こんにちは。今回は戦後、豊富な石油資源などで世界中に影響を与えた西アジア諸国についての現代史について述べていきます。特に今回は、西アジアの中でも、エジプト、イラン、イラクに焦点を当ててまとめます。
西アジアの国は石油の生産地であることが多く、世界経済に大きな影響を与える地域でした。地図上で見ても、西アジアはヨーロッパとアジアをつなぐ重要地点です。
また、入試にも頻出の現代史なのでここの部分を理解しているかどうかで合否に関わってくるので必ず理解をしましょう。
- エジプト革命により、ナギブが権力を掌握
- ナギブを追放したナセルはスエズ運河国有化を達成
- サダトはイスラエルと平和協定を締結
- イラン首相となったモサデグはアングロ=イラニアン石油会社を国有化
- パフレヴィー2世はクーデタでモサデグを追放。白色革命を実行
- イラン革命でパフレヴィー朝は滅亡し、ホメイニを指導者とする宗教国家になる
- イラン革命の影響で第二次石油危機が起きた
- イラクはバース党による一党独裁で、フセインがバース党を掌握し、イラクの独裁者となる
- イラン=イラク戦争は引き分け
- イラクのクウェート侵攻がきっかけとなり、湾岸戦争が始まった
- イラク戦争でフセイン政権は崩壊
アラブの盟主を目指したエジプト
(ナセル大統領:wikiより)
アメリカとソ連という二大勢力が争う冷戦の中、西アジアの地中海沿岸地域ではエジプトとパレスチナ・シリアが政局の中心となりました。詳しくは「【世界史B】受験に役立つオリエント史(ユダヤ人の歴史と中東戦争)」をお読みください。
1945年、エジプトはサウジアラビア、シリア、イラクなどとともにアラブ連盟を結成します。アラブ連盟諸国は国際連合が決めたパレスチナ分割案に反対し、イスラエルと第一次中東戦争を戦います。
1952年、エジプトではナギブ率いる自由将校団によるエジプト革命が勃発。ムハンマド=アリー朝のファルーク国王が追放され、エジプト共和国が成立しました。
1954年、ナギブを追放したナセルはエジプトの指導者となります。1955年、ナセルはバグダード条約機構への参加を拒否するなど、アラブ民族主義に傾斜していきました。
1956年、ナセル大統領はアスワン=ハイダム建設費の財源とするためスエズ運河の国有化を宣言します。これに反対するイギリス・フランスと、両国に加担したイスラエルがエジプトに侵攻します。第二次中東戦争(スエズ戦争)がはじまります。
(第二次中東戦争:wikiより)
戦争でエジプトは苦戦しましたが、外交面で巻き返しを図り、国際連合の決議を引き出しました。結局、イギリス・フランス・イスラエルの連合軍は撤退します。エジプトの国際的地位は向上しました。
アラブ諸国での名声を上げたナセルはエジプトとシリアを統合するアラブ連合共和国を樹立しますが、3年とたたずにシリアが離脱してしまいました。
その後、第三次中東戦争でエジプトは大敗します。ナセルの権威は大きく低下しました。1970年、ナセルは急死し、サダトが権力を引き継ぎます。
1973年、第四次中東戦争でもイスラエルに勝利できなかったエジプトは1979年にイスラエルと平和条約を調印します。ところが、サダトは平和条約に反対する人の手によって暗殺されてしまいました。
中東戦争年号 | 戦った国 | 結果 |
第一次(1948年) | アラブ連盟(エジプト)VSイスラエル | イスラエル有利の停戦 |
第二次(1956年) | エジプトVSイギリス、フランス、イスラエル | エジプトのスエズ国有化認められる |
第三次(1967年) | エジプトVS イスラエル | イスラエル勝利(6日間戦争)シナイ半島、ヨルダン川西岸地区、ガザ占拠。 |
第四次(1973年) | エジプト、シリア VS イスラエル | 痛み分け |
革命により石油資源を国有化したイラン
(イラン革命:wikiより)
イランでは戦前に成立したパフレヴィー朝の政治が続いていました。1951年、モサデグが民族主義の考えに基づき、アングロ=イラニアン石油会社を国有化しました。
(イラン地図)
国王パフレヴィー2世はアメリカの支援を受け、モサデグ首相らを追放するクーデタをおこします。アメリカの後ろ盾を得たパフレヴィー2世は、白色革命を実施し、脱イスラムによる近代化を図りました。
1979年、パフレヴィー2世の行き過ぎた西欧化・近代化に反発する人々がイラン革命を起こします。国王はアメリカに亡命します。かわって、パフレヴィー2世によって追放されていたシーア派の指導者ホメイニ師がイランに復帰します。
革命後、イランではホメイニ師が中心となってイラン=イスラム共和国がつくられました。シーア派原理主義や反共・反帝国主義の立場に立ち、イラン民族主義を掲げる新政権に対し、世界は警戒感を強めます。
イラン革命勃発後、ホメイニ師は資源保護の立場から石油の輸出を大幅に削減しました。これにより、第二次石油危機を引き起こします。
地図上に人工的に国境線を引いてつくられたイラク
(湾岸戦争時のアメリカ空軍:wikiより)
1932年、ハーシム家を王家とするイラク王国が成立しました。イラクはイギリスやフランスなどによって人工的に国境を定められてつくられた人工国家です。そのため、国内に様々な民族が含まれ不安定化する要素を秘めていました。
1958年、エジプトの影響を受けた人々はクーデタを決行し王政を廃止しました。1968年からはバース党の一党独裁がはじまります。
1979年、バース党政権を継承したサダム=フセインは軍事独裁をおこないました。1980年、フセインはシャトル=アラブ川などをめぐって争っていたイランと戦争状態にはいります。イラン=イラク戦争は1980年から88年まで続きました。
イラン=イラク戦争中、フセインはアメリカの支援を受けたため、イラクは軍事大国化します。イラン=イラク戦争後、フセインは強大化された軍備をもって、隣国クウェートに侵攻しました。
これに対し、アメリカを中心とする多国籍軍はクウェートを支援するためイラクを攻撃。湾岸戦争が起きます。戦いに敗れたイラク軍はクウェートから撤退しましたが、多国籍軍はイラク本国へは進撃せず、フセイン政権が存続します。
2003年、アメリカなどを中心とする有志連合は、イラクが大量破壊兵器を持っているとしてイラクに攻め込みました(イラク戦争)。これにより、フセイン政権は崩壊します。
まとめ
中東の大国であるエジプトでは、王政が倒されナセルによるアラブ民族主義が高まりました。スエズ運河国有化は第二次中東戦争を引き起こしますが、ナセルは外交的に巻き返しました。イスラエルと和平協定を結んだサダトと間違えないようにしましょう。
イランはモサデグによるアングロ=イラニアン石油会社の国有化がよく出題されます。パフレヴィー2世の白色革命と合わせて、知識を整理しましょう。イラン革命は第二次石油危機の原因となりますね。
イラクはバース党と、党を掌握したサダム=フセインに着目。イラン=イラク戦争や湾岸戦争を引き起こしました。しかし、フセイン政権が崩壊するのは2003年のイラク戦争の時なので、湾岸戦争で政権崩壊していないことに気を付けましょう。
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