今回は大正時代の美術・文学・生活様式について詳しく解説します。
美術ではフューザン会・二科会、文学では白樺派・新思潮派などを取り扱いました。これらの知識は国語の文学史にも頻出なので抑えておく必要があります。表にまとめておきましたので覚えておきましょう。
最後には入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。
この記事からわかること
・大正時代の芸術・文学・生活様式について
美術
(梅原龍三郎:wikiより)
1910年代になると、1900年代に開設された文展に対抗する団体があいついで登場します。
西洋画では、フューザン会・二科会が設立されました。
フューザン会は、「麗子微笑」で知られる岸田劉生らが中心人物です。文展と真っ向から対立します。
二科会は、文展に入賞した西洋画の若手を中心にした団体です。二科会の主な人物としては、「紫禁城」の梅原龍三郎や、「金蓉」の安井曽太郎などがいます。
日本画では、岡倉天心の死後一旦なくなった日本美術院が、横山大観らにより再興されました。これも文展への反発によるものでした。日本美術院は、院展という独自の展覧会を開設しました。
しかし今度は院展に対抗する西洋画の団体として、春陽会が設立されます。春陽会には岸田劉生や梅原龍三郎が参加しました。
対する日本画は、竹内栖鳳・竹久夢二などが登場したこともあわせて覚えておきましょう。
暗記のポイント
西洋画 | フューザン会(岸田劉生)、二科会(梅原龍三郎、安井曽太郎)、春陽会 |
日本画 | 日本美術院(横山大観) |
文学
(小林多喜二:wikiより)
大正時代には、人道主義や理想主義を掲げる白樺派が登場します。雑誌「白樺」を中心に活動したことから白樺派と呼ばれました。代表的な作家には、「その妹」で有名な武者小路実篤・「或る女」の有島武郎・「暗夜行路」で知られる志賀直哉がいます。
また、大正時代には白樺派以外にも、耽美派・新思潮派など、さまざまな文学の流派が登場しました。
まずは耽美派から見てまいります。耽美派は、一言で言えば芸術至上主義です。代表的な作家としては、雑誌「スバル」を中心に活動し、「刺青」などの作品を残した谷崎潤一郎や、「蒲団」「腕くらべ」の永井荷風らがいます。
新思潮派は、1910年代半ばに登場しました。有名な人物としては、「羅生門」の芥川龍之介や、「父帰る」の菊池寛がいます。
娯楽性が高い大衆小説が誕生したのもこの頃です。代表的な作家としては、「大菩薩峠」の中里介山や、直木賞の由来である直木三十五などがいます。
さらに、プロレタリア文学も登場しました。プロレタリア文学は、資本家や地主のように財産を持つものではなく、賃金で生活する労働者の現実生活を描いたものです。「蟹工船」で有名な小林多喜二や、「太陽のない街」の徳永直らが代表的ですね。
暗記のポイント
白樺派 | 武者小路実篤、有島武郎、志賀直哉 | 人道主義・理想主義・個性尊重などを唱えた |
耽美派 | 谷崎潤一郎、永井荷風 | 道徳的でない美の追求をした |
新思潮派 | 芥川龍之介、菊池寛 | 近代人らしいエゴイズムの思想の悲哀を映し出そうとする主義立場 |
大衆小説 | 直木三十五、中里介山 | |
プロレタリア文学 | 小林多喜二、徳永直 | 労働者階級の生活 |
その他の文化
(山田耕筰:wikiより)
最後に、演劇・音楽・建築・生活様式などを解説します。
まずは演劇です。演劇では、新劇が盛んになります。島村抱月・松井須磨子らによる芸術座と、小山内薫・土方与志らによる築地小劇場が中心でした。
芸術座は、明治時代に誕生した文芸協会の流れをくんでいます。一方築地小劇場は、自由劇場の流れをくんでいるため、小山内薫の名前が出てくるわけです。
明治時代の文化について復習したい方はこちらの記事「明治時代の文学・芸術について解説(関連入試問題も)【日本史第73回】」もあわせてご覧ください。
これらのほか、新国劇・浅草オペラ・宝塚少女歌劇といった大衆演劇も盛んになりました。
音楽の分野では、童謡が盛んに歌われるようになります。大正時代には、山田耕筰が日本交響楽協会を育成したほか、本格的な交響曲の作曲や演奏に活躍しました。「影を慕いて」を作曲した古賀政男もおさえておきましょう。
彫刻では、「手」という代表作を残した高村光太郎が活躍します。彼は明治時代に登場する高村光雲の息子です。詩歌の分野でも「道程」という作品を発表しました。
また、平櫛田中も彫刻の分野で活躍した人物の一人です。「転生」という代表作があります。
詩歌では、高村光太郎のほか、「月に吠える」の萩原朔太郎も覚えておきましょう。
俳句では、斎藤茂吉が歌集「赤光」を刊行したほか、「アララギ」の編集に尽力しました。
雑誌の分野では、「改造」や大衆雑誌「キング」が創刊されたことに加え、新たに週刊誌が登場します。また、1冊1円の円本・安価で世界の名作を読める岩波文庫も誕生しました。
建築では、辰野金吾が1914年に東京駅を建築したことで有名です。そのほか、フランク=ロイド=ライトは旧帝国ホテルを建築しました。
生活では、トンカツ・カレーライスといった洋食が普及し、街にはデパートが登場します。1925年にはラジオ放送開始され、翌年にはNHKが設立されました。
銀座・心斎橋などでは、断髪にスカート、山高帽にステッキといった出で立ちのモダンガール(モガ)・モダンボーイ(モボ)が闊歩するようになりました。一方、農村では洋風の文化がなかなか広まらず、とくに一般の女性はまだ和服が普通でした。
今回の範囲はここまでです。続いて入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。
入試問題にチャレンジ
第一次世界大戦から1920年代にかけての時期は、都市社会を舞台として現代の生活や文化の原型が姿を現した時代であった。この時期には、俸給生活者(サラリーマン)の増大などを背景として、都市の生活様式に大きな変化がはじまり、ⓐ<洋装や洋食が社会的に広がりを持つようになった。>
都心部にはコンクリートを用いた近代的なビルディングが出現し、特に大都市では【ア】が発展して、都市住民の消費生活に重要な役割を果たすようになった。
文化の面でも、新聞や雑誌が大衆化し、【イ】の『大菩薩峠』に代表される大衆文学(大衆小説)が登場して人気を博するようになった。また、ⓑ<映画やレコードが広く愛好されるようになり、新たな娯楽メディアもあいついで登場した。>
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① ア デパート イ 中里介山
② ア デパート イ 森鴎外
③ ア スーパー(スーパーマーケット) イ 中里介山
④ ア スーパー(スーパーマーケット) イ 森鴎外
問2 下線部ⓐについて述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① この時期の洋食の広がりにより、米の減反政策がとられるようになった。
② 当時の人々に洋食として広がったものの一つに、カレーライスがある。
③ 当時の女性は、ほとんどが洋服姿であった。
④ この時期の洋装の広がりのなかで、軍隊でもはじめて洋服が採用された。
問3 下線部ⓑに関連して、第二次世界大戦以前のメディアの発達に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X 日本最初のテレビ放送が開始された。
Y 日本最初のラジオ放送が開始された。
① X 正 Y 正 ② X 正 Y 誤
③ X 誤 Y 正 ④ X 誤 Y 誤
正解について
まとめ
今回は大正時代の文化について見てまいりました。
この記事を読んで少しでも暗記に役立てていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
前回の記事「第一次世界大戦についてわかりやすく解説(語呂合わせ・入試問題つき)【日本史第75回】」ですのでよければ読んでください。
次回の記事「大戦景気から昭和恐慌までをわかりやすく解説【日本史第77回】」
日本史全体像を理解するには「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた」がおすすめです。全体の流れが頭に入ってくるおすすめの一冊です。ぜひとも一読をおすすめします。
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