こんにちは。今回から受験生に役立つ日本史シリーズをはじめます。第3回は弥生時代についてです。
弥生時代は紀元前500年ころから、紀元後300年まで続いた水稲耕作を中心とする文化です。
今回は、弥生時代の水稲耕作や文化、生活習慣、農耕やそれにまつわる道具などについてまとめます。
- 弥生時代に稲作が全国に拡大
- 弥生時代は早期・前期・中期・後期の4つの時期に区分
- 貧富や身分の差が発生し、各地に小国が成立
- 弥生時代の水田は、湿田から乾田に変化
- 穂首狩りで使う石包丁は代表的な磨製石器
- 高床倉庫など縄文時代に見られない建物がつくられるようになった
- 金属器の内、青銅器は祭器に、鉄器は実用的な道具に使用
- 銅鐸には農業の様子などが刻まれた
縄文時代の次に始まった弥生時代
(稲刈り:wikiより)
紀元前500年頃、九州北部で水稲耕作(稲作)がはじまりました。稲作は、その後100年近くかけて西日本全体に広まり、やがて北海道を除く日本全国に拡大しました。
弥生時代は大きく分けると4期に分けられます。稲作が入りたての早期、稲作が全国に拡大する前期、各地に小国ができ、高地性集落や墳丘墓が作られる中期、邪馬台国などが成立する後期の全4期ですね。
縄文時代との違いは、稲作の始まりと貧富や身分の差ができたこと。それにより、全国各地に「くに」が生まれたことでしょう。
規模が大きくなった弥生時代の集落では、鉄器や青銅器、石包丁などの磨製石器、木製農具、薄手で赤褐色の弥生土器など様々なものが作られるようになります。
(弥生土器:wikiより)
水田での稲作が中心となったことから、縄文時代よりも定住が進んだと考えられますね。ただ、使っている住居は引き続き竪穴住居なので要注意です。
以下は弥生時代の遺跡です。場所をしっかりと理解しておきましょう。
弥生時代の食べ物の獲得方法や髪型などの生活習慣
(吉野ケ里遺跡:wikiより)
稲作の始まりは、人々の生活に大きな変化を与えました。はじめ、稲作は水を抜かない湿田で行われていました。しかし、湿田は農作業がしにくいため、水を抜く乾田に切り替わります。
弥生時代の遺跡から出土する道具は、稲作に関する物が多いです。たとえば、石包丁。米の収穫の時に、稲の実がある穂首だけを刈り取る(穂首狩り)ときに使った磨製石器です。
木を切り倒すときには石斧なども使いました。田を耕す道具としては、木鍬、木鋤などが用いられます。湿田で作業するときなどは田下駄も使いました(木製農具の使用)。
稲作が行われたからといって、狩猟や採集、漁労が全く行われなくなったかというとそうではありませんので、注意しましょう。
稲作の始まりによってつくられたのが高床倉庫。米の保管などに使われました。縄文時代に比べ、建築技術が上がっていることがわかります。
弥生人の服装は、貫頭衣(かんとうい)、とよばれる布の真ん中に穴をあけるタイプの服でした。男性の髪型は木綿の布を頭に巻くだけの簡素なもの。女性は髪を結っていたようです。
(貫頭衣)
弥生時代に使われるようになった金属器
(銅鐸:wikiより)
稲作以外の弥生時代の要素として、金属器の使用が始まったことにも注目すべきです。一般に、金属器は青銅器から鉄器に進歩するのですが、日本には金属器と青銅器は同時に入ってきたようです。
弥生人たちは、金属の特性を考え、青銅器と鉄器に違う役割を与えました。鉄器に比べ強度は劣るものの、外見が美しい青銅器は祭器として使用されます。
鉄は、希少なうちは権力者の権威を誇示するものとして使われますが、古墳時代以降に鉄の生産力が上がると、生活に必要な道具として普及しました。
弥生時代につくられた青銅製祭器は、大きく分けて3種類です。
近畿地方中心に出土する銅鐸、九州北部で出土する銅矛、銅戈、瀬戸内海で出土する平形銅剣です。
青銅製祭器は全国各地の遺跡で出土していますが、島根県の荒神谷遺跡では大量の銅剣・銅矛・銅鐸が出土し、考古学者を驚かせました。
各地で出土する銅鐸には、稲作にまつわる絵が刻まれており、収穫の祈願や豊作を感謝する祭に使われたと考えられます。
まとめ
縄文時代の次に訪れた弥生時代は、紀元前500年から紀元後300年くらいまで続いた稲作中心の文化です。
稲作の始まりは人々の生活をかえ、各地に小国ができるきっかけとなりました。稲作にまつわる道具はよく出題されるのでしっかり覚えましょう。
代表的な青銅製祭器は、銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈。特に、銅鐸には稲作の様子などが刻まれています。
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次の記事「邪馬台国前後の後期弥生時代について解説(邪馬台国の場所も!)【日本史B 第4回】」
前回の記事「縄文時代の文化(習俗や土器や遺跡など)を解説」をまだの方は読んでみてください。
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