戦後のアフリカ諸国の歴史について解説(ヨーロッパからの独立を中心に!)【現代史 第8回】

現代史

こんにちは。今回は戦後のアフリカ諸国について述べていきます。

 

かつて、ヨーロッパ人はアフリカを暗黒大陸とよびました。19世紀後半から20世紀にかけて、ヨーロッパ列強はアフリカの内陸部まで入り込み、各地を植民地化していきました。

 

第二次世界大戦後、アフリカ諸国はヨーロッパから独立します。この過程についてまとめていきますのでしっかりと理解してきましょう。

  • 19世紀、アフリカはヨーロッパ諸国の植民地となった
  • イギリスの縦断政策とフランスの横断政策は地図でも要確認
  • 独立前の支配国(宗主国)は共通テストでもよく狙われるので注意
  • 1960年はアフリカの年
  • アフリカ諸国は第三世界の国々として国連などで存在感を発揮
  • ローデシアは1980年にジンバブエと改称
  • 南アフリカ政府は1991年にアパルトヘイトを撤廃
  • 1994年、南アフリカで黒人のマンデラ政権が発足
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植民地化された暗黒大陸アフリカ

(セシル・ローズ:wikiより)

19世紀後半、ヨーロッパ列強は競ってアフリカを植民地化しました。もっとも有名なのはイギリスのアフリカ縦断政策とフランスのアフリカ横断政策です。詳しくは「帝国主義の成立とアフリカの植民地化)」の記事で解説しています。

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イギリスは南アフリカとエジプトを結ぶルートの植民地化を図ります。イギリスが特に力を入れたのが南アフリカでした。1899年の南アフリカ戦争でオランダ系のボーア人に勝利したイギリスは南アフリカ連邦を成立させ支配を強化します。

 

後発のヨーロッパ諸国は、イギリス・フランスがまだ征服していない土地に狙いを定めます。

 

ドイツは南西アフリカとタンザニア、ベルギーはコンゴ、イタリアはリビアとソマリアを植民地化します。

(アフリカ諸国の植民地化

19世紀のヨーロッパ諸国の侵入から独立を守ったのはエチオピアとリベリアだけでした

 

その後、エチオピアはイタリアとの戦争に敗れ、併合されてしまいます。

第二次世界大戦後に独立したアフリカ大陸諸国

(エンクルマ:wikiより)、

第一次世界大戦と第二次世界大戦は宗主国であるヨーロッパ諸国の力を大きく弱めました。1951年、旧イタリア領のリビアが独立を果たすと隣国のアルジェリアでも独立戦争が起きます。

 

アフリカ諸国の独立が本格化するのは、1950年代後半のこと。1956年にはスーダン、モロッコ、チュニジアが独立、1957年にはガーナ、1958年にはギニアが独立を達成しました。

 

一方、アルジェリア独立戦争により消耗したフランスは、ド=ゴール大統領の決断で植民地の独立を容認するようになります。その結果、急速に独立の動きが高まりました。

 

1960年、旧フランス植民地と旧イギリス植民地、旧ベルギー植民地の国々が一斉に独立を果たします。1年で17カ国もの国々が独立を果たしたため、1960年は「アフリカの年」といわれました。

アフリカ諸国の独立:黄色の国が1960年に独立した国)

 

S先生
S先生
1960年に全てのアフリカの国が独立したわけでないのに注意よ!

1960年、ガーナ大統領のエンクルマは、国際連合の総会で南アフリカでのアパルトヘイトを非難し、アフリカ諸国への支援を要請する演説をおこないます。

 

アフリカ諸国は、アジア=アフリカ会議や非同盟諸国首脳会議などを通じて東西両陣営に属さない第三世界の国々として存在感を発揮。加盟後の国際連合でも、一国一票制の総会で影響力を強めました。

 

白人による黒人差別と南アフリカのアパルトヘイト

(マンデラ像:wikiより)

アフリカ諸国で黒人が国の主導権を握る中、南アフリカとローデシアでは白人による支配が続いていました。

(南アフリカの地図

1964年にローデシアの北部で独立運動が激化。その結果、ローデシア北部はザンビア共和国とマラウイ共和国として独立を果たします。しかし、南部は白人支配のローデシアのままでした。

 

1965年、ローデシアはイギリスから独立します。独立後のローデシア政府は南アフリカと同じアパルトヘイト政策を採用。国際連合から経済制裁を受けました。

 

 

1970年代、ローデシアでも黒人による反政府運動が活発化。自由選挙を経て、黒人政権が誕生します。1980年、ローデシアは国号をジンバブエと改称しました。

 

一方、隣国の南アフリカは黒人を差別するアパルトヘイト(人種隔離政策を実行し続けていました。

 

アパルトヘイトを強行する南アフリカ政府に対し、ネルソン=マンデラらは不服従運動を展開します。政府はマンデラをはじめとする黒人活動家を逮捕し収監しました。

 

1980年代、黒人が中心となったゼネストが南アフリカで発生し、経済がマヒ状態となります。1985年、南アフリカ政府はマンデラを招き、事態の収拾をはかりました。

 

1989年、デクラーク政権はマンデラを無条件で釈放。1991年にはアパルトヘイト関連法をすべて廃止し、政治犯を釈放しました。これにより事態は沈静化の方向に向かいます。1994年、選挙によりマンデラが大統領に選出されました。

 

まとめ

 

アフリカの歴史はヨーロッパ諸国による植民地化を抜きにして語ることはできません。19世紀に各地を植民地化したヨーロッパ諸国は、植民地から資源を得て、植民地を自国の誌上として囲い込みます。

 

第二次世界大戦後、アフリカでは独立が相次ぎました。特に1960年はアフリカの年として有名になります。

 

アパルトヘイトを強行していたローデシアは黒人が政権を奪取し、ジンバブエと改称します。南アフリカでも1991年までにアパルトヘイトが撤廃され、黒人のマンデラが大統領となりました。

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