条約改正について解説(陸奥宗光・小村寿太郎など)【日本史第67回】

今回は条約改正交渉について解説します。

 

井上馨外務大臣が行った極端な欧化主義政策に始まり、陸奥宗光のもとで調印された日英通商航海条約の主な内容・関税自主権の回復までを取り扱いました。

 

最後には語呂合わせや入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。

この記事からわかること

・井上馨外務大臣は極端な欧化主義をとったため、政府内外から厳しく批判された。

・大隈重信外務大臣は、自身の政策に反発した玄洋社のある青年から襲撃され、負傷した。

・大津事件の責任をとって、青木周蔵外務大臣は辞任した。

・陸奥宗光外務大臣のもとで、1894年に日英通商航海条約が調印された。

・小村寿太郎が外務大臣だった1911年、関税自主権の回復が達成された。

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条約改正への道のり

 

(鹿鳴館:wikiより)

井上馨外相の交渉

 

(井上馨:wikiより)

岩倉具視・寺島宗則が相次いで交渉に挑むも失敗に終わり、彼らの後を受け継いだのが井上馨外務卿でした。井上はヨーロッパに同調するような外交を行います。手始めに会議を実施し、改正案を出しました。

 

改正案の主な内容は、次の通りです。

 

まず日本国内を外国人に開放しようとします。今まで外国人は居留地という決められた場所にしか住めず、日本人と自由に交流できませんでした。そこで外国人を自由に動けるようにしようとしたわけです。これを内地雑居といいます。

 

さらに領事裁判権の撤廃に向けて外国と同じ法典の作成を約束するとともに、外国人を被告とする裁判には半数以上の外国人判事を採用することなども盛り込まれました。

 

また1883年には、東京日比谷に鹿鳴館が建設され、盛んに接待が行われたことも覚えておいてください。

 

こうして極端な欧化主義政策を行った井上に対して、政府内外から厳しい批判が起こります。結果条約改正交渉は失敗に終わり、井上は外務大臣を辞任することになりました。

大隈重信外相の交渉

 

(大隈重信:wikiより)

井上の後を受け、外務大臣に就任したのが大隈重信です。

 

大隈は条約改正に好意的な国から個別に交渉を始め、アメリカ・ドイツ・ロシアとの間に改正条約を調印します。ところが条約以外の約束として、今の最高裁判所にあたる大審院にだけ外国人判事を任用しようとしたため、政府内外から強い批判を浴びました。

 

結局大隈は対外硬派の団体・玄洋社の青年により爆弾を投げられ、片足が飛ぶ大ケガを負い、辞任に追い込まれます。

青木周蔵外相の交渉

 

(青木周蔵:wikiより)

条約改正において最大の難関として立ちふさがったのは、イギリスの存在でした。イギリスが反対しなければ、条約改正はもう少しスムーズに進められたわけです。ところがイギリスが急に日本に対して好意的な態度をとるようになります。

 

なぜでしょうか?

 

それは、ロシアのシベリア鉄道建設が始まったからです。ロシアはこのとき、東アジア進出(南下政策)を図ろうとしていました。

詳しくは「【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(19世紀のロシアと南下政策)【近現代編その4】」をご覧ください。

【世界史B】受験に役立つヨーロッパ史(19世紀のロシアと南下政策)【近現代編その4】
みなさん、こんにちは。今回も受験生に役立つヨーロッパの歴史シリーズをはじめます。近現代シリーズ第4回は19世紀のロシアと東方問題を取り上げます。 ナポレオン戦争で勝利したロシアはウィーン体制の中でも強い影響力を持った国となりま...

ロシアの南下を恐れたイギリスは、態度を軟化させて、条約改正に応じる態度を示したわけです。

 

そこで青木周蔵外務大臣は、イギリスと条約改正交渉を始めたものの、大津事件により辞任することとなります。

S先生
S先生
大津事件とは、訪日中のロシア皇太子が滋賀県大津市で警備巡査津田三蔵により切りつけられ負傷した事件です。ちなみにこの際日露関係の悪化を恐れた日本政府は津田に対し死刑を要求したものの、大審院長の児島惟謙はこれに反対して無期徒刑の判決を下し、司法権の独立を守りました。あわせて覚えておいてくださいね。

陸奥宗光外相の交渉

(陸奥宗光:wikiより)

第二次伊藤内閣の外務大臣・陸奥宗光は、日清戦争直前の1894年、日英通商航海条約の調印に成功しました。主な内容は、領事裁判権の撤廃と関税率の引き上げ及び相互対等の最恵国待遇です。イギリスに続いて他の欧米諸国ともう改正条約が調印され、1899年から施行されました。

小村寿太郎外相の交渉

(小村寿太郎:wikiより)

それからしばらく経った1911年、小村寿太郎外務大臣のもとで関税自主権の回復が達成されました。ここでついに条約改正交渉に終止符が打たれたわけです。

 

今回の範囲はここまでとなります。続いて語呂合わせ・入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。

語呂合わせ

ここでは今回登場した重要なキーワードにまつわる語呂合わせを紹介しています。年号の暗記にお役立てください。

大津事件:いわくがい(1891)っぱい大津事件
日英通商航海条約:ひとは苦心(1894)の条約改正

入試問題にチャレンジ

下線部ⓐ(不平等条約)に関連して、条約改正問題について述べた次の文X・Y と、それに該当する人物名a~dとの組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

X この人物が外務大臣のときに、ノルマントン号事件がおこり、領事裁判権撤廃の世論が高まった。

Y この人物が外務大臣のときに、領事裁判権撤廃と関税自主権の一部回復を定めた日英通商航海条約が調印された。

a 伊藤博文 b 井上馨 c 寺島宗則 d 陸奥宗光

① X-a Y-c

② X-a Y-d

③ X-b Y-c

④ X-b Y-d

2014年 センター試験 本試験 日本史B 第5問 問2より)

正解:④ ノルマントン号事件が起こったときに、外務大臣を務めていたのは井上馨です。井上馨は極端な欧化主義をとったため、政府内外から批判を受け、外務大臣を辞任しました。また日英通商航海条約が締結されたときの外務大臣は陸奥宗光です。日清戦争が勃発する直前、1894年のことでした。

まとめ

今回は条約改正へのプロセスについて見てまいりました。

 

それぞれの外務大臣が、条約改正に向けてどのような取り組みを行ってきたか、しっかりとチェックしておきましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

前回の記事「大日本帝国憲法・初期議会についてわかりやすく解説【日本史第66回】」ですのでよければ読んでください。

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日清戦争とは?原因・結果を簡単にわかりやすく解説【日本史第68回】
今回は日清戦争に至るまでの流れから、日本・清国・朝鮮三国の関係性、戦争の結果までを簡単にわかりやすく解説します。 最後には語呂合わせや入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。 この記事からわかること ...

 

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