【世界史B】受験に役立つヨーロッパの歴史(エーゲ文明〜ポリス時代)第一回

ヨーロッパの歴史【古代編】
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みなさん、こんにちは。今日からヨーロッパの歴史を勉強していきましょう。世界史のテストに出題されるポイントを絞って講義しますのでしっかりと理解していきましょう。分からない場合は、繰り返し読むことをお勧めします。

 

ヨーロッパの歴史をたどると、古代ギリシアや古代ローマに行きつきます。古代ギリシア文明はエーゲ海に成立した3つの古代文明、「エーゲ文明」からはじまりました。

 

今回は、エーゲ文明を構成する3つの古代文明、クレタ文明、ミケーネ文明、トロイア文明と約400年間の暗黒時代、その後に成立したポリス社会についてまとめます。

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エーゲ文明の成立

紀元前3000年頃、現在のギリシアにあるエーゲ海で青銅器文明が成立しました。エーゲ海地域の人々は、メソポタミアやエジプトなどオリエント諸国と交易をすることで発展します。

 

ホメロスの英雄叙事詩に登場するエーゲ海の文明は単なる神話・伝説だと考えられていましたが、19世紀後半から20世紀にかけて発掘調査が進められ、実在の文明であることが証明されます。

 

エーゲ文明は発見者、文字、中心都市、文明の特徴などが良く出題されます。各々チェックしていきましょう。

クレタ文明


(クノッソスの宮殿)

クレタ文明の発見者はイギリスのエヴァンズという考古学者です。父親も考古学者だったそうです。最終的にナイトの称号ももらっています。

 

文字は線文字Aが使用されていますが、まだ未解読です。線文字Aと書かれた粘土板が見つかったことからこの文字が使用されていたと考えられています。

 

クレタ文明の中心都市はクレタ島のクノッソス。牛頭人身のミノタウル伝説がある所ですね。詳しくはギリシア神話に出てきますね。

 

海洋動物を描いた壺など明るく開放的な海の文明とされ、クノッソスの王宮には城壁がありませんでした。アカイア人の侵入により紀元前1400年頃に滅んだとされます。

トロイア文明

トロイア文明の発見者はドイツ人のシュリーマン。この図ですね。彼は子供の頃ホメロスを読んだりしてトロイヤ文明の発掘を夢見ます。そこで若いうちは資金集めをして老年になってから考古学にその資金を投入しました。彼の著作は「古代への情熱」かっこいいですよね

 

トロイヤ遺跡では黄金製や銀製の王冠、容器、装身具が発掘されました。ホメロスの『イリアス』で語られるトロイア戦争の舞台となります。

ミケーネ文明

(ミケーネ遺跡の獅子門:wikiより)

こちらの発見者もシュリーマンです。意外と落としやすいのでチェックしておいてください。

文字は線文字Bが使用され、こちらはヴェリントスによって解読されました。エヴァンズと知り合いだったそうですよ。

ミケーネ文明の中心都市はギリシア本土のミケーネやティリンス。頑丈な城壁が発掘されたことなどから、戦闘的・尚武的が伺えます。複数の小王国から成り立つ文明でした。

ミケーネ文明滅亡の要因はよくわかっていません。

暗黒時代について(別に時代が暗かった訳ではありません)

紀元前1200年頃、地中海東岸は「海の民と呼ばれる人々が暴れまわっていました

ギリシアでも海の民の影響は絶大で、ミケーネ文明も大打撃を受けたと思われます。紀元前1200年頃から紀元前800年頃までは記録に乏しく、暗黒時代とよばれます。

暗黒時代単体で出題されることはまれですが、暗黒時代がエジプト新王国の末期であることや中国の殷から周の時期にあたることがわかっていると、高難易度の問題に解答でき、差をつけることができますよ。

ポリス社会(ギリシア)の成立

暗黒時代の終わりころ、ギリシア人たちは各地で集まって住むようになりました。ギリシア各地にポリスを作った人々は、海外にも積極的に進出し植民市を建設します。

ギリシアのポリスでは商工業が盛んになり、アテネのようなポリスも出現します。その一方、農業中心で軍事力を強化したスパルタのようなポリスも現れます。ここでの出題ポイントは、ギリシア人の地中海各地への進出や代表的植民市、アテネとスパルタの比較です。

ポリスの成立と植民市建設

紀元前800年頃、ギリシア人たちは集まって住むようになりました。これを、シノイキスモスといいます。集まった人々はポリスとよばれる都市国家を作りました。

やがて、古代ギリシア人たちはエーゲ海の外にもポリスを建設します。マッサリア、ネアポリス、シラクサ、ミレトス、ビザンティオンなど、のちの時代に大都市となる植民市もありました。各植民市の名前と場所を一致させましょう。

アテネとスパルタ

アテネは典型的なギリシアのポリスです。政治制度は民主政、商工業や海外貿易が中心で、海軍主体でした。民主政を採用していましたが、奴隷がいたことに注意です。

一方のスパルタはドーリア人の一派で、少数のスパルタ市民が多数のペリオイコイ(周辺民)やヘイロータイ(農奴)を支配。農業中心で軍の主力は陸軍でした。

次回は大学入試で頻出のアテネの歴史やペルシア戦争、ペロポネソス戦争、ポリス社会の崩壊についてまとめます。

今までの話について実際、問題を解いてみましょう。エーゲ文明からギリシアのアテネまでのお話です。

次回以降の話はこちら

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