こんにちは。受験生に役立つヨーロッパ史もいよいよ7回目に入りました。今回も前回に引き続きローマの文化についてです。ただし、宗教面でのお話です。
ローマでの宗教といえばキリスト教です。そう、今回はキリスト教の話です。最終的にキリスト教は国教になると言うお話。題して「キリスト教の成立と発展」。どうぞご堪能ください。
なお、前回はローマの文化について語りました。大事なところなのでしっかりと復習をしましょう。「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ローマ文化史)」をしっかりと読んでください。
この記事のポイント・キリスト教は最初ローマに迫害され、後にローマの国教となる
・キリスト教についての会議名、勅令は年号とともにしっかりと覚えよう
キリスト教の起こり
(レオナルド=ダ=ヴィンチ『受胎告知』:wikiより)
ヘブライ人の中に生まれたイエスは紀元1世紀にキリスト教を布教します。イエスがローマ帝国によって処刑されたのち、イエスの復活を信じる人々はイエスを救世主と考え、信仰するようになりました。
キリスト教はローマ帝国による迫害を乗り越え、帝国に公認され、最終的には国教となります。流れをしっかり押さえましょう。
イエスの布教
(キリストの磔刑:wikiより)
紀元28年。パレスチナ地方に生まれたイエスはユダヤ教の選民思想を乗り越え、律法主義を否定する新しい教えを説きました。
イエスは神の愛による救済と隣人愛を説きます。アガペーとか呼ばれるものですね。イエスは精神界で神の国を建設し、魂の救済をするべきだと主張しました。
しかし、イエスの主張は従来のユダヤ教徒には受け入れられないものでした。そのため、ユダヤの人々はイエスをローマのユダヤ総督に反乱を起こそうとしていると密告します。ユダヤ総督のピラトはイエスを処刑させました。
原始キリスト教
(レオナルド=ダ=ヴィンチ:『最後の晩餐』)
イエスの死後、イエスの復活を信じ、イエスを救世主だと考える人々がイエスの残した言葉である福音を信じます。これが、キリスト教の始まりでした。
イエスの代表的な弟子を知っていますか。名画『最後の晩餐』にも登場する十二使徒です。中でも初代ローマ教皇となるペテロと「異邦人の使徒」とよばれたパウロはキリスト教の拡大に大いに貢献しました。
ちなみに、ペテロは元漁師でキリストに最初に声をかけられて最初の弟子となりました。また、パウロは元ユダヤ教徒でして最初はキリストを迫害していましたが改心(?)してキリスト教の信者となります。
キリスト教はローマ帝国の下層市民の間に普及します。やがて、信者の数が増えると教会が作られ、『新約聖書』が編集されました。
ローマ帝国の迫害
(皇帝ネロとセネカ:wikiより)
ローマ皇帝は多神教ではないキリスト教に警戒心を持ちました。まず、有名なのが皇帝ネロがローマで起きた大火の責任をキリスト教徒のせいにして迫害しましたね。ネロは、初代皇帝アウグストゥスの血筋を引いていました。詳しくは「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(帝政ローマ:カエサル以降)第五回」を読みましょう。
ちなみにペテロやパウロはこの時に殺されてしまいました。
また、3世紀のディオクレティアヌスは、キリスト教徒はローマ帝国にとって害悪であると考え、組織的、徹底的に弾圧します。キリスト教徒がローマの神々や皇帝を崇拝しないことを問題視したためでした。
キリスト教の公認と国教化
(コンスタンティヌス大帝:wikiより)
キリスト教を公認し、帝国統一の維持に役立てようとしたのがコンスタンティヌスでした。まず、コンスタンティヌス帝はキリスト教を異端でなく、キリスト教を信仰しても構わないと313年のミラノ勅令で公認します。さあ、いざ(313)公認と覚えましょう。
ローマ帝国側からの詳しい経緯は「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(帝政ローマ:カエサル以降)」を読んでください。
次にコンスタンティヌスが打った手は分裂していたキリスト教の教義を正すことでした。利用するにも1本化した方がいいという考えでした。そこで、325年、ニケーア公会議を主宰しました。
ちなみにこのニケーアの場所はこちらです。ちなみにこのコンスタンティヌス帝は自らの名前をとってコンスタンティノープル(現:イスタンブール)という都を建設しているのでこちらも注意。
当時、キリスト教は複数の宗派があり分裂しかねない状況だったので、公会議で300人の識者が集まり、キリスト教世界のでの決定をしました。てアタナシウス派の三位一体説を採用し、アリウス派を異端と決定しました。
簡単に争点は、アタナシウス派は神・キリスト・聖霊の3者に違いは「ナシ」(神とキリストは一体)、アリウス派は「アリ」(神とキリストは違う存在)とした三位一体説についての話です。キリスト=神かどうかで神でないとするアリウス派を排除したかったのですね。
次にキリスト教を国教化したのはテオドシウスです。テオドシウスは392年に異教徒禁止令を出し、キリスト教以外の宗教を信じることを禁止しました。これによりアタナシウス派キリスト教を事実上の国教となりました。
ちなみに、このテオドシウス帝は自らの死に伴い、二人の息子にローマを別々に統治するよう指示します。これにより、ローマは東西に分裂することになります。
また、キリスト教の教義も整備されます。教父とよばれたアウグスティヌスは『神の国』や『告白録』を書いてキリスト教の教義をまとめます。名前が似ていても皇帝のアウグストゥスと間違えないようにしましょう。
また、431年に開かれたエフェソス公会議でキリスト教のネストリウス派が異端とされました。ちなみにこのネストリウス派キリスト今日はササン朝ペルシアや中国にわたり「景教」とよばれ普及していきました。
次回のお話
前回までのお話
コメント
[…] 詳しい話は、「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(キリスト教の成立と発展)…」を読んでみてみましょう。 […]