イスラエルの建国と中東戦争【現代史 第7回】

現代史

こんにちは。回はイスラエルの建国と中東戦争。第二次世界大戦後、パレスチナ地域は国際連合決議に基づき、ユダヤ人国家のイスラエルとアラブ人居住地域に分割されることになりました。

 

これに反発したアラブ諸国は連合軍を結成しイスラエルと戦い、第一次中東戦争が始まります。この戦いを含め、イスラエル人とユダヤ人は4度にわたって中東戦争を戦いました。

 

今回はイスラエルの建国と中東戦争について、まとめます。イスラエル問題については「フサイン=マクマホン協定などによる中東問題とパフレヴィー朝イランについて【世界史B】」の記事をお読みください。

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  • イギリスはバルフォア宣言とフサイン・マクマホン協定という矛盾する約束をした
  • ユダヤ人たちの建国運動をシオニズム運動という
  • パレスチナ分割案にユダヤ人は賛成、アラブ人は反対
  • 第一次中東戦争はイスラエルの勝利
  • 第二次中東戦争で、ナセルはスエズ運河国有化を達成
  • 第三次中東戦争は、イスラエルの圧勝
  • 第四次中東戦争後、サダトはイスラエルと和平
  • 第四次中東戦争で、アラブ諸国は石油戦略を発動
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イスラエルの建国と第一次中東戦争

(イスラエル国旗:wikiより)

1897年、世界各地に離散して暮らしていたユダヤ人たちは第一回シオニスト会議を開催。ユダヤ人国家を建設しようというシオニズム運動が盛んになりました。

1914年、第一次世界大戦がはじまると、イギリスはオスマン帝国の支配下だった中東地域での戦争を有利にするため、アラブ人とユダヤ人を味方につけようとします。

 

アラブ人に対してはフセイン・マクマホン協定を結び、中東でのアラブ人国家建設を約束します。一方、ユダヤ人に対してはバルフォア宣言ではユダヤ人国家であるイスラエル建国を約束しました。

 

第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領とされます。1920年代、ヨーロッパ各地からユダヤ人たちがパレスチナへ移住し始め、在来のアラブ人との対立が激しくなりました。

 

第二次世界大戦がおきると、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害から逃れるため、多くのユダヤ人がパレスチナに向かいました。

 

第二次世界大戦後、イギリスはユダヤ人とアラブ人の対立を調整できなくなり、国際連合に対処を委ねました。1947年、国際連合でパレスチナ分割案が可決されます。

 

パレスチナ分割案は、パレスチナをユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)で分割し、聖地イェルサレムは国際管理とするという案でした。

 

ユダヤ人はパレスチナ分割案を受け入れますが、アラブ諸国は拒否します。分割案の内容が3分の1の人口しかないユダヤ人に半分以上の土地を与えるユダヤ人有利な内容だったからでした。

 

1948年、イスラエルが建国を宣言するとアラブ諸国軍はイスラエルに侵攻。第一次中東戦争が始まりました。

 

数の上では不利なイスラエルでしたが、イギリスやアメリカの支援を受け、すでに軍備を整えていたため、数で有利なアラブ諸国軍を撃退。建国を既成事実としました。

 

そればかりか、イスラエルは第一次中東戦争の勝利で、パレスチナ分割案より多くの領土を獲得します。

イスラエル人とパレスチナ人や周辺アラブ諸国が戦った中東戦争とは

(第四次中東戦争:wikiより)

20世紀後半におきた中東戦争は、4回にわたって展開した大規模な戦争です。イスラエル建国直後の第一次中東戦争はイスラエルの勝利で終わりました。中東戦争についてより詳しく知りたいなら「イラン、イラク、アラブ諸国など西アジアの現代の歴史【現代史 第6回】」をお読みください。

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1952年、自由将校団を率いたナセルはエジプトの王政を倒し、エジプト共和国を樹立します。1956年、ナセルは大統領となり独裁権を手に入れます。

 

大統領となったナセルはスエズ運河の国有化を宣言します。これに反発したイギリスとフランスはイスラエルとともにエジプトを攻撃しました。これが第二次中東戦争です。

 

戦争そのものはイギリス・フランス・イスラエルが有利でしたが、ナセルは国際世論を味方につけます。結局、米ソが介入しイギリス・フランス・イスラエルは撤退しました。

 

1967年の第三次中東戦争はエジプトがアカバ湾を封鎖したことがきっかけとなっておきます。イスラエル軍はエジプト軍に圧勝。領土を5倍に拡大します。この戦争でパレスチナ難民が100万人以上発生しました。

 

ナセルの次にエジプト大統領となったサダトは、第三次中東戦争で失ったシナイ半島を奪還するため計画を練ります。1973年、エジプトとシリアがイスラエル軍を奇襲攻撃することで第四次中東戦争が始まりました。

 

不意を突かれたイスラエル軍は撤退を余儀なくされました。しかし、イスラエル軍は体勢を立て直し、エジプト・シリア軍もそれ以上の進撃はできません。

 

この時、アラブ諸国は親イスラエル諸国に原油の販売を停止、または制限する石油戦略を実行しました。日本をはじめ、原油の輸入国は大打撃を受けます(第1次石油危機)。

 

停戦後、サダト大統領はイスラエルとの和平を実現します(エジプト=イスラエル和平)。以後、イスラエルとパレスチナ解放機構の戦いが中東問題の中心となりました。

まとめ

 

第一次中東戦争の勝利により建国されたイスラエルは、その後の中東戦争でもおおむね有利に戦いを進めました。その結果、イスラエルは領土を拡大し独立の基礎を固めます。

 

その反面、パレスチナの地に長年暮らしてきたアラブ人たちは故郷を追われます。彼らパレスチナ難民が中心となって設立されたのがPLO(パレスチナ解放機構)でした。

 

第四次中東戦争終結後、エジプトとイスラエルが和平を結びます。以後の戦いは、イスラエルとパレスチナ解放機構の間で展開されるようになりました。

 

現代史について勉強したい人は「もういちど読む山川世界現代史」がおすすめです。

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