平安時代中期の摂関政治期に生み出された国風文化は、平安時代後期の院政期になると武士の文化や地方の文化を取り込むことでさらに厚みを増しました。
文化の中心は国風文化期と同じく平安京でした。院政期になると東北地方の平泉に見られるように京都の文化が地方にも広がりを見せます。
文化の担い手は宮廷文化を担った上級貴族だけではありません。院政期の文化では武士や庶民も担い手となりました。その意味で、院政期の文化は国風文化に比べて世俗化したともいえるでしょう。
今回は院政期の文化についてまとめます。
・『陸奥話記録』は前九年合戦のことです。後三年合戦ではないので注意
・建物は写真とともに出題されます
・『源氏物語絵巻』、『伴大納言絵巻』、『信貴山縁起絵巻』、『鳥獣戯画』は入試頻出
院政期の文学
(今昔物語 鈴鹿本:wikiより)
国風文化期、文学は『源氏物語』や『枕草子』などのような宮廷を舞台とする作品が多く見られました。
院政期には説話文学や実際の戦乱を話題とした軍記物語、歴史的事実を題材とした歴史物語などが書かれ、文学作品の幅が広がります。
説話文学
人々の間で語り継がれた物語の総称を説話といいます。平安時代後期になると『今昔物語集』などの説話文学が書かれました。
『今昔物語集』は平安時代後期に書かれた説話文学です。「今は昔」の書き出しで始まる『今昔物語』は、日本だけではなくインドや中国の説話を含む1000話もの物語を集めたものです。民間伝承だけではなく仏教に関連する説話も多数収録されました。
軍記物語
軍記物語は院政期から鎌倉時代・室町時代にかけて数多く書かれました。院政期に書かれた代表作は『将門記』と『陸奥話記』です。
『将門記』は935年に起きた平将門の乱の記録で対立の構図や個々の戦いについて書き記しました。『陸奥話記』は東北の雄である安倍氏と陸奥守源頼義が戦った前九年合戦について描いたものです。
軍記物語はその後も書き続けられ、鎌倉時代には『平家物語』、室町時代には『太平記』などが書かれます。『平家物語』は院政期ではなく鎌倉時代に書かれたことに注意しましょう。
歴史物語
これまで、『日本書紀』をはじめとする正式な歴史書は漢文で書かれていました。院政期になると歴史的な出来事を題材としつつも、和文で書かれた歴史物語が登場します。
『栄花物語』は宇多天皇の時代から白河上皇が院政を始める堀河天皇の時代までを描きました。女性が仮名分で書いた編年体の歴史物語ですが、作者は不明です。
これに対し、850年に即位した文徳天皇の時代から1025年の後一条天皇の時代までを描いたのが『大鏡』です。藤原氏を中心として描いた歴史物語で、190歳の大宅世継と180歳の夏山繁樹が過去の歴史について語り合うという形式をとっています。
『大鏡』の主人公は藤原道長といってよいでしょう。ほかにも藤原兼通・兼家の兄弟争いや藤原兼家の子(道兼)が花山天皇をだまして出家させてしまう話などが収録されています。
『大鏡』の次の時代を描いたのが『今鏡』です。ちょうど、院政期を描いた作品です。この作品では有名人について一人ひとり伝を立てて紹介する紀伝体の形式をとりました。
『大鏡』、『今鏡』のほかに『水鏡』・『増鏡』を含めて、「四鏡」とよびます。「四鏡」は日本史だけではなく古典でも出題されるので、入試では重要ですよ。
院政期の美術
院政期の美術に大きな影響を与えたのは浄土教です。浄土教では極楽浄土の主である阿弥陀如来(阿弥陀仏)が人々を救い、極楽浄土に導くとされます。人々の極楽往生の願いは寺院や仏像、絵画などの美術にも大きな影響を与えます。
ここでは、院政期時代の建築物について述べていきます。下図は建築物が存在する場所です。地理の把握をしていきましょう。
建築
(屋外に再現された中尊寺金色堂)
奥州藤原氏の本拠とである岩手県の平泉には京都風の建物や寺院が数多く建てられました。中でも最もよく知られているのが中尊寺金色堂です。
藤原清衡・基衡・秀衡の三代のミイラが眠る金色堂は在りし日の奥州藤原氏の栄華をしのばせます。
(富貴寺大堂:wikiより)
画像URL:大分県豊後高田市にある富貴寺大堂は九州最古の木造建築物です。非常に簡素な阿弥陀堂で、中には平安時代の仏師定朝があみだした「定朝様」の阿弥陀如来が安置されています。
中には豪華な来迎図壁画があることでも有名です。
(白水阿弥陀堂:wikiより)
福島県のいわき市にあるのが白水阿弥陀堂です。地元の豪族岩城則道の妻が夫の死後に建立したといいます。典型的な阿弥陀堂建築です。
「白水」は平泉の「泉」の文字を二分割して名づけられました。
(三仏寺投入堂:wikiより)
鳥取県三朝町にある三仏寺奥院は断崖絶壁に建てられたお堂です。お堂が断崖の岩窟に投げ入れられたという伝説から「投入堂」の別名を持ちます。
彫刻
(三十三間堂千手観音:wikiより)
院政期は数多くの仏像彫刻が彫られた時代でもありました。平清盛が後白河上皇に寄進した蓮華王院の本堂(三十三間堂)には千体の千手観音像が納められました。
これを蓮華王院千手観音立像といいます。鎌倉時代に120体を残して焼失しましたが、のちに再建されました。
(臼杵摩崖仏:wikiより)
大分県臼杵市にある臼杵摩崖仏は崖を掘りぬいてつくられた摩崖仏です。臼杵摩崖仏は日本最大の摩崖仏群で主なものだけでも60体以上の摩崖仏があります。大半が平安時代後期に彫られたものです。
(浄瑠璃寺九体阿弥陀:wikiより)
浄瑠璃寺本堂九体阿弥陀如来像は京都の浄瑠璃寺に安置されている阿弥陀如来像のことです。経典に極楽往生は9通りあると書かれていたことにちなみ、九体の阿弥陀如来像が安置されました。
絵巻
院政期に大きく発展したのは絵巻物です。絵巻物では吹抜屋台(屋内の様子を描くため屋根や壁を描かない手法)や異時同図法(時間の流れを示すため1つの場面に同一人物を2度、3度描く方法)など独特の手法が用いられました。
それでは、詳しく見ていきましょう。
(源氏物語 鈴虫:wikiより)
『源氏物語絵巻』は、紫式部の『源氏物語』の中から本文の一場面を絵画化し、絵巻物としたものです。
(伴大納言絵詞:wikiより)
『伴大納言絵詞』は、伴善男が失脚した応天門の変を描いた絵巻物です。燃え上がる応天門と、その門を見て唖然とする人々の表情が印象的ですね。
(信貴山縁起:wikiより)
『信貴山縁起絵巻』は、大和国にある信貴山に住んでいた僧侶命蓮にまつわる不思議な霊験譚を絵巻物にしたものです。
(鳥獣戯画:wikiより)
『鳥獣戯画』はもっとも有名な絵巻物の一つでしょう。セリフは一切書き込まれず、擬人化した動物が貴族社会や僧侶の世界を風刺しています。鳥羽僧正の作品とされています。
院政期の芸能
院政期には様々な芸能が発達しました。その一つが田楽です。田楽はもともと豊作を祈って田植えの時期に行う儀礼でしたが、京都や奈良などの都市部では娯楽的な芸能となります。
田楽と同じころに流行したのが猿楽でした。猿楽は滑稽な物まねや寸劇のことで、歌舞を中心とする田楽とともに貴族や庶民の間で人気を博します。
院政期には詞に歌や節回しをつけることも行われます。今様は平安時代末期に流行した歌謡です。今様という言葉の意味は「当世風」という意味ですね。今様を好んだ後白河法皇は今様を集めた『梁塵秘抄』を編纂させます。
同じころ、催馬楽とよばれるものも流行ります。催馬楽とは日本古来の民謡や和歌を唐楽風にアレンジしたもので、貴族の宴のあとなどに余興としてうたわれたようです。
また、朗詠が流行したのもこの時期の特徴です。朗詠とは、漢詩や和歌の名句を楽器の伴奏に合わせて吟唱するものです。猿楽と田楽、今様と催馬楽、朗詠の区別ができるようにしましょう。
まとめ
院政期の文化は国風文化を引き継ぎ、さらに発展させたものでした。国風文官時代には貴族中心だった文化の担い手が武士や庶民まで拡大したのも院政期の特徴です。
漢詩文中心だった文学作品は和文で書かれることが当然となり、数多くの名作が誕生しました。庶民文化として田楽や猿楽、今様などが流行したのも院政期の目立った特徴といえるでしょう。
院政期の文化は国風文化や鎌倉文化の作品と混同されがちです。特徴をしっかりとらえ、間違えないようにしましょう。
前回の記事「院政と保元・平治の乱から始まる平清盛を中心とする平氏政権について」https://wearewhatwerepeatedlydo.com/japanese-history21
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