明治初期の外交(不平等条約改正など)入試問題つき【日本史第63回】

今回は明治初期の外交について解説します。

同時期の外交における最大の課題は、不平等条約の改正でした。そこで日本がどのようにこの難題に取り組んだのか、また近隣諸国との関係はどうだったのかを中心にわかりやすく説明しています。

最後には語呂合わせや早稲田大学の入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。

この記事からわかること

・不平等条約改正に向けて岩倉使節団の派遣・寺島宗則による交渉を行ったが、結果が出なかった。

・1875年の江華島事件をきっかけに、翌1876年に日朝修好条規を締結した。

・1879年に政府は、沖縄県の設置を強行した。

・1875年にロシアと結んだ樺太・千島交換条約では、樺太に持っていた一切の権利をロシアに譲る代わりに、千島全島を領有することが定められた。

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不平等条約改正への動き

 

(岩倉具視:wikiより)

明治初期の外交における大きな課題だったのは、不平等条約の改正です。不平等条約についてはこちらの記事「幕末の外交についてわかりやすく解説(ペリー来航など)【日本史第60回】」もあわせてご覧ください。

 

まず1871年に岩倉具視を大使とする使節団が、交渉のためアメリカやヨーロッパに派遣されました。結果は失敗に終わります。

 

しかし欧米近代国家の政治や産業の発展状況を細かく視察し、大いに見聞を広めることができました。

 

続いて1876年からは、関税自主権の回復を目指し、寺島宗則による交渉が進められます。

 

アメリカとの交渉には成功し、これで解決と思いきや、イギリスなどから反対を受け、結局条約改正は失敗に終わりました。

 

なぜイギリスが反対したのでしょうか?それは当時貿易で一番取引が多かったのが、イギリスだったからです。

 

逆にアメリカとはあまり貿易をしていなかったため、すんなり賛成してもらえたというわけですね。

近隣諸国との関係

 

(尚泰:wikiより)

清とは1871年に日清修好条規を結びます。相互に開港して領事裁判権を認め合うことなどが定められました。

また同年には琉球漂流民殺害事件が発生します。

 

その責任問題を巡って日清が対立し、1874年に台湾へ出兵します。これが台湾出兵(征台の役)です。

 

最終的に清は日本の出兵を正当な行動と認め、事実上の賠償金を支払いました。

琉球王国

江戸時代以来、琉球は事実上薩摩藩に支配されながら、他方で清に朝貢にするという複雑な両属関係にありました。

 

政府は1872年に琉球藩を置いて琉球を政府直属にするとともに、琉球国王の尚泰を藩王とします。

 

さらに1879年に琉球藩・琉球王国の廃止と沖縄県の設置を強行しました。これを琉球処分といいます。

朝鮮

政府は発足直後から朝鮮に国交樹立を求めたものの、朝鮮は日本の強圧的な態度を不服として拒否していました。

 

当時鎖国をしていた朝鮮に対して、西郷隆盛・板垣退助らは、武力による開国を主張する征韓論を唱え始めます。

 

ところが岩倉使節団から帰国した大久保利通らの強い反対にあい、征韓論は挫折しました。

 

大久保たちが反対したのには理由があります。

 

それは使節団での経験を通して、内政を優先すべきだと痛感したからです。

 

しかし結局日本は1875年の江華島事件をきっかけに、翌1876年日朝修好条規を締結して朝鮮を開国させます。

 

日朝修好条規の内容は、釜山・仁川・元山の開港させる・日本の領事裁判権や関税免除を認めさせるといった不平等なものでした。

蝦夷地・ロシア

政府は北方を開発するため、1869年に蝦夷地を北海道と改称するとともに、開拓使を設置します。

 

また1874年には開拓とロシアに対する備えを目的に、屯田兵制度を設けました。

 

こうして北海道の開拓で手いっぱいになった日本は、1875年にロシアと樺太・千島交換条約を結びます。

 

ここでは樺太に持っていた一切の権利をロシアに譲る代わりに、千島全島を領有することが定められました。

その他

ここでは1876年に小笠原諸島の統治を行うことを、一時領有を主張していたアメリカ・イギリスなどに通告したことを覚えておいてください。

 

今回の範囲はここまでです。続いて語呂合わせ・入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。

語呂合わせ

ここでは今回登場した重要なキーワードにまつわる語呂合わせを紹介しています。年号の暗記にお役立てください。

日清修好条規:清との条約いとわない(1871)
台湾出兵:征台に賛成をする人はなし(1874)
江華島事件:イヤなこ(1875)ったい、江華島事件
樺太・千島交換条約:イヤな交換(1875)千島得た
日朝修好条規:イヤな無理(1876)ばかりの日朝修好条規

入試問題にチャレンジ

沖縄県が設置される以前の琉球諸島の人びとは、中国や日本など周辺の国家や集団と交流をはかりながら、長い間、独自の社会をつくってきた。江戸時代の琉球は、事実上、薩摩藩に支配されたが、他方で清に朝貢し、貿易によって支えられていた。明治政府は、廃藩置県で琉球を鹿児島県に編入し、翌年には琉球藩を設置して、最後の国王尚泰を藩王としたが、1879年には、沖縄県の設置を一方的に決めた。これを【A】と呼ぶ。これにより、近代日本の領土が確定した。

問 空欄【A】に当てはまる語を、漢字で記せ。

2021年 早稲田大学 教育学部 一般入試 日本史 大問Ⅳ 問1より)

正解:琉球処分
いかがでしたでしょうか?今回学んだ範囲をしっかりマスターできていれば、早稲田大学の問題も解けるということが分かったと思います。今回解けなかった方も大丈夫です。しっかりと今回の内容を復習してみてください。

まとめ

今回は明治初期の外交について見てまいりました。

岩倉使節団・寺島宗則が行った交渉とその結果・近隣諸国(とくに清・朝鮮)との関係をしっかり覚えておいてくださいね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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