諸子百家からや史記など中国思想史について(宋代まで解説)

文化史

こんにちは。中国様々な思想が一気に生まれた諸子百家の時代、儒教や道教などの中国独特の思想・宗教、中国人が重視してきた歴史学などを各時代の区切りを取り払って通史的に理解することは問題を解くうえでとても重要です。

 

今回は、諸子百家や史記の時代から中国宋代までの中国思想史についてまとめていきます。一つづつ覚えていきましょう。

この記事のポイント・諸子百家はよく出題されます。世界史と一緒に倫理を受験科目としている場合、両方の科目で頻出事項となります。
・性善説と性悪説、合従策と連衡策など対になっているものもあるのでセットで暗記
・儒教でよく出題される董仲舒、孔頴達、朱熹は時代とセットで覚える
・道教教団を形成した寇謙之を庇護したのは孝文帝ではなく、太武帝
・歴史分野では紀伝体と編年体の違いに注意
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春秋戦国時代に現れた諸子百家

(孔子像:wikiより)

周王朝の封建制度が崩壊し、実力主義へと移行した春秋・戦国時代には様々な思想が生まれました。これらの思想を諸子百家とよびます。諸子百家の表を以下にまとめましたので、覚えていきましょう。

後世に最も大きな影響を与えたのは儒家ですね。孔子が重視した仁と礼、孟子が主張した性善説王道政治荀子が主張した性悪説覇道政治の必要性などは比較して出題されます

 

荀子の主張に影響を受けたのが法家。法家を採用して国力を付けたのが中国全土を統一した秦でした。商鞅、韓非、李斯ともにろくな死に方をしていません。

 

商鞅は自ら車裂きの刑を作り自らの失脚とともにそれで死に、韓非は李斯に毒殺され、李斯は胴体を真っ二つに切るという腰斬の刑で死にます。全員、秦につかえ制度設計に携わるも人々の統治に法で持って行うという発想でした

 

その一方、無為自然を愛し、諸国の富国強兵政策に反対したのが道家です。また、戦いそのものを否定した墨家の存在も忘れてはいけません。

 

戦争が多いこの時代、外交はとても重要でした。蘇秦の合従策、張儀の連衡策はよく混同されるので要注意ですよ。

 

詳しくは「【世界史B】受験に役立つ中国史(秦〜前漢末)第二回」を見てください。

 

古代から宋までの思想史

(泰山の道観:wikiより)

諸子百家後の中国思想でよく出題されるのが儒教と道教です。儒教は唐までは五経中心、宋以降は四書中心となります。

 

出題率が高いのは董仲舒、孔頴達、朱熹の3人。特に朱熹は朱子学の大成者で大義名分論を唱えたことでも知られます。儒教は科挙の科目ともなり、官学として重要な位置を占めました。

 

道教では、政治との関連で張角黄巾の乱がよく問われます。また、北魏の寇謙之や金の王重陽も要注意。王重陽の場合、全真教の内容に着目です。

 

仏教においては、西域やインドとの関連が大事です。魏晋南北朝時代の仏図澄や鳩摩羅什が西域から中国にやってきました。

その一方、法顕玄奘義浄は中国からインドに入ります。この3人の場合は、著作物の組み合わせをしっかりと覚えておきましょう。

外来宗教は、漢字の宗教名とカタカナの宗教名をしっかりと一致させてください。

古代から宋までの歴史学

(史記:wikiより)

中国では、歴史を記録することがとても重視されました。そのため、歴代王朝はたびたび歴史書を編纂させています。

中国での歴史書の始まりは司馬遷の『史記』。司馬遷は前漢の武帝時代の人でしたね。司馬遷が確立した人物中心にまとめる歴史書の書き方を紀伝体といいます。

 

史記』以降、歴代王朝の正史は紀伝体で書かれました。それに対し、北宋の司馬光は編年体の歴史書である『資治通鑑』を書きます。編年体は、事件の起こった順番に記録する方法ですね。

まとめ

中国思想史で最も出題されるのは諸子百家です。表にまとめられている人物や特徴について、完全に一致させましょう。

 

中国思想の核は何といっても儒教と道教。儒教は、中国独特の官僚採用試験である科挙の受験科目になっていることから、士大夫の基礎教養とされました。

 

老荘思想から発展した道教は、北魏の太武帝や唐王朝の有力者が庇護することによって繁栄しました。

 

仏教の分野では西域やインドとのかかわりが頻出事項。法顕、玄奘、義浄の3人は著作物とセットで覚えておきましょう。

 

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