こんにちは。受験生に役立つ日本史シリーズをはじめます。今回取り上げるのは飛鳥文化。日本最初の仏教文化で、法隆寺などたくさんの特徴ある建築物が建てられた時代でした。
また、飛鳥時代には鞍作鳥(止利仏師)作の法隆寺釈迦三尊像や百済、南朝様式の美しい仏像が作られます。
今回は、飛鳥時代の特徴や代用的な仏像、建築物などについてまとめます。また、入試に頻出だった伽藍配置も解説します。
- 飛鳥文化は国際色豊かな日本最初の仏教文化
- 大王一族や蘇我氏、渡来人が飛鳥文化の担い手
- 仏像は北魏様式と百済・南朝様式に大別可能
- 北魏様式の法隆寺釈迦三尊像、飛鳥寺釈迦如来像、法隆寺夢殿救世観音像は頻出
- 百済・南朝様式の広隆寺半跏思惟像、中宮寺半跏思惟像、法隆寺百済観音像もよく出題。
- 蘇我氏の飛鳥寺、秦氏の広隆寺はよく間違えるので注意
- 同じく、広隆寺と法隆寺も間違えやすいので要注意
- ハイレベル次第を目指すなら、伽藍配置は覚えるべき
飛鳥文化の特徴
(飛鳥大仏:wikiより)
6世紀末から7世紀初め、推古天皇の時代に栄えた文化を飛鳥文化といいます。飛鳥文化の中心地は都がおかれた飛鳥地方と、聖徳太子一族が本拠地を置いた斑鳩(いかるが)地方でした。
飛鳥文化の担い手となったのは仏教を厚く進行した大王一族や蘇我氏をはじめとする有力豪族、朝鮮半島や中国から日本にやってきた渡来人たちです。
飛鳥文化は日本最初の仏教文化でした。
聖徳太子や蘇我馬子が中心となり、中国の制度や仏教を積極的に取り入れたことで発展した文化だといえるでしょう。
飛鳥文化は、直接的には朝鮮半島の三国(高句麗・百済・新羅)や中国南北朝の影響を、遠くはインドやギリシャの影響を強く受けた文化です。次の白鳳文化や天平文化と同じく、国際色豊かなのが特徴ですね。
飛鳥文化の代表的な仏像
(法隆寺釈迦三尊像:wikiより)
飛鳥文化の仏像は、大きく分けると北魏様式と百済・南朝様式に分類できます。どちらの様式でも「古拙の微笑」といわれるアルカイックスマイルが見られます。
北魏様式を代表する仏師が鞍作鳥(止利仏師)です。瞼の上下が同じように弧を描く杏仁形の目や、左右対称の衣文、力強い端正な面持ちなどが北魏様式の特徴とされました。
代表的な仏像は、飛鳥寺の釈迦如来像(飛鳥大仏)や法隆寺金堂の釈迦三尊像、法隆寺夢殿の救世観音像などですね。
それに対し、百済・南朝様式(非止利派)の仏像は、柔和で丸みがある顔と自然な衣文が特徴です。
代表的な仏像は、法隆寺百済観音像、広隆寺半跏思惟像、中宮寺半跏思惟像などがありますが、どちらかといえば女性的な柔らかな面持ちです。
(法隆寺百済観音像:wikiより)
法隆寺など飛鳥文化を代表する建築物
(法隆寺西院伽藍:wikiより)
仏教を厚く進行するようになった大王家や王族、豪族たちは飛鳥地方に大規模な寺院を立てました。
最大の豪族として権勢を誇った蘇我馬子は、初の本格的な伽藍を持つ飛鳥寺を建立します。渡来人の子孫である秦河勝は広隆寺を建てました。
大王家の人々としては、舒明天皇がのちに大官大寺・大安寺となる百済大寺を建立。聖徳太子こと厩戸王は四天王寺と法隆寺を建立しました。
特に注目すべきは飛鳥寺・四天王寺・法隆寺の伽藍配置です。
伽藍配置とは、お寺の中の建物配置のこと。以前は、ハイレベル私立大学の定番問題としてよく出題されていました。
(伽藍配置:マナペディアより引用)
講堂を周辺の回廊とつなぎ、中庭のようになった場所に塔や金堂を立てるのが四天王寺式。四天王寺式は塔と金堂と講堂が一直線上に並びます。
講堂が回廊の外にあり、回廊内の向って右側に金堂、左側に塔を配置するのが法隆寺式。
講堂が回廊の外にあり、塔を囲むように三つの金堂があるのが飛鳥寺式。
法隆寺は金堂と塔が並んでいる。
四天王寺は縦に並んでる。
飛鳥寺は塔が真ん中。薬師寺は塔が2つ金堂の近くにある。東大寺は南大門が遠くにある。
まとめ
飛鳥文化は日本で最初の仏教文化です。大王の一族や蘇我氏などの有力豪族、渡来人たちが文化の担い手となりました。
今回紹介した六つの仏像は飛鳥文化を代表する物なので、しっかりと覚えましょう。
また、ハイレベル私大を狙う場合、寺院の伽藍配置もしっかり理解しておくべきですね。
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