戦後の政治についてわかりやすく解説(GHQ・55年体制など)【日本史第80回】

今回は戦後の政治について解説します。

 

GHQの五大改革指令やドッジ=ラインをはじめ、日本国憲法・朝鮮戦争・55年体制などを取り扱いました。

 

最後には入試問題も用意しているので、ぜひ最後までお読みください。

 

この記事からわかること

・GHQの占領政策

・日本国憲法の具体的な内容

・朝鮮戦争における日本国内の動き

・55年体制とは何か

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GHQの占領政策

(マッカーサー:wikiより)

GHQとは

(連合国軍最高司令官総司令部:wikiより)

GHQは、ポツダム宣言にもとづき1945年8月に設置された機関です。正式には、連合国軍最高司令官総司令部といいます。最高司令官はマッカーサーです。

 

GHQは日本に対して、間接統治による占領政策を実施します。間接統治とは、GHQの指令・勧告にもとづいて日本政府が政治を行う方法です。

 

ただしGHQはあくまで極東委員会(ワシントンに設置された最高決定機関)で決定したことを日本に命令しているのであって、独裁ではないので注意してください。

 

間接統治の例外として、アメリカにより直接統治されていた地域もあります。沖縄・小笠原諸島・奄美諸島などです。

 

こうしてGHQは占領政策を進めていきますが、当時の東久邇宮稔彦首相は「国体護持」「一億総懺悔」を唱えて反発し、内閣を総辞職させてしまいます。

 

S先生
S先生
国体護持とは、天皇制というこれまでの国の体制を維持するという考えです。

五大改革指令

(幣原喜重郎:wikiより)

国際連合が設立された1945年10月に幣原内閣が発足して以降、日本はGHQが出した五大改革指令にもとづく政治を行います。

 

五大改革とは、婦人の解放・労働組合の結成・教育制度の自由主義化・圧政的諸制度の廃止・経済の民主化です。一つずつ順を追って解説します。

 

まずは、婦人の解放です。1945年の衆議院議員選挙法改正により、女性にも選挙権が付与されます。翌年4月に行われた戦後初の選挙では、当時の史上最高記録となる39人の女性が当選しました。

 

次に、労働組合の結成です。1945年12月に労働者の団結権・団体交渉権・争議権を保障する労働組合法が制定されたのを皮切りに、翌1946年には労働関係調整法、1947年には労働基準法が制定されました。3つの法律をまとめて労働三法といいます。

 

労働基準法は、週48時間労働や女子・年少者の深夜就業禁止など、労働条件の最低基準を規定した法律です。労働関係調整法とともに、第1次吉田茂内閣時に制定されました。

 

続いて、教育制度の自由主義化です。日本歴史・地理・修身の授業が一時禁止されました。また、1947年には教育基本法学校教育法が制定されます。

 

教育基本法では、男女共学や義務教育を6年から9年へ延長することなどが定められました。学校教育法は、小学校6年・中学校3年・高校3年・大学4年という、いわゆる六・三・三・四制を規定した法律です。

 

翌1948年には、教育の地方分権化を推進するため、各地域に教育委員会が設置されました。

 

また、圧政的諸制度の廃止も進められます。政治犯は釈放され、治安維持法は廃止されました。こうして人々は、思想や政治活動をはじめ、さまざまな自由を手に入れた一方、プレス=コードにより、GHQ批判の抑制・出版物の検閲が行われたこともおさえておきましょう。

 

最後に、経済の民主化です。貧富格差の是正を図るために行われました。具体的な取り組みとしては、農地改革財閥解体の2つが挙げられます。

 

まずは、農地改革です。第1次・第2次と2度にわたって実施され、とくに第2次農地改革では、自作農創設特別措置法が制定されました。自作農創設特別措置法により、地主が小作人に貸している土地(貸付地)を国が強制的に買い上げて小作人に安く売り渡し、小作人を自作農にしようとしたわけです。

 

続いて、財閥解体を見てまいりましょう。最初に財閥の資産を凍結したのち、1946年に持株会社整理委員会を設置します。持株会社整理委員会では、指定された持株会社・財閥家族が所有する株式の譲渡・処分が行われました。

 

翌1947年には、持株会社・カルテル・トラストなどを禁止する独占禁止法が制定されます。また同年には、過度経済力集中排除法により、巨大独占企業の分割も実施されました。

経済安定九原則

(ドッジ(右):wikiより)

当初、GHQの占領政策は、非軍事化・民主化による日本社会の改造が主たる目的でした。つまり、日本は弱いままでOKという考えだったわけです。ところが冷戦の本格化に伴い、日本を政治的に安定した工業国として復興させる方向にシフトチェンジします。

 

S先生
S先生
冷戦とは、アメリカを筆頭とする資本主義とソ連を中心とする共産主義の対立です。1947年3月のトルーマン=ドクトリンでアメリカのトルーマン大統領が、ソ連封じ込め政策の必要性を唱えたことがきっかけとなり、対立が表面化しました。

 

冷戦については世界史でも扱っているので、気になる人はこちらの記事「冷戦の展開と第三世界の台頭について【現代史第2回】」もあわせてご参照ください。

 

ただ、日本の復興のためには、まず経済を安定させる必要がありました。しかし当時の日本は、金融緊急措置令や傾斜生産方式がうまくいかず、深刻なインフレ状態でした。

 

そこで、GHQは経済安定九原則を指令し、その実行に向けて銀行家のドッジを派遣します。

 

ドッジの指導のもとで1ドル360円の為替レートが設定されたほか、赤字が出ない予算が編成され、財政支出を大幅に削減しました。こうした一連の施策をドッジ=ラインといいます。

 

また、経済安定政策を税制面から助けるため、GHQは財政学者のシャウプを団長とする使節団を派遣し、日本に対して所得税中心の税制にするよう勧告しました。これがシャウプ勧告です。

 

一連の取り組みの結果、日本の経済は少しずつ安定へと向かっていきました。

日本国憲法

(日本国憲法:wikiより)

GHQが幣原喜重郎内閣に憲法改正を指示したのち、憲法問題調査委員会が改正案を作成しました。

 

しかし天皇の統治権を認める保守的なものだったことから、GHQはみずから改正草案を日本に提示します。この草案を手直ししたものが日本国憲法として第1次吉田茂内閣の1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。

 

主な内容は以下のとおりです。

基本原則 主権在民・平和主義・基本的人権の尊重

第1条 天皇は日本国および日本国民統合の象徴である

第3条 天皇の国事行為には内閣の助言・承認が必要で、内閣がその責任を負う

第9条 戦争放棄、国の交戦権は認めない

第25条 国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

朝鮮戦争~日本独立

(朝鮮戦争:wikiより)

冷戦は、アメリカを筆頭とする資本主義(西側)とソ連を中心とする共産主義(東側)の対立です。

 

西側陣営は1947年のマーシャルプランにより、アメリカが西欧諸国へ経済援助を約束したほか、1949年には北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟的な組織を結成します。

 

一方東側陣営も、経済相互援助会議やワルシャワ条約機構を組織して西側陣営に対抗しました。

 

日本国内では共産主義に対してGHQが厳しさを強め、1948年には政令201号で公務員のストライキを禁止し、2年後のレッド=パージでは、共産主義者を公職追放します。

 

そしてこの直後に朝鮮戦争が勃発しました。韓国と北朝鮮の戦争ではありますが、韓国のバックにはアメリカ、北朝鮮のバックにはソ連・中国がいます。

 

日本では、米軍から大量に武器の注文がきたため、景気がよくなりました。これが特需です。また、朝鮮戦争が始まった1950年には、警察予備隊が新設されました。

 

アメリカは、朝鮮戦争で苦戦を強いられたことから、占領を終わらせて日本を独立させ、朝鮮戦争に利用しようとします。そして連合国の独立反対派を押し切り、1951年にサンフランシスコ平和条約を結びました。ただし、この時点ではまだ調印しただけであって、発効はしていないので注意してください。

 

同じ1951年には米軍の日本駐留を認めるという内容が盛り込まれた日米安全保障条約が締結されます。また1952年には日米行政協定により、日本は米軍に基地を提供することになりました。

 

同年にはサンフランシスコ平和条約が発効し、日本はついに独立を果たします。GHQは廃止され、警察予備隊は保安隊に改称されました。

 

朝鮮戦争は板門店で休戦協定が結ばれ、一旦休戦に入ります。休戦後もアメリカは日本の防衛力を強化させるため、1954年にMSA協定を結びました。これにより、日本はアメリカの軍事・経済援助を受けるかわりに、自衛力の増強を義務付けられます。またMSA協定をきっかけに、保安隊は自衛隊に改称されました。

55年体制

(鳩山一郎:wikiより)

第1次吉田茂内閣のあと、片山哲・芦田均が首相を務め、再び吉田茂内閣(第2次~第5次)をはさみ、鳩山一郎内閣が発足します。

 

鳩山一郎は憲法改正・再軍備を主張したのに対して、社会党が右派と左派が結集し反発しました。

 

社会党の動きに対抗して、1955年に自由党と民主党が合流して自由民主党ができます。鳩山は初代総裁になりました。以降1993年まで自由民主党が政権を握り続け、社会党は野党の代表として自民党に反発し続けます。1955年から始まった体制なので、55年体制といいます。

 

最後に入試問題を用意しているので、ぜひチェックしてみてください。

入試問題にチャレンジ

日本の敗戦後、連合国の対日占領で主導権を握ったのはアメリカであった。連合国軍最高司令官となったマッカーサーは、東京にGHQをおいて、日本の民主化と非軍事化を進める占領政策を実施した。その際、GHQは、日本政府に指令や勧告を発する【ウ】統治の形態をとった。

占領政策にはアメリカの民間人が多数参加し、特別公使として赴任したドッジは、日本政府に対して、歳出を極力【エ】超均衡予算を編成させた。戦前に日本に滞在したことがあるベアテ=シロタは、GHQの女性スタッフとして、日本国憲法の草案作りに参加し、女性の地位向上を提案した。

戦後の文化にアメリカが与えた影響も大きかった。戦時中禁止されていたアメリカ映画やジャズが復活し、ラジオ放送では、英会話講座が人気を博した。しかし、GHQは、日本人に完全に自由な言論や表現活動を保障したわけではなく、新聞や雑誌の原稿、ラジオ放送や映画、芝居などの脚本まで、検閲の対象とした。

問 空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① ウ 間接 エ 抑制する

② ウ 間接 エ 増加させる

③ ウ 直接 エ 抑制する

④ ウ 直接 エ 増加させる

2019年 センター試験 本試験 日本史B 第6問 問4より)

正解:① ウ:日本では、GHQの指令・勧告にもとづいて政府が政治を行う間接統治の方法がとられました。エ:ドッジは日本政府に対し、財政支出を大幅に削減する予算を編成させたので、正しい答えは「抑制する」です。
正解:③ a「大東亜共栄圏の建設」を目的として行われた戦争は、日中戦争ではなく、太平洋戦争です。d日中戦争が勃発したのは1937年、アメリカが石油の対日輸出を禁じたのは1941年なので、「ただちに」とはいえません。よって誤りです。したがってb・c(③)が正解となります。

まとめ

今回は、GHQの占領政策から日本国憲法・55年体制までを見てまいりました。

 

この記事を読んで大まかな流れや用語一つひとつの意味を理解していただければ幸いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

前回の記事「第二次世界大戦についてわかりやすく解説(入試問題つき)【日本史第79回】」ですのでよければ読んでください。

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