古代ギリシアのポリス時代~ペルシア戦争までの歴史(第二回)【世界史B】受験に役立つ歴史

みなさん、こんにちは。【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史について行います。今回はギリシアのポリスの話からペルシア戦争までお話しします。

 

「ギリシアのポリスといえば?」と聞かれると、受験生ならアテネとスパルタという答えがかえってくると思います。性格が違う二つのポリスは、アケメネス朝ペルシアという超大国と力をあわせて対決しました。

 

しかし、強敵を打ち払った後、二つのポリスは全面戦争に突入しました。今回は、アテネの政治史やペルシア戦争などについてまとめます。

 

ちなみに、前回までは「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ギリシア~ペルシア戦争)」について語りました。まだ読んでいない人は是非読んでください。

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アテネの政治史

アッティカ地方の中心地にあるアテネはもっとも代表的なポリスだといわれます。アテネでは時代の変化により、政治の仕組みが貴族政→財産政→僭主政→民主政と変化しました。

 

題ポイントは政治の中心人物とやった内容の一致です。しっかりと整理しましょう。

ドラコンの成文法

もし、世の中にある法律が秘密にされていて、一部の人たちだけが知っていたらどんなことが起きると思いますか?法律を知っている人は、相手が知らないのをいいことに好き勝手に法律を解釈して自分の有利にしようとしますよね。

 

アテネでも貴族たちは市民に法律を教えず、好きなように法律を解釈していました。人々の不満を知ったドラコンは法律を文章にして公表しました。これが、ドラコンの成文法です。

ソロンの財産政治

政治に参加する条件、これは、昔から争われてきた事柄でした。今は、20歳になっていれば誰でも投票という形で政治に参加できます。

 

しかし、昔は政治に参加できるのは貴族だけ。「これじゃあ、不公平だ!」アテネでは、市民たちが政治参加を求めて声を上げます。

 

そこで、ソロンは「じゃあ、政治に参加する基準は貴族かどうかではなく、財産で決めるようにしよう」と提案しました。ソロンの行った政治を財産政治といいます。同時にソロンは借金で奴隷にすることを禁じました。

ペイシストラトスの僭主政

ソロンの財産政治で貴族以外の人にもお金持ちであれば政治に参加する権利が与えられました。しかし、貧しい人々は相変わらず政治に参加できません。

 

貧しい人々を率いて貴族政を打倒したのがペイシストラトスでした。彼が行ったのが僭主政です。

 

僭主は「せんしゅ」と読みますよ。簡単に言えば、独裁政治でした。彼は、貧しい人々を保護する政治をおこなって人気を得ます。

クレイステネスの改革

ペイシストラトスは優秀な独裁者でした。しかし、跡を継いだ彼の子はそこまで有能ではありません。かわって、政治の表舞台に登場したのがクレイステネス

 

彼は、独裁者による政治より、みんなで政治を行う民主政が良いと考えます。そのため、独裁者になりそうな人を追放する仕組みを考えました。それを、「陶片追放(オストラキスモス)」といいます。

 

これは、追放すべき人間の名前を陶片に書いてそれが一定数貯まれば10年間アテネ から追放されるというシステムです。陶片に書いたことから陶片追放という名前になりました。

 

ほかにも選挙制度を改革して民主政の基盤を固めました。

ペルシア戦争について

ペルシア戦争のポイントは、戦いの原因、戦いの流れと勝敗、戦争の影響、同じころの世界の出来事を整理することです。

 

ギリシアのポリスが、大国ペルシアとどうやって戦ったのかを整理すると高得点をとれますよ。

戦いの原因

戦いの原因はイオニア地方(小アジアのエーゲ海沿岸)にあったギリシア人のポリスがペルシア帝国に反乱を起こしたこと

 

反乱の背後にアテネがいることを知ったダレイオス1世がギリシア遠征を決断しました。このとき、フェニキア人がペルシアに協力したことにも注意しましょう。

戦いの流れと勝敗

紀元前490年、ダレイオス1世が本格的に大軍を送り込みました。この時、アテネの重装歩兵がマラトンの戦いでペルシア軍に勝利します。

 

紀元前480年、クセルクセス1世が自ら乗り込んできたときは、テルモピレーの戦いでスパルタ軍が敗北。アテネ海軍がペルシア軍をサラミス海戦で撃破しました

 

紀元前479年、アテネ・スパルタ連王軍はプラタイアの戦いでペルシア軍に勝利

 

最終的にギリシアの勝利が確定しました。

戦争の影響

この戦いで一番活躍したポリスはどこでしょう?アテネですよね。アテネは他のポリスに呼び掛け、対ペルシア同盟であるデロス同盟を結成します。

 

しかし、スパルタは参加しません。

 

スパルタにすれば、ペルシアと戦うからアテネと手を組んだだけで、戦後までアテネの言いなりになるつもりがなかったからです。

 

もう一つ大事な影響。それは、サラミス海戦で舟のこぎ手として活躍したお金のない人たち、無産市民も舟のこぎ手として参加し政治に発言力を持ったこと。ペルシア戦争で民主化がより進みました。

ギリシア文化について

ギリシア文化の出題ポイントは、カテゴリー、人名、特色の一致。

 

正誤問題では、これらがスロットマシーンのようにずらされて出題されます。惑わされないよう、しっかり整理しましょう。

叙事詩、叙情詩

出題率ナンバーワンはホメロス。『イリアス』『オデュッセイア』は頻出ですね。

トロイア戦争に関連すると覚えましょう。シュリーマンは彼の作品を耽読して遺跡発掘に乗り出しのですね。

 

詳しくは前回の記事「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ギリシア~ペルシア戦争)」に記載しています。

 

ヘシオドスは『労働と日々』がよく出されます。たまに『神統記』も出ますので注意です。サッフォー女流詩人という点がよく出題されますよ。

三代悲劇詩人と喜劇作家

三代悲劇詩人は

 

  • アイスキュロス『アガメムノン』
  • ソフォクレス『オイディプス王』
  • エウリピデス『メディア』

を一致させておくと出題に対応できます。

 

スラスラ出てくるレベルにしておきましょう。アリストファネス喜劇作家。悲劇詩人ではないので注意です。

自然科学

こちらは、著作よりも人物名と万物の根源を何と考えたかのリンクが大事です。

 

  • 万物の根源をとしたタレス
  • としたピタゴラス
  • としたヘラクレイトス
  • 原子としたデモクリトス

これらを一致させましょう。

 

まれに、医聖とよばれたヒッポクラテスも出題されますよ。

ソフィストと哲学者

ソフィストは、プロタゴラスの「万物は人間の尺度」の一本勝負です!圧倒的出題率です。

 

  • ソクラテス「知徳合一」
  • プラトン「イデア論」
  • アリストテレス「中庸」

 

正誤問題で入れ替えた文章が出題されるので間違えないようにしましょう。

歴史書

ヘロドトス『ぺルシア戦争史』を書きました。主人公であるギリシアが勝つイケイケのお話なので物語的記述

 

一方、トゥキディデス『ペロポネソス戦争史』を書きました。こちらは、主人公のギリシアが没落する過程。「なぜ、こうなったのだろう」と思いながら書いたので分析的で科学的記述。違いを把握しましょう。

 

次の話はこちら

 

ペルシア戦争後からヘレニズム時代・文化について解説【世界史B ヨーロッパ史 第三回】
こんにちは。今回はペルシア戦争後からヘレニズム時代やディアドコイ戦争までの流れをヘレニズム文化を踏まえてお話していきます。 前回のお話でペルシア戦争で勝ったギリシア、特にアテネでは民主主義が絶頂期を迎えました。詳しくは「【世界史B】受験生に...
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コメント

  1. […] 前回のお話でペルシア戦争で勝ったギリシア、特にアテネでは民主主義が絶頂期を迎えました。詳しくは「【世界史B】受験生に役立つヨーロッパの歴史(ギリシア~ペルシア戦争)」を読んでください。 […]

  2. […] デロス同盟は、ペルシア戦争でペルシャの再来に備えて結成されたアテネを中心とする同盟でしたね。詳しくは「古代ギリシアのポリス時代~ペルシア戦争までの歴史(第二回)【世界史B…」を読んでください […]

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