【実録!】手に職もないまま人生の30代で無職という意味

みなさん、こんにちは。emitaです。

最近、記事のリライトをちょくちょくしていて、「教師になった日〜全ての始まり〜(前編)」を一部修正していました。

詳しい当時の状況はこちら

 

そこで、自分は30代で無職という状態だったのを改めて再発見しました。こういう個人的な内情などみなさんにとって別に何ら価値もないと思ったのですが、ひょっとして将来に不安を感じたり、人生に行き詰まったりしている人とかいるかもしれないと思い、少し当時の事を深掘りしてみようと思います。

 

具体的にはなぜ自分が30代で無職になったのか、そして当時の精神状態と数年たった今だから感じれることをまとめみたいなと思います。

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なぜ、30代で無職になったのか

私がそもそも30代で無職になった理由は、30歳半ばまで司法試験という魔物と戦っており、試験に落ちて受験資格を失った時、30代半ばにさしかかっていたというのが結論です。

 

私は、そこそこの学歴が高い(?)と言われる大学出身で、まぁ、社会に出たくない一心と自分が優秀なので資格試験くらい楽勝だろうと考えて学生生活を謳歌していました。司法試験を目指したのも司法試験を名目に社会に出なくていいという悪魔の誘惑に乗ってしまった要素が大きいです。

 

私の学歴を簡単にいうと

大学卒業→大学院(4年間:修士2年に1年留学1年留年)→法科大学院(3年間)→3年間司法浪人

という形です。

 

どんだけ社会に出てないねん!というツッコミとともに、少し辛くなってきました。学生の当時は、大学教授を目指し弁護士を目指すというリスクが高い選択のみをしていました。

 

それで、何か資格が手に入ったかというと司法試験択一式合格(実質、就職で全く使えない)というもので、正直何ら手に職はありませんでした。同期で司法試験に落ちた者で堅実な人たちは宅建や行政書士(中には司法書士まで)を取る人もいました。

 

私は、司法試験の勉強に集中するためにあえて司法試験以外の資格試験に向けた資格取得はしませんでした。結果、何ら手に職もないまま無職で30代半ばを迎えます。

30代無職の精神構造

ある程度高学歴で30代で何ら社会人経験もないまま、手に職もつけないまま突入すると自意識のプライドだけがひたすら肥大化していく一方色々なものが減っていきます。

 

具体的には

  • お金
  • 友人関係
  • 異性関係

です。

無職ですとひたすら消費するのでお金が減っていきます。学生時代からコツコツと貯蓄していった貯金が徐々に目減りしていきます。バイトをするのですが消費量と貯蓄量で明らかに前者が後者を上回ります。

 

しかも、無職のくせに自分ななんだかんだとお金をあとで多く稼げる、という訳の分からない自信で自分が惨めに思いたくないからか結構浪費します。私は、この時期、なぜかBOSEのスピーカーにハマります。

 

友人関係は、プライドの高さから人と関わるのがしんどくなってきます。友人と会うときはいつも「こいつは私を同情してるのでは?」という疑心暗鬼にかられます。食事をすると友人が多く出そうとしますが私はいつも割り勘を要求しました。

 

相手に奢られるという行為は自身の財力にある程度の余力がないとできないという事を知ったのは普通に稼ぎはじめてからでした。そんなわけで、友人とも距離を取りはじめます。

 

そして、問題なのが異性関係。学生時代には恥ずかしさもありつつも好きな子に告白したりアタックしたりと青春を謳歌しますが、30代で無職だと自身への劣等感でアタックどころではありません。

 

当時、友人が合コンをセッティングしてくれましたが、とても女性に声をかけられない状態で自身へのコンプレックスがひどいのと独身でいいという錯覚をしていました。

 

そんな時に、親は優しい言葉をかけてくれるのですが、それら全てはまやかしと感じてしまい自分自身が失敗作と考えるようになります。自分の人生は失敗だったと考えていました。

 

まあ、これ以上書くと読んでいる側も気分が悪くなると思いますのでここら辺にします。(実は、自殺未遂をしたりとか笑えない話もいくつかあります)そして、これが手に職もないまま30代で無職という私の当時の精神状態でした。

30代で無職の人たちへ

30代で無職でいることが本当にキツイというのを書いてきましたが、今の私は教員という形で薄給ながらも何とか糊口をしのぐことができています。

 

ただ、30代で無職になろうと、今の私が思うのは「大事なのは30代で無職だろうと夢や目的を持つことが大事」だと考えます。当時の私は、司法試験に落ちた事をただただ悲観して人生を過ごしていましたが、今思うと勿体無い事をしたと思います。

 

大事なのは、どれほど失敗して無職になろうとも「意思の力」があればより豊かな生活を送れるのではないでしょうか。

 

就職ができなかろうが起業、フリーランスなどの道はあります(もちろん、めちゃくちゃ厳しいでしょうが)。また、今はどこも人材不足が言われているので就職もしやすいと思います(ただし、銀行は別でしょうが)。

 

大事なのは、無職の時に自分の道が開けるチャンスとして肯定的に捉え本当のしたい仕事を模索し頑張れるか、人生詰んだと諦めて目先の利に走り全くしたくない仕事をするかという事だと思います。

 

私は、「教師になった日〜全ての始まり〜(前編)」でも語った通りとりあえず就職という形で別にしたいわけでもない看板の設置会社に入社します。後者の判断ですね。そして結果心を病みました。

 

今、私の行なっている教師という仕事は、今の私にとってやりがいのあるいい仕事です。低偏差値からの逆転合格というワクワクする取り組みもしています。

 

うまくいかないことが多く絶望することもありますが、当時の底の見えないドロドロした絶望感ではありません。そして、思うのは大事なのは「意思」なのだと。

 

無職の時は、まさに無色の時でこれから本当にやりたいことがやれるチャンスです。もちろん様々な制約を感じることもあるでしょう。しかし、目先の利益を求めてテンションの上がらない仕事にとりあえず就職するのはやはり人生が勿体無いです。

 

もし、人生が本当につまらないものなら自分のやってみたいことに挑戦するいい機会だと思うので悲観的にではなく肯定的に取り組めたらと思います。

 

もっとも、自身が40代で無職になっている可能性もあるので強いことは言えませんが、現時点でなんとなくそう思ったので記事にしてみました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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