教師になった日〜全ての始まり〜(中編)

教員の日々

どうもemitaです。前回までの話ですが、司法試験に落ち、ブラック企業に入りパワハラを受け人生どん底と言うかヤケクソになっていた時期を過ぎ、塾講師に落ち着きます。今日は、塾講師時代を振り返りつつ教師になるまでの日々を書きたいと思います。

塾講師時代

ブラック営業時代から解放された私ですが、教員の免許をとる時間も比較的ある塾の講師になります。周囲も「先生」と尊重してくれる表現をしてくれますし、精神的にかなり楽な生活を送ることが出来ます。出勤も昼からという楽な勤務で午前中ゆっくりできると言うのは非常にありがたかったです。

ですが、問題が…社会保険に加入できないという問題が生じます。ブラックとはいえ営業職では正規雇用だったので社会保険は入ることができましたが今回は契約社員扱いのため加入は認められませんでした。。雇用保険はかけてもらえたのですが(法律上の義務です!)

しかも、会社には50歳以降は雇い止めの定年というルールがあり50歳以上は流浪の身というか再度ブラック企業でも働きにいかなければならないのかと日々暗澹たる気分で将来への不安を抱えながら生きていました。

正直、福利厚生面以外では塾講師はかなり楽な仕事だったので塾の正社員の道も考えたのですが、30歳をすぎると正規雇用の道はないらしく、教師になるしかない!と考えていました。全ては福利厚生のためです。

通信教育時代(教員免許取得)

教員免許を取得するには、大学の教育課程で教職の専用の単位を取得しなければなりません。大学時代、教職を取るどころか遊び呆けていた私は、通信教育で教職を取ることを決意します。正確には、その学校には属さず科目履修生として教職の単位のみを取得する身分になります。

教職課程を取る通信教育をしている大学としては、科目にもよりますが、関西だと佛教大学、関東ですと日本大学、聖徳大学、慶應大学(これは卒業生のみ)が有名です。

通信教育の利点は、学校に通わなくてもレポートのみで単位を認めてくれる点でスクーリングもほとんど行かなくてもいいため他に仕事をしながら教職を取るというのにもってこいでした。ただ、問題があって、①1ヶ月に出せる科目数が決まっていて無制限には出せない②理由もなくレポートを落とす謎の基準を持った教授もいるという場合もあります。

私は、①は仕方ないと思っていたのですが、②で大きくつまづくことになります。私は「英語史」の教授に嫌われたのか波長が合わなかったのかその科目のみ10回ほどやり直しを命じられるという異常事態に…その授業の科目を取るまでに1年かかりました。

最終的に、私は合格した人のレポートを入手しそのままコピーをしたら(その時点でアウト?)論点も全て書けているだろうと考え、語尾を変えてそのまま再提出をします。

しかし、結果は、不合格

コピーをするというのは確かに良くない手段ですが再提出をして落とされたので、その人が受かり私が落ちたので判断基準がおかしいと文句を教授に言いにいこうとしたら事務局経由で私のレポートが合格だった旨の連絡がありました。正直よくわからない形での合格でした。

とにかく謎の教授のトラップに引っかかり一年で卒業する予定が卒業に一年半かかるという事態になりました。まあ、英語史のみが大変だったのですが後は概ね楽しく過ごせました。

教育実習とか1ヶ月ほど行ったのですが、実習先の先生の大半が私より年下だったので精神的にかなり楽でした。全く怒られることなく周囲の先生はかなり気をつかってくれました。やはり日本はまだまだ年功序列が幅をきかせているのだなと再確認しました。しかも、担当の先生は実習生の私に授業をほとんど持たせてくれず1ヶ月のうち実習の授業自体4回ぐらいしかなかったという恐ろしい状態でした。

教育実習は辛いと聞きますが、少し大人になってから行くと楽です。では、いよいよ教職をとって教師になるまでの話です。

〜後編に続く〜

前回までのお話は以下にあります。

 

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