教師になった日〜全ての始まり〜(中編)

教員の日々
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どうもemitaです。前回までの話ですが、司法試験に落ち、ブラック企業に入りパワハラを受け人生どん底と言うかヤケクソになっていた時期を過ぎ、塾講師に落ち着きます。

 

今日は、塾講師時代を振り返りつつ教師になるまでの日々を書きたいと思います。今、思い出すだけで恥ずかしさとほんの僅かな高揚感を思い出します。

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塾講師時代

ブラック営業時代から解放された私ですが、教員の免許をとる時間も比較的ある塾の講師になります。周囲も「先生」と尊重してくれる表現をしてくれますし、精神的にかなり楽な生活を送ることが出来ます。

 

未だに「先生」という響きにはなれませんが、ブラック営業時代に詰められて人権剥奪されていたことを考えると多少なりとも自己肯定感を得ることのできる仕事でした。また、営業時代には「正直、これ自分だったら買う?」みたいなことを考えながらも売らなければならないというストレスがあったのですが全くなくなり精神的に安定しました。

 

そして、サービスの対象となるのは、いわば「子供」です。

 

世の中に職業は山程ありますが、お金をもらって相手に上からの態度に出られるのは教師しかないと思います。塾、学校問わず、子供に対し必要以上に強気に出る教員がおられますが、根本はサービス業なのではと考えるので、あまり理不尽なことを言えない気がします。

 

まあ、教育についての考えはさておき、絶望の司法試験浪人時代や営業時代からようやく人並みの生活(基準はどうあれ)を手に入れることができます。

 

ですが、問題が…社会保険に加入できないという問題が生じます。ブラックとはいえ営業職では正規雇用だったので社会保険は入ることができましたが今回は契約社員扱いのため加入は認められませんでした。雇用保険はかけてもらえたのですが・・・(法律上の義務です!)

 

今でこそフリーランス的な考えが広まり会社に縛られない生き方が注目されていますが、当時はそこそこ稼いでいたものの不安定な働き方に不安を抱いていました。

 

しかも、会社には50歳以降は雇い止めの定年というルールがあり50歳以上は流浪の身というか再度ブラック企業でも働きにいかなければならないのかと日々暗澹たる気分で将来への不安を抱えながら生きていました。

 

正直、福利厚生面以外では塾講師はかなり楽な仕事だったので塾の正社員の道も考えたのですが、30歳をすぎると正規雇用の道はないらしく(というか努めていた塾の正社員の待遇がヤバすぎてなることを早々に諦めました)、学校の教師なら安定するだろうと考えました。

 

今思うと、学校の教師はほぼほぼ常勤講師スタートするのですが、なかなか正社員である専任教諭の道は厳しく状況は塾と変わらなかったりするのですが。

通信教育時代(教員免許取得)〜教育実習の話も〜

教員免許を取得するには、大学の教育課程で教職の専用の単位を取得しなければなりません。大学時代、教職を取るどころか遊び呆けていた私は、通信教育で教職を取ることを決意します。正確には、その学校には属さず科目履修生として教職の単位のみを取得する身分になります。

 

塾講師をしながら教員免許を取得するための日々を過ごします。

 

教職課程を取る通信教育をしている大学としては、科目にもよりますが、関西だと佛教大学、関東ですと日本大学、聖徳大学、慶應大学(これは卒業生のみ)が有名です。

 

通信教育の利点は、学校に通わなくてもレポートのみで単位を認めてくれる点でスクーリングもほとんど行かなくてもいいため他に仕事をしながら教職を取るというのにもってこいでした。

 

ただ、問題があって、①1ヶ月に出せる科目数が決まっていて無制限には出せない②理由もなくレポートを落とす謎の基準を持った教授もいるという場合もあります。

 

私は、①は仕方ないと思っていたのですが、②で大きくつまづくことになります。私は「英語史」の教授に嫌われたのか波長が合わなかったのかその科目のみ10回ほどやり直しを命じられるという異常事態に…その授業の科目を取るまでに1年かかりました。

 

最終的に、私は合格した人のレポートを入手しそのままコピーをしたら(その時点でアウト?)論点も全て書けているだろうと考え、語尾を変えてそのまま再提出をします。

 

しかし、結果は、不合格。

 

コピーをするというのは確かに良くない手段ですが再提出をして落とされたので、その人が受かり私が落ちたので判断基準がおかしいと文句を教授に言いにいこうとしたら事務局経由で私のレポートが合格だった旨の連絡がありました。正直よくわからない形での合格でした。

 

とにかく謎の教授のトラップに引っかかり一年で卒業する予定が卒業に一年半かかるという事態になりました。まあ、英語史のみが大変だったのですが後は概ね楽しく過ごせました。その当時の教員を取得するためにできた仲間も、頑張る励みになりました。

 

教育実習について

世間では教育実習のつらさや厳しさ、それを乗り越えられた事により教師として成長した…などの話がわんさかです。

 

私は、中学校で教育実習で1ヵ月を過ごしたのですが全く辛いと感じたことはありません。というか、日本で一番楽な実習を過ごしたのではないかとも思います。

 

まず、実習先の先生の大半が私より年下だったので精神的にかなり楽でした。全く怒られることなく周囲の先生はかなり気をつかってくれました。

 

教育実習生といえばフレッシュな大学生というイメージでしょうが、30過ぎたおっさんです。誰も何も言わない状況が続きました。周囲は相当気を使ってくれました。(今思うと無視されていたのではないだろうか…)

 

同時期に来た女子大生は夜10時ごろまで残って指導教官とともに頑張って授業計画を練っていましたが、私は定時の5時にあがりスポーツジムに行くなどかなり充実した日々をすごしていました。担当にも日報を渡して特に何も言われなかったので速攻帰っていました。

 

正直、授業の教え方や担当科目の技能は指導教官よりも上と言わないまでもベテランの教員ぽかったのでほぼほぼ文句を言われないという形でした。

 

そして、担当の先生は、相当面倒と考えたのでしょうか。私に実習での授業をほぼほぼ持たせないことを提案します。

 

「修学旅行やらで行事が忙しいので基本的には授業見学をしてください。先生は最後に校長の視察の授業とその直前に2,3回授業を見てもらう形でお願いします」

 

まじか…

 

今思うと、それはそれで恐ろしいですが、授業見学を頻繁にした結果色々と勉強になり良かったです。やはり他人の授業を見るというのは講義スキルを上げるのに役にたつといえるでしょう。ただ、1ヶ月のうち授業をしたのは4回ぐらいしかなかったという恐ろしい状態でした。

 

生徒から「先生の授業を受けたかった…」と惜しまれる実習生てなかなかいないと思いますね。授業が楽しかったのではなくレアすぎる実習生って…

 

まあ、それでも自分の知らない世界を覗けたかたちで楽しかったのですが、あっという間に一ヶ月が過ぎました。正直、公立の学校は楽しかったのですが、ここでは書けない出来事(不登校、金銭の問題など)が多くあり個人的には公立では働けないなと感じることもできました。

 

ただ、あっという間に1ヶ月は過ぎ、その2ヶ月後に単位を揃え、晴れて教員免許を取得します。

まとめ

わたしは、塾講師をしながら通信教育で教員免許をとりました。今思うと本当に後先を考えず日々適当に生きてきたような気がします。それはそれで恐ろしいもののやはり面白いと言えます。

 

塾講師時代や実習時代については時間があれば、別にお話をする機会もあるかもしれません。

 

では、いよいよ教職をとって教師になるまでの話です。

 

〜後編に続く〜

前回までのお話は以下にあります。

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