権法、ベトナム戦争

1970年代以降のアメリカ

(湾岸戦争)

1969年、大統領選挙に勝利した共和党のニクソンは「法と秩序」の政治を目指します。ニクソンはキッシンジャーを大統領補佐官に任命し、アジアでの過度な介入を抑制すると表明しました。

 

ニクソンの狙いは長期化したベトナム戦争を終わらせることです。しかし、アメリカ優位の終結とするため、隣国のカンボジアやラオスにも戦火を拡大しました。

 

長期化したベトナム戦争はアメリカに強大な経済的負担を強います。深刻な不況に陥ったアメリカ経済を守るため、ニクソンは金とドルの交換停止(ニクソン=ショック)に踏み切ります。これにより、ブレトン=ウッズ体制は崩壊。世界経済は変動相場制へと移行しました。

 

外交面では、キッシンジャー補佐官を中心に積極的な外交を展開します。1972年のニクソン訪中は象徴的でした。1973年、ニクソン政権はベトナムから撤兵。ようやく、アメリカは泥沼から足を引き上げることができました。

 

しかし、ニクソン自身は民主党本部に盗聴器を仕掛けたウォーターゲート事件に関与したことにより、任期途中での辞任を余儀なくされます。

 

1977年、民主党のカーターが大統領となり、人権外交を展開しました。エジプトとイスラエルの和平条約の仲介や米中国交正常化をなしとげます。

 

1981年に大統領となった共和党のレーガンは「強いアメリカ」の復活を唱えて当選しました。軍備の拡大や対ソ強硬政策をとりましたが、財政の悪化を招きます。レーガン政権時代、アメリカは貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」に苦しめられました。

 

1989年、レーガン政権の副大統領だったブッシュが大統領となります。ブッシュ政権時代、ベルリンの壁が崩壊し東欧革命が勃発します。ブッシュはソ連のゴルバチョフとマルタで会談します。冷戦の終結を宣言しました。冷戦終結については「東西両陣営の動揺と冷戦の終結」を読むとより理解が深まるでしょう。

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1990年、イラクのフセイン政権が隣国のクウェートに侵攻。翌年に湾岸戦争が始まります。湾岸戦争で驚異的な支持率を獲得しますが、経済の悪化に対する国民の批判が強まり、次の大統領選挙では民主党のクリントンに敗れます。

ニクソンニクソン=ショック、中国訪問、ベトナム戦争集結、ウォーターゲート事件
カーター米中国交正常化
レーガン双子の赤字
ブッシュマルタ会談、冷戦終結、湾岸戦争

まとめ

 

第二次世界大戦後、ソ連と共に超大国となったアメリカは、世界の政治に大きな影響を与えました。

 

現代アメリカに大きな影を落としたのがベトナム戦争です。ベトナム戦争前のケネディ政権、ベトナム戦争時のジョンソン政権、ベトナム戦争後のニクソン政権はよく出題されるのでしっかりと整理しましょう。

 

もう一つの転換点となったのがレーガン政権からブッシュ政権にかけてです。冷戦の終結の前後もよく出題されるので要注意ですよ。

現代史について勉強したい人は「もういちど読む山川世界現代史」がおすすめです。

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