こんにちは。今回は世界史Bの近代以降の欧米音楽史について述べていきます。
17世紀から18世紀にかけて、絶対王政時代の音楽は王侯貴族や教会が中心となって音楽文化が育まれました。18世紀後半から19世紀になると、音楽は市民階級にも開放され、ドイツでは定期演奏会が行われるようになります。
世界史Bの試験ではそれほど出題頻度は高くないですが、差がつく範囲ではあるのでそれぞれの時代の音楽の特徴や作曲家、代表曲などについてしっかりまとめましょう。
・国民楽派の音楽は中欧・東欧の民族主義に影響を与えた
・文学や美術で写実主義が流行していたころ、音楽の世界では国民楽派が盛んになった
17・18世紀の欧米音楽
(バッハ:wikiより)
17世紀から18世紀にかけて、美術の世界ではバロック美術が花開いていました。この時代の音楽は、バロック美術の時代の音楽であるという意味で、バロック音楽といいます。
バロック音楽の時代、音楽家たちは王侯貴族や教会の依頼を受けて楽曲を作っていました。音楽の父とよばれたバッハはライプツィヒの教会音楽家、バロック音楽を完成させたヘンデルはイギリス王室に仕えています。
18世紀後半から19世紀にかけて、時代の主人公は王侯貴族から上級市民たちへと変化しつつありました。この時代の音楽は古典派文学時代の音楽という意味で古典派音楽といいますね。
古典派音楽の代表格といえば交響曲とソナタ。ハイドンやモーツァルトといった現代でもよく知られる作曲家たちが次々と名曲を作り上げました。
(ハイドン:wikiより)
(モーツァルト:wikiより)
なかでも、ベートーベンは古典派音楽を大成させ、次のロマン派へと引き継ぐ役割を果たします。
(ヴェートーヴェン:wikiより)
19世紀の欧米音楽
(ショパンの演奏会:wikiより)
19世紀後半になると、個性や意思・感情を強く表現したロマン主義音楽が盛んになりました。シューベルトの歌曲やワーグナーの楽劇など新しい音楽が生まれます。
近代ピアノ技術が確立するのもロマン主義音楽の時代でした。ポーランド生まれのショパンは、ロシアによって押さえつけられているポーランドの革命運動を楽曲としたことでも知られます。
ロマン主義の音楽は、ウィーン体制に対する反発を含んでいた点についても注意する必要があります。
また、19世紀から20世紀にかけては民族主義が強く意識された時代です。音楽の分野では国民楽派とよばれる民族主義的な音楽が盛んになりました。
ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、プロイセン王国(のち、ドイツ帝国)は、中央から東欧の諸民族を押さえつける形で支配していました。こうした大帝国にとって、民族主義は十分警戒すべき対象だったことも、記憶しておきましょう。
19世紀後半になると、絵画の世界では印象派が盛んになります。音楽でも、ドビュッシーらが印象派音楽を創始しました。
(ドビュッシー:wikiより)
まとめ
バロック時代の音楽は、王侯貴族や教会の依頼で作曲されていました。しかし、絶対王政が衰退し、市民革命の時代になると、楽曲の依頼者はブルジョワジーとよばれた市民階級へと変化します。
ナポレオン戦争後、保守・反動的なウィーン体制の時代になり、文学・絵画・音楽は感情を重視するロマン主義の時代に突入します。これは、ウィーン体制への反発を含むものでした。
19世紀後半、中欧・東欧地域で民族主義の考え方が強まると、それに呼応するかのように国民楽派の音楽が生み出されます。
その一方で、絵画の世界で印象派の影響が強まると、音楽においても印象派音楽が生まれます。欧米の文学・絵画・音楽は互いに影響しあいつつ、新しい作品を次々と生み出していったのですね。
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