こんにちは。今回は古代ローマ、特に共和政ローマ時代についてお話をします。
地中海全体を支配するローマも、はじめは小さな都市国家でした。小さなローマが巨大帝国に成長した理由を一緒に考えてみましょう。
今回は古代ローマの成長期、共和政ローマについて紹介します。ハンニバルやマリウスなど有名人も登場します。
また、この時代は入試に頻出で、法律や制度などわかりにくいため、表など作成してわかりやすく解説してますので、ノートでまとめるなりしてしっかりと覚えましょう。
共和政ローマ
(共和政ローマの国旗:wikiより)
ローマは紀元前750年頃にラテン人によってつくられたといわれます。
その後、すぐれた技術を持っていたエトルリア人が王となって支配します。紀元前509年、ラテン人たちはエトルリア人の王を追放します。そして貴族による共和政が始まりました。
共和政ローマってどんな国?仕組みを紹介
共和政ローマの官職は役職名、仕事内容、任期、人数をセットで覚えましょう。
共和政ローマの最高官職は執政官(コンスル)、政治のトップで今の首相にあたります。定員は2名で任期は1年でした。貴族たちは元老院議員として政治に参加します。
平民たちだけで開かれる平民会では、平民の代表である護民官が選ばれました。こちらも定員は2名で任期1年です。
しかし、非常事態が起きた時は執政官が話し合って独裁官(ディクタトル)を任命します。任期は半年ですが一人で全て決めることができました。
ローマの役職名 | 人数 | 任期 | 職務内容 |
執政官(コンスル) | 2名 | 1年 | 首相(元老院とともに政治) |
護民官 | 2名 | 1年 | 平民会から選出 |
独裁官(ディクタトル) | 1名 | 半年 | 非常事態に選出。 |
市民権をめぐる争い、身分闘争
ローマが発展し、平民たちの力が増すと大地主である貴族たちと対立するようになります。
紀元前494年には平民たちが聖山に立てこもって貴族と対決し、政治的な平等を求めました(聖山事件)。
紀元前451年、十二表法が公開されました。法律が文字で公開(文章化された法律を成文法といいます)されることで、貴族たちが勝手に法律を使うことができなくなります。
紀元前367年、リキニウス=セクスティウス法が制定され、執政官の一人は平民から選ばれることになりました。また、リキニウス=セクスティウス法では大土地所有を制限します。
さらに、紀元前287年にはホルテンシウス法が施行され、平民会の決定が国法となると認められ、平民と貴族の権利は対等になりました。
こうした平民が権利を獲得するための戦いを身分闘争といいます。
聖山事件→十二表法→リキニウス=セクスティウス→ホルテンシウス
私は「聖獣に(十二)リホ」と覚えていました。強引ですが、覚えるしかありません。
イタリア半島統一とポエニ戦争
(カルタゴの武将:ハンニバル:wikiより)
身分闘争が終わり、国内が団結したローマは外へと領土を広げます。
共和政ローマの前に立ちはだかったのはフェニキア人の都市国家カルタゴでした。
カルタゴとのポエニ戦争に勝利したローマの社会は大きく変化していきます。
イタリア半島の統一
国力がつき、団結力もアップしたローマ人たちは周辺民族を征服します。
最初はローマの北のエトルリア人、次にローマの南のギリシア人の都市国家を征服。紀元前272年に、南イタリアのタレントゥムを征服することでローマはイタリア半島を統一しました。
この時、ローマ軍の主力だったのが中小農民からなる重装歩兵です。
ポエニ戦争
イタリア半島を統一したローマはシチリア島をめぐって北アフリカにあったフェニキア人の都市国家カルタゴと激突します。
第一回のポエニ戦争はローマの勝利。ローマはシチリア島を手に入れ最初の属州としました。
紀元前216年、カルタゴの名将ハンニバルはローマの不意を突いてアルプスを越えて北イタリアに侵入。迎撃してきたローマ軍をカンネーの戦いで打ち破ります。
ハンニバルは10年以上にわたってイタリア半島に居座りましたが、ローマの将軍スキピオが手薄なカルタゴ本国を奇襲します。
引き返してきたハンニバルをザマの戦いで撃破し、第二回のポエニ戦争もローマの勝利します。
その後、ローマは力を失ったカルタゴを紀元前146年に第三回ポエニ戦争で滅ぼしました。
ローマ社会の変化
ポエニ戦争で勝利したローマはシチリア島をはじめとする属州を手に入れました。
属州から入る安い穀物はイタリア半島の中小農民を直撃します。
農民たちは重装歩兵として従軍するどころではなくなってしまい、ローマ軍は弱体化します。
また、属州から大量の奴隷が入り込むことによって奴隷制の大農園ラティフンディアが成立します。ローマ国内には安価な穀物があふれ、中小農民は経営難から土地を手放して没落しました。
内乱の1世紀
ポエニ戦争で勝利した結果、かえってローマ社会は混乱してしまいます。
土地を失ったローマ市民たちは不満の声を上げました。元老院中心の政治はうまくいかなくなり、実力者が政治を主導する時代になります。
内乱の1世紀についてポイントを整理しましょう。
グラックス兄弟の改革
(グラックス兄弟:wikiより)
「軍の中心だった中小農民を救おう。」そう考えたのがグラックス兄弟でした。
グラックス兄弟はリキニウス=セクスティウス法を復活させ大土地所有を制限しようとしますが、反対派によって暗殺されてしまいます。
グラックス兄弟の死後、イタリア半島では同盟市戦争とよばれる内戦が起き、混乱は深まりました。
マリウスとスラの時代
(マリウス)
弱体化した軍を立て直そうとしたのが平民出身のマリウスでした。
マリウスは中小農民の復活よりも軍の立て直しを優先。土地を持たない無産市民を軍隊に迎え入れました。
これ以後、ローマの有力者たちは自分の資産や国家から支給されたお金で軍を養います。
そのため、軍隊が国よりも有力者のためのものとなる「私兵化」がおきました。
平民の支持を受けたマリウスと対立したのが、元老院が支持するスラです。
(スラ)
スラはマリウスの死後に政権を握り、平民派を弾圧します。
第一回三頭政治
スラの引退後、ローマでは元老院による共和政が復活しますが安定しませんでした。紀元前73年には剣闘士奴隷だったスパルタクスが反乱を起こします。
こうした混乱を鎮めるため、3人の有力者が手を組みました。
大富豪のクラッスス、スラ配下で活躍した不敗の名将ポンペイウス、平民派のリーダーとなっていたカエサル。この三人が結んだ同盟を第一回三頭政治といいます。
まとめ
いかがだったでしょうか?世界史の試験では結構頻出なのでしっかりと抑えておきましょう。
おすすめの本として「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた 」があります。ぜひ一度読んでみましょう。
次回の記事「帝政ローマ:カエサル以降:パクス・ロマーナも解説【世界史B】第五回」
前回までの記事「受験生に役立つヨーロッパの歴史(ペルシア戦争後からヘレニズム時代・文化) 第三回」
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